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【人生の100冊】4.宮本輝『泥の河』

小説でも音楽でも、デビュー作というのは、何か2作目以降とは全く違う情熱を秘めている、と思う。

宮本輝の「泥の河」もまさにそんな作品で。

宮本輝は、1977年(昭和52年)に、この「泥の河」で第13回太宰治賞を受賞してデビューした。後に「蛍川」で芥川賞を受賞。それからどんどん名作を発表し、いくつかの作品は映画化され、現在のような売れっ子作家になっている。

私の母が宮本輝を好きで、家にたくさん本はあったのだが、私が初めて宮本輝の作品を手にしたのは19歳、大学生の時だった。それが、この「泥の河」だ。

奈良の大学に通っていたので、京都から近鉄に乗り45分かかった。だいたい自宅と大学の往復で1冊は読み終える。今でもはっきりと覚えているが、帰りに「泥の河」を読み終わった時、京都駅のホームのベンチに腰掛けたまま、しばらく動くことができなかった。それくらいの衝撃があった。

それまで自分が好んで読んできた近代文学と同じ匂いがするのに、現役(生きている)作家の小説を読んだのが初めてだったからかもしれない。もしくは先述したように、これが宮本輝のデビュー作で、その執念にも似た情熱にやられてしまったからかもしれない。とにかく言いようのない感動で、震えて立ち上がることすらできなかった。(それくらい私も感受性が豊かな年齢だったということもある)

この作品は、戦後まだ間もない昭和30年の大阪、土佐堀川の周辺が舞台だ。主人公は9歳の信雄。両親はうどん屋を営む。ある時、信雄は同い年の「きっちゃん」と出会う。しかし、きっちゃんは学校にも行っていない。母親が身を売りながら、舟で生活している。そんな二人の少年が過ごしたひと夏の物語だ。

まだ戦争の爪痕を痛いほどに残した人々の生活。それぞれが葛藤を抱え、もがいたりあきらめたり。読んでいると、その時代の空気、匂い、音、光と闇、いろんなものが迫ってくる。それは決して心地よいものではないのだが、ただ生きることに必死な人々を、時にせつなく、時にみじめに描いている。

「泥の河」に衝撃を受けてから、宮本輝の作品をかなりの年月読み続けた。初期の作品は本当に名作が多い。「蛍川」「道頓堀川」の川三部作はもちろん、「優駿」「錦繍」「彗星物語」「青が散る」「夢見通りの人々」「流転の海」など、どれも色褪せないし、宮本輝を知らない若い世代にもぜひ読んでもらいたいと思う。

いろいろ素晴らしい作品があるが、それでもやっぱり私が「泥の河」が一番だと思うのは、何度も言うようにデビュー作というすさまじい破壊力のためだろう。宮本輝は、普通のサラリーマンだったが、ある日、会社帰りに立ち寄った本屋で、ある作家の短編小説を読み、それがあまりにひどかったので、「自分ならもっと面白いものが書ける」と思い、会社を辞めて小説を書き始めたという。ただ、商業作家として稼げるようになるまでは無収入だったわけだし、このデビュー作「泥の河」を書き上げるまでには相当の想いと苦労があったようだ。

だからだろうか、やはりこの小説からは何か2作目以降とは違う、とてつもなく強い執念のようなものを感じて仕方がないのだ。


★note記事のシリーズタイトル【いつまでも色褪せない本】【人生の100冊】に改めました。タイトルが長いのが気になっていたから変えただけで、趣旨は同じです。
<人生の100冊の趣旨>
noteで【最近読んだ本】という書評エッセイも書いていますが、「最近」ではなく「昔」読んだ本の中で、今ぱらぱらとページをめくっても「ここ、たまらん!」「きゅーんとする!」という、私の中でいつまでも色褪せない本への想いを書いていこうと思います。現代作家のものはもちろん、古い文学や古典、もしかしたら漫画も入るかもしれません。
特に期限は設けませんが、一応100作品を挙げるのが目標です。
私個人の便宜上、タイトルにナンバーを入れますが、「1が一番好き」「1番古い本」など、数字の持つ意味はありません。本棚で目についたものや、その日の気分で書いていこうと思います。
何か少しでも読んでくださった方の心に響く言葉があって、「これ、読んでみたいなぁ」と1冊でも思っていただければうれしいです。


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