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【最近読んだ本】きっと誰かひとりへの「お告げ」じゃないと思う。

またもや青山美智子さんの本を読んだ。今年に入って、これで5冊目だ。弱っている時、迷っている時、すっと手を差し伸べて光の方向へ導いてくれるような本ばかりで、完全にハマってしまった。

今朝読み終わったのは『猫のお告げは樹の下で』

青山美智子さんの本を1冊でも読んだことがある人ならわかると思うが、“あのパターン”だ。ある場所を舞台として、そこを訪れる人々がいる。まさに老若男女で、その一人ひとりにスポットを当てた連作短編という構成。登場人物は、時に互いにすれ違い、時に深くつながることもある。

『猫のお告げは樹の下で』の場合、舞台は小さな神社だ。境内には1本の「タラヨウ」の樹がある。葉を紙に見立て、ひっかくと跡が残り文字が書けることから「ハガキの木」とも呼ばれている。

その神社に何らかの迷いや悩みを抱えてやって来たのは、失恋した美容師の女性、中学生の娘と仲良くなりたい父親、進みたい道がわからない就活中の学生、熟年離婚されたプラモデル屋のおやじ、転校先でクラスに馴染めない苔好きの小学生、ママになっても漫画家の夢を捨てきれない主婦、自分自身のことには迷う有名占い師。

神社で参拝して帰ろうとすると、皆、そこで1匹の猫に出会う。猫はタラヨウの樹の周りをぐるぐる走ると、ポンと樹に手を置く。すると、1枚の葉が彼らの手元に落ちてくるのだ。そこには「お告げ」が書かれている。

ある人には「ニシムキ」、ある人には「タネマキ」、ある人には「スペース」といった具合に、たった一言のお告げだ。

神社の宮司さんから猫の名前は「ミクジ」であること、その葉はミクジからの「お告げ」であることを聞かされ、それぞれがお告げを胸に、いつもの生活へ戻っていく。すると、すぐにその言葉に関わるような出来事が起き、いろんなことに気づき始め、人生が動き出す……。

7つの物語はどれもハッピーエンドだが、別に猫のミクジが何かしてくれたわけでも願いを叶えてくれたわけでもない。あくまでもお告げは「きっかけ」にすぎず、一歩踏み出したのは彼ら自身だ。

最後まで読み終えた時、私はこの「本」自体が、「お告げ」のように感じた。ミクジのお告げは、登場人物だけに与えられたものではなく、きっとこれを読んでいる誰かへのものでもある。

私に響いたのは、6話目の「スペース」で、漫画家の夢をあきらめきれない千咲が、悪いものを祓ってもらおうと神社に行った時、宮司さんに言われた言葉だ。

「やっつけるのではなく、あくまでも祓うんです。戦うことはありません。新しく良いものを入れるには、出すのが先です。入ってくるすきまをつくらないと」

千咲が「私のスペース、狭いんです」と言うと、宮司さんは続ける。

「では、まずその思い込みのブロックから捨てましょうか」

「自分のスペースが狭いなんて、どうしてわかるんですか。あなたがそう決めてしまっているだけではないですか

「手始めに『こうに決まっている』っていうのを外すんです。決まってるって思ってしまったときには、上書きしてみてください。『何も決まっていない』と」

千咲が言われた言葉なのに、自分が言われたようにハッとした。私が何かをやりたいと思いながらもすぐ躊躇してしまうのも、「できない」と決めつけているからかもしれない。人生の一歩先は何も決まっていないのに。

千咲の物語は、彼女の気づきと小さな勇気によって、幸せな方向へ動き始める。そのラストを読んで、私はホロっと涙した。よかったねと、心から思った。私も自分の心や生活に「スペース」をつくろうと思えた。新しく良いものを入れるために。

宮司さんはミクジに出会えた人のことを「運がいいですね」と言っていたが、この本に出会えた人もまた、運がいいのではないだろうかと思う。私が心動かされたように、他の人にとっても何か大切な「お告げ」が散りばめられているように思うから。

青山美智子さんは、いつも「誰か」に向けて物語を綴っているような気がしてならない。この物語を読んだ誰かが「自分はダメじゃない」ことに気づき、自分らしい幸せな人生を歩んでほしい、と。誰か一人にでもいいから、この言葉が届いてほしい、と。そんな筆者の祈りのようなものを彼女の優しいストーリーからは、いつだって感じるのだ。


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