七音

ゆらゆら揺れる想いを、ちょっとつかまえて。日常での些末事を気の向くままに書きとめていま…

七音

ゆらゆら揺れる想いを、ちょっとつかまえて。日常での些末事を気の向くままに書きとめています。

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    身の回りのある「モノ」たちの独り言

最近の記事

恋 【掌編小説】#シロクマ文芸部

 梅の花が咲いている。白磁の茶器の底で、清らかな白湯に揺れている。 「庭に古い紅梅の樹があってね。」  茶托に据えた梅茶をすすめながら、彼女の視線は窓の外へと流れた。祖父の代からあるものなのだけど、七分咲きの頃にすこしだけ花を摘みとって、塩漬けにするの。ふつうは桜の花が多いと思うんだけど、梅もいいわよね。どこか楽しそうに話す、鈴の音のように透明感のある声は、あの頃から少しも変わっていない。  庭をみつめる彼女の視線の先に、それらしい古木が一本立っている。枝先に花はないが、小振

    • 青写真【掌編小説】

       「青写真のようなものだよ。」  瘦せこけた頬の下に白い髭をたくわえた老人は、そう呟くと、小さな白い紙を一枚、胸元から取り出した。  「強く念ずれば、祈りはさながら太陽のかわりとなって、この紙の上に輪郭を投影する。お前の望むものが、映し出される。」  日差しが西へと傾き始めた時刻の、寂れた路地裏でのことである。新規の取引先との商談のため、初めて訪れた町だった。顔合わせの前に腹ごしらえをしておこうと、何軒か立ち並ぶ定食屋の看板を眺めながら歩いていると、見知らぬ老人に話しかけられ

      • 布団から出たら【掌編小説】

         布団から出たら、そこは草原だった。乾いた砂地の上に、丈の短い青草がちらちらと茂っていた。足元から長く続いている白い道の向こうには、絵の具の青を塗りたくったような、なんとも曖昧な空が広がっていた。  ついさっきまで、温かな布団の中にいたはずだった。疲れた体を猫のように丸め、ぼんやりスマホを眺めていたら、いつの間にかうとうと眠くなって。普段となにも変わらない、ありふれた夜だった。だからこれは、夢を見ているだけなのだろう。  はぁ、と、声ともため息ともつかぬものが唇から零れ落ちた

        • いまのことを、少し

          一晩中降り続いた雪は漸くやみ、眩しい陽光が降り注いでいる。今日は成人の日。晴れの日を迎えた若い方々にとって、忘れがたく素晴らしい一日になることを願います。 X(旧Twitter)相互様へ ここ最近、文章を書くことができなかった。 まるで酸欠の魚のように、言葉をまとめることがとても苦しい。今も、ここまで書くのに何度も手を止め、書き直しながら画面と向き合っている。そんな風だけれど…そんな風だから、いつもお世話になっているこの川の流れの中に、すこしだけ最近の私について流しておき

        恋 【掌編小説】#シロクマ文芸部

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        記事

          深々と

           風呂をすませて、生乾きの髪に夜のつめたい空気が触れるのに肩をすくめながらリビングへ戻る途中で、窓ガラスの向こうが淡く光っていることに気づいた。カーテンの隙間からそっと覗いてみると、白い雪が薄らと降り積もっているのが見える。まだ降り始めとはいえ、庭一面が白に染まる光景を見るのは久しぶりだ。この冬に入ってからは初めてである。果てしない夜空から降り落ちてくる粉雪は、音もなくさらさらと、重力など少しも感じさせぬ軽やかさで深々と、枯れた芝生の上を白に塗り変えていく。  温かな部屋の中

          この日に祈る

           八月七日は花火の日であり、鼻の日であり、のび太の誕生日でもあり、私の誕生日だ。そろそろ歳を数えることも億劫になってきたが、かつて独身時代には自分ではけして買わないであろう高価な贈り物に目を輝かせた夜もあったし、娘たちがまだ幼かった頃には、可愛らしい手作りの作品を貰ったりもした。数年前に長女から贈られた小さなバーバリウムは、今でもベッドサイドに飾っている。100円ショップの材料を使って作られた桜色の小瓶は、今も十分な透明度を保ち、ブックライトの灯りに煌めきながら、ささやかな幸

          この日に祈る

          今は友と呼ぶ

           カレンダーが師走に変わるころから年明けまでは、毎年何かと気忙しい日が過ぎていく。やり残したまま積まれていた仕事の始末、年末年始のご挨拶の準備、会社と自宅の年賀状作成、お節料理のメニューづくり、餅つきと松飾りの準備、床間に飾る生け花の心配、大掃除と窓ふき、それらすべてに関する買い物といった具合だ。寒冷地に生まれ育ったものの、この時期の寒さが大の苦手なので、出来ることならあまり活発に動き回りたくないのが本音。であるのに、やらねばならぬタスクが多過ぎる。明らかに自分のキャパを超え

          今は友と呼ぶ

          アーケード街の片隅で

           駅からそう遠くない場所に、アーケード商店街がある。建設されたのは昭和半ば、商業地区の中心ということもあり、以前はかなりの人出で賑わっていた。現在は、建物の老朽化や個人商店主の高齢化がすすみ、はり紙付きのシャッターが降りたままになっている店も少なくない。好んで通っている映画館がアーケードの中にあるので、ときどき足を運ぶのだが、週末の昼間でさえ方々で閑古鳥が鳴いているような有様だ。婦人服や靴、美容室やフランス料理店など、昔からの人気店はまだ営業しているところもあるのだが、私はこ

