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Ryuichi Sakamoto | Opus

Ars longa, vita brevis 
芸術は長く 人生は短し

 休日の朝、見上げれば雲一つない快晴の夏空なのに、昼過ぎからは激しい雷雨の予想だという。ここ数日なぜかメンタルが不調で、それも少しだけ気掛かりだった。この作品は、かならず映画館で観ようと決めていたのに、いまひとつ気が乗らなかったのは、そういう理由だ。映画館から送られてきた情報を見れば、上映終了まであと数日しかない。仕事終わりに間に合う時間帯ではなく、行くのであれば今日しかなかった。

 気乗りがしないというのは、いわゆる「逃げ」で「言い訳」。本当はちょっと怖かったのだ。きっと、引き摺られてしまうだろうから。受け止めきれずに流されてしまう、そんな気がしたから。

 闘病のために体力が削られて、通常のコンサートを開くことが難しくなり、一曲ずつ収録したものをコンサート形式の長編映画として残した作品。思い入れのあるNHK509スタジオで、坂本氏専用にカスタムメイドされ、収録やコンサートで使用してきたYAMAHAグランドピアノで、自ら選曲した20曲を演奏する。お気に入りの場所、信頼の置けるスタッフ、使い慣れた楽器。耳に届く音は、そのように深く愛されて慈しむように生まれてくる旋律。そして、演奏の合間に、時折聞こえる微かな息づかい。モノクロこそが似合う澄み切った緊張感。心が震えないなどということは、あり得ない。

 雨が降り出す前に滑り込むことに成功した、いつもの古い映画館で、いつもの右後方の席に座った。静かに幕を開けてゆく作品を見つめながら、おそらく開演から数秒後には、もう泣いていた。鼓膜から、肌から、音が流れ込んできた。削ぎ落され、研ぎ澄まされたピアノの音色に導かれるまま、深い湖の底へ沈んでいくかのようだった。私は初めから、引き摺られてしまうことを危惧していたし、その予感は確かに当たっていたのだけれど、ただ、その行く先は、哀しみではなかった。

 天から降り落ちる雨のように、枯れることなく溢れてくる音楽の世界で、長く繊細な指先が白と黒の鍵盤を弾き、まるで音の依り代のように歌を奏でる。白に染まった髪と、痩せた背中が揺れていた。詩人のように静かに、かと思えば、まるで俊敏な猫のように力強く、激しく。また時には楽しく朗らかに。そんな幸せに満ちた時間が、ずっと続くかのように思えた。続いて欲しかった。出来ることなら、ずっと見ていたかった。

 バッハやモーツアルトがそうであるように、おそらくモリコーネがそうであるように、きっと100年のその先も継がれていく音楽なのだろう。人が生きるよりもずっと長い永遠を生きていく音。ただ、もうこの星の地上のどこにも、この方は存在しないという事実が押し寄せてくると、やはり寂しくて心許なく、モノクロのスクリーンの中に遠ざかる小さな靴音を聞きながら、また涙が溢れてしまった。

 映画館を出ると、扉の向こうのアスファルトは深い黒に濡れていた。立ちこめる雨の匂いの中を歩きながら、耳の奥に残るピアノの余韻を追いかけた。

 






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