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【クレオの夏休み】

2023 フランス
監督 マリー・アマシュケリ


 盆休み最後の日曜日、娘が友人とカラオケに行くというので、待ち合わせ場所まで車で送っていった。午前中は、歌い放題でお得な時間帯らしい。運転手の役目を終えて帰宅すると、まだ9時を少し回ったところだった。その日は事務所に戻って仕事をする予定だったが、夫は早朝からゴルフの月例会に出かけているし、娘は昼過ぎまで帰ってこない。つまりフリータイムだ。仕事といっても、休み明けに備えてメールや書類をチェックしておく程度だから、午後から始めれば十分間に合うだろうと算段を立てると、そわそわと身支度を整えて、映画館の上映時間を調べた。

 予告編が好印象だった「クレオの夏休み」が、ちょうどよい時間に上映しているらしい。いつもの小さな映画館に辿り着き、席にすわると、すぐに映画が始まった。真っ暗なスクリーンに浮かび上がるアニメーション。子供が絵の具で描いたような明るい色彩が、スクリーンに踊る。幼くして母を亡くしたクレオは、ナニー(乳母)のグロリアを肉親のように慕っている。父は優しい人だが、多忙のため一緒に過ごせる時間は少ない。クレオはグロリアの深い愛情に包まれ、楽しい日々を送っていた。ところが、グロリアの家族に悲しい出来事が起こり、彼女は故郷のカーボベルデに帰ってしまう。大好きなグロリアに会いたいクレオは、一人で島へと向かう。

 ナニーがアフリカの島国出身の女性である構図には、経済格差などの社会背景を感じ取ることができる。けれどこの作品で描かれているのは、そういったあらゆる違いを乗り越えても揺らぐことのない、信頼に満ちた愛の世界なのだろう。グロリアは幼いクレオに寄り添い、彼女を抱きしめ、大好きだと笑いかける。クレオが嫉妬心から間違いを犯したときは、心の底から本気で叱る。そのあとでまた強く抱きしめて、愛が変わらないことを伝える。ナニーの役割は仕事であっても、二人の関係性は家族そのものだ。慈愛に満ちたグロリアの笑顔を見つめながら、ふと、果たして自分には同じようにできるだろうかと想像してしまう。もしも本当に腹を立てるようなこと、子供の純粋さゆえに自分の大切なものを脅かされるようなことが起きたとき、私なら契約関係を持ち出して一線引いてしまうのではないだろうか。けれど、グロリアはそうしない。間違えたらきちんと反省し謝るという人の理を教え、起こしてしまった行為によって自分自身深く傷付いているクレオを、より強く抱きしめる。

 作中には、時折アニメーションが挿入される。鮮やかな色彩でさりげなく描かれる絵は、小さな胸に抱えきれない少女の心情を描き出すかのようだ。まだやわらかく、何色にも染まっていない心は、深い愛の土壌の上で育まれ、小さくもしっかりとした一歩を踏みしめる。まだ幼くとも、それは確かな自立への一歩なのだろう。




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