          アーケード街の片隅で

          赤いダイアリー

           赤い表紙の小さなモレスキンダイアリーを愛用している。片手で軽く持てるくらいの大きさは、鞄の奥に入れておくのにちょうど良い。書きとめるものは、朝のニュースで気になったこと、本の中の言葉、映画のセリフ、ふと思いついた他愛のない殴り書き。そんな些細なことばかり。モレスキンのペーパーは手触りがなんとも滑らかで、指先にしっとりと絡むようなその質感は、いつも心を穏やかにさせてくれる。たとえ書くことが何も思いつかなくても、さっと開くだけで気分がいい。  ダイアリーを開く瞬間は、いつも突

          赤いダイアリー

          透明な線の上

          花冷えのする空の下、ようやく満開に花開いた桜が散り始めている。花びらが風に流される姿は寂しいけれど、石畳の裾を薄紅に染めていく様子もまた、風情があっていいものだ。移り変わる風景を眺めながら、次女の登校に付き添うのが、このごろの日課である。 4月から通信制高校に通い始めた娘。タブレットでのレポート提出と映像授業が基本なので、毎日登校する必要はないのだが、「私は家にいたらぜったい勉強しないから学校にいく」そうで、リュックサックにレポートとちいさな弁当を入れ、クラッチ杖をつきなが

          透明な線の上

          私の猫の思い出

          その昔、猫を飼っていた。東京で一人暮らしをしていた頃の話だ。白毛に黒のブチ模様がある日本猫だった。名前はフナ。猫に魚の名前をつけたら愛らしいのではないかと思ったのだが、気まぐれに付けたその名のまま、彼女は20年近くも生きたから、もっと女の子らしい可憐な名をつけてあげれば良かったと、今は少し反省している。生まれつき小柄なほっそりとした猫で、骨格も肉付きも華奢だったのだが、東京の下町に打ち捨てられた過酷な出生のせいか、めっぽう気が強く喧嘩っ早い、姐御肌の雌猫だった。 フナと初め

          私の猫の思い出

          本の感想 「父ガルシア=マルケスの思い出」

          父ガルシア=マルケスの思い出 さようなら、ガボとメルセデス ロドリゴ・ガルシア:作 旦敬介:訳 2021年 中央公論新社 仕事の合間に立ち寄った書店で、いつものように海外文学のコーナーに目を向けた瞬間、色鮮やかに視界へと飛び込んできた本。田舎の町の小さな書店では、海外文学の取り扱いなどは慎ましいというか寂しすぎるというか、猫の額(猫に失礼だろう)という言葉が頭を過ぎるほどの、ごく限られたスペースなのだが、例えば都会の大きな書店で、眩いくらいに新刊が並んでいたのだとしても、き

          本の感想 「父ガルシア=マルケスの思い出」

          本の感想 「乾いた人びと」

          乾いた人びと       グラシリアノ・ハーモス:作  高橋都彦:訳 2022年 水声社 図書館や書店を歩いていると、「本に呼ばれた」とでも表現したくなるような体験をすることがある。不意に少し離れたところから会釈されたような気がして振り返る。すると、取り立ててディスプレイされているわけでもない、いたって普通に並べられた本の中の一冊に、視線が吸い寄せられる。本棚を訪れた目的とはまったく別の本なのに、作者の名前も情報も知らないのに、なぜか素通りすることができない。その本の背表紙

          本の感想 「乾いた人びと」

          本の感想 「イエスの学校時代」

          イエスの学校時代   J.M.クッツェー 2020.4.早川書房 「イエスの幼子時代」に続く二作目。血の繋がらない両親、代理父シモンと代理母イネスとともにノビージャを出た少年ダビードは、新しく辿り着いた町の農場で、あるダンスアカデミーを紹介され入学する。ダビードはアカデミーで出会った美しく神秘的な教師を慕い、数のダンスの習得に励みながら快活な学生時代を送るが、予期せぬ事件が起こり…というストーリー。 善き父であろうとするシモンと、悉く一般常識が通用しないダビードの間に横た

          本の感想 「イエスの学校時代」

          今になれば分かること

          数ヶ月間、仕事と家事の合間に勉強を重ね、FP検定を受けた。数字にからっきし弱い私が何故?と自分でも思わなくも無かったが、仕事とも繋がりのある分野だし、社会保険や年金についての知識も深めてみたかった。キャリアアップが目的では無いので合格するか否かはそれほど重要ではないけれど、結構頑張ったんじゃないかと思うし、少しは合格したいかも…という感じなので、もしダメだったらもう一度くらいは挑戦するかも知れない。 思えば、この10年くらい、毎年のように何かしらの検定や試験にチャレンジして

          今になれば分かること

          零れ落ちぬよう

           目の前で、今はかろうじて上下している胸の動きが、少しずつ、目に見えぬ何者かに奪われていくようなのを見れば、堪らずに手を差し伸べる。見返りは思うに及ばす、己に降りかかる災難を省みることなく。薄い闇の中で揺れる小さな灯のように頼りない、寄る辺の無い命を掬い取ろうと、生まれたばかりの雛の産毛を温めるように包み込む。寒さに震えぬよう、夜風に飛ばされぬよう、めどなく満ち溢れ、指先から落ちてゆくばかりの無償の愛が、私のように小さな者の身の内にもあることを、知っている。  命であれ、尊

          零れ落ちぬよう