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特集「村上春樹」につられて、初めて『BRUTUS』を買ってしまった。

『BRUTUS』を買った。たぶん、人生で初めて。
理由は簡単だ。特集が「村上春樹」だったからだ。

こんな時にかぎって仕事が立て込んでいて、まだ読むことができない。この週末にゆっくり読もうと思っている。
でも、そう思いながらも、時々パラパラとめくってみる。それだけで胸が高鳴る。
そう。本当に、「胸が高鳴る」のだ。

村上春樹を好き・嫌い(興味なし・合わない)は、はっきりと分かれるように思う。
たまに「読んでみたけど面白くなかった」という人がいるのだが、それを聞くとこう言いたくなる。

「村上春樹作品の評価は、面白いか、面白くないかじゃないんだよ。私も面白くないと思う作品もある。でも、読みたいんだ。あの人の文章を読みたいんだ。作品の世界に入り込みたいんだ。そう思えるかどうかなんだ!」

ここでは息巻いてみたが、実際にはまだ誰にも言ったことはない。(酔っ払った時、夫に「こう言ってやりたいよね」と言うだけ。ちなみに夫もハルキストだ)

だから、初の自叙伝的エッセイ『職業としての小説家』の中で、村上春樹氏自身が「読者」――それは市場調査したデータ的な読者ではなく、あくまでも「架空の読者」についてだ――こんなふうに書いているのを読んで、うれしくなった。

重要なのは、交換不可能であるべきは、僕とその人が繋がっているという事実です。どこでどんな具合に繋がっているのか、細かいことまではわかりません。でもずっと下の方の、暗いところで僕の根っことその人の根っこが繋がっているという感触があります。それはあまりに深くて暗いところなので、ちょっとそこまで様子を見に行くということもできません。でも物語というシステムを通して、僕らはそれが繋がっていると感じ取ることができます。養分が行き来している実感があります。

ああ、私が春樹氏と(もしくは春樹氏の作品の人々と)「深くて暗いところで根っこが繋がっている」と感じていたのは、間違っていなかったのだと、これを読んで初めてわかった。

逆にいえば、こういう「繋がり」を感じられない人にとっては、読んだ作品が「面白くない」と感じてしまえば、それきりなのだろう。

でも、多くのハルキストが同じだと思うのだが、「面白くない」と思う作品に出会っても、なぜかまた次の新作も買ってしまう。
それについても、同書の中で、春樹氏がこう書いていた。

ときどき読者から面白い手紙をいただきます。「新しく出た村上さんの新刊を読んでがっかりしました。残念ながら私はこの本があまり好きではありません。しかし次の本は絶対に買います。がんばってください」、そういう文面です。正直に言いまして、こういう読者が僕は好きです。とてもありがたいと思います。そこには間違いなく「信頼の感覚」があるからです。

単純に、うれしかった。
ひとつは、私と同じような感覚の読者がいたこと。もうひとつは、そういう読者を、春樹氏が「信頼の感覚」があるから「好き」だと言ってくれたことだ。
やっぱりこれは、根っこのところで繋がっているんだと思えた。

話は戻って、この『BRUTUS』。インタビューのほか、「村上春樹の私的読書案内(51冊紹介)」やデビューからの作品の年表、翻訳家としてのすごさを読み解くページまである。読み応えあるなぁ。
長年のファンにとったら、ノーベル文学賞なんて、受賞してもしなくても、そんなことどっちでもいいのだ。(受賞したら、それはそれでうれしいけれど)
ただ、生きている間、ずっと村上春樹作品に触れられたら、それでいい。

そういえば、私がnoteで書いている【人生の100冊】というシリーズがあるのだが、次は村上春樹の小説のことを書こうと思っている。
私が一番好きな村上春樹の小説は……
まだここには書かないが、なぜか誰も「一番好きな作品」に挙げているのを見たことがない。

この投稿を読まれた方の「春樹作品ナンバー1」はどの作品なんだろう。
よかったら、コメントで教えてください。

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