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いまのことを、少し

一晩中降り続いた雪は漸くやみ、眩しい陽光が降り注いでいる。今日は成人の日。晴れの日を迎えた若い方々にとって、忘れがたく素晴らしい一日になることを願います。


X(旧Twitter)相互様へ

ここ最近、文章を書くことができなかった。
まるで酸欠の魚のように、言葉をまとめることがとても苦しい。今も、ここまで書くのに何度も手を止め、書き直しながら画面と向き合っている。そんな風だけれど…そんな風だから、いつもお世話になっているこの川の流れの中に、すこしだけ最近の私について流しておきたいと思う。

二年ほど前から、両耳に耳鳴りを感じるようになった。それが半年前から少しずつ悪化している。日常生活に支障が出るほどではないけれど、仕事中は頭痛を伴って酷くなり、時には嘔吐感を伴うので、なかなかに苦戦している。加齢難聴にしては少し早いような気がして、耳鼻科に相談しているけれど、はっきりとした有効な解決策はない。薬は、飲まないよりはまし、という程度。病院を変えて何度か診てもらったけれど、聴力にはなんら問題なく、脳の疲れ、自律神経の乱れからくるものだろうということだった。

確かに少し、神経質なところがあるのだろうと思う。感情が昂るとすぐ涙が出るし、大きな仕事の前は重圧で押し潰されそうになり、ミスを指摘されると思い出すたび憂鬱になる。ウサギ並みの心臓しか持たぬ、メンタルの弱い人間である。期待や責任、時に理不尽な押し付けさえ手放すことが苦手、自分のキャパを超えて両手に荷物を抱えがち。半世紀も自分と付き合っているから、己の性質は良く分かっている。昔はそんな自分に嫌悪感を抱いていたが、今はなんだかんだで憎めないやつなどと思っているから、そこは大きな前進と言って良いのではないか。

ウイルス、世界情勢、政治不信、自然災害…あらゆる情報が溢れるいま、目と耳と脳でその情報を拾い上げ、玉石混合の言葉を見つめながら真偽に注意深く向き合うという行動に、私のひ弱なメンタルは疲弊している。家族を守るため、会社を守るために拾い上げなくてはならない情報はたくさんあるのだけど、ここ最近の無造作にごろごろ流れてくる石っころの多さには、正直辟易している。

そんなとき、自分のタイムラインを開くと、その清涼たる水の清らかさに心を洗われる。日々の料理、読んだ本の感想、美術館、音楽、コンサート…その流れは至極気持ちがいいし、ずっと眺めていたくなる。と同時に、私の厄介なメンタルの一部分がむくむくと膨れ上がり、自分は何も流せていない、貢献できていないと声を上げ始める。次第に呼吸が浅くなり、耳鳴りが大きくなる。文字を綴ろうとすることを、そっと諦める。


これが、ここ最近の私です。
私はこのタイムラインが大好きなのですけれど、今年は本当にゆっくりと、自分に無理をせず、綴れるときに言葉を流そうと思います。
noteの方が幾分か呼吸しやすく思うので、もしかするとこちらに綴ることが多いかも知れません。実は、前回の定期演奏会で、数年前から違和感のあった右手の腱鞘炎をこじらせてしまい、自分のバイオリンは少しお休み中なので、昨年に引き続き法律の勉強を深める年にしようと考えています。

心ざわめく情報が多い今だからこそ、自分が真に美しいと思うこと、知的好奇心にわくわくすること、心震わせるような感動、そしてありふれた慎ましい日常を大切にしていきたいと思います。

皆さまと、皆さまの大切な人が、
幸せにあふれる一年でありますように。







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