七音

ゆらゆら揺れる想いを、ちょっとつかまえて。日常での些末事を気の向くままに書きとめていま…

七音

ゆらゆら揺れる想いを、ちょっとつかまえて。日常での些末事を気の向くままに書きとめています。

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    身の回りのある「モノ」たちの独り言

記事一覧

【クレオの夏休み】

2023 フランス 監督 マリー・アマシュケリ  盆休み最後の日曜日、娘が友人とカラオケに行くというので、待ち合わせ場所まで車で送っていった。午前中は、歌い放題でお…

七音
1か月前
4

Ryuichi Sakamoto | Opus

Ars longa, vita brevis 芸術は長く 人生は短し  休日の朝、見上げれば雲一つない快晴の夏空なのに、昼過ぎからは激しい雷雨の予想だという。ここ数日なぜかメンタルが…

七音
1か月前
7

恋 【掌編小説】#シロクマ文芸部

 梅の花が咲いている。白磁の茶器の底で、清らかな白湯に揺れている。 「庭に古い紅梅の樹があってね。」  茶托に据えた梅茶をすすめながら、彼女の視線は窓の外へと流れ…

七音
7か月前
15

青写真【掌編小説】

 「青写真のようなものだよ。」  瘦せこけた頬の下に白い髭をたくわえた老人は、そう呟くと、小さな白い紙を一枚、胸元から取り出した。  「強く念ずれば、祈りはさなが…

七音
7か月前
14

布団から出たら【掌編小説】

 布団から出たら、そこは草原だった。乾いた砂地の上に、丈の短い青草がちらちらと茂っていた。足元から長く続いている白い道の向こうには、絵の具の青を塗りたくったよう…

七音
8か月前
16

いまのことを、少し

一晩中降り続いた雪は漸くやみ、眩しい陽光が降り注いでいる。今日は成人の日。晴れの日を迎えた若い方々にとって、忘れがたく素晴らしい一日になることを願います。 X(…

七音
8か月前
23

深々と

 風呂をすませて、生乾きの髪に夜のつめたい空気が触れるのに肩をすくめながらリビングへ戻る途中で、窓ガラスの向こうが淡く光っていることに気づいた。カーテンの隙間か…

七音
8か月前
5

この日に祈る

 八月七日は花火の日であり、鼻の日であり、のび太の誕生日でもあり、私の誕生日だ。そろそろ歳を数えることも億劫になってきたが、かつて独身時代には自分ではけして買わ…

七音
1年前
11

今は友と呼ぶ

 カレンダーが師走に変わるころから年明けまでは、毎年何かと気忙しい日が過ぎていく。やり残したまま積まれていた仕事の始末、年末年始のご挨拶の準備、会社と自宅の年賀…

七音
1年前
17

アーケード街の片隅で

 駅からそう遠くない場所に、アーケード商店街がある。建設されたのは昭和半ば、商業地区の中心ということもあり、以前はかなりの人出で賑わっていた。現在は、建物の老朽…

七音
2年前
14

赤いダイアリー

 赤い表紙の小さなモレスキンダイアリーを愛用している。片手で軽く持てるくらいの大きさは、鞄の奥に入れておくのにちょうど良い。書きとめるものは、朝のニュースで気に…

七音
2年前
11

透明な線の上

花冷えのする空の下、ようやく満開に花開いた桜が散り始めている。花びらが風に流される姿は寂しいけれど、石畳の裾を薄紅に染めていく様子もまた、風情があっていいものだ…

七音
2年前
21

私の猫の思い出

その昔、猫を飼っていた。東京で一人暮らしをしていた頃の話だ。白毛に黒のブチ模様がある日本猫だった。名前はフナ。猫に魚の名前をつけたら愛らしいのではないかと思った…

七音
2年前
25

本の感想 「父ガルシア=マルケスの思い出」

父ガルシア=マルケスの思い出 さようなら、ガボとメルセデス ロドリゴ・ガルシア:作 旦敬介:訳 2021年 中央公論新社 仕事の合間に立ち寄った書店で、いつものように…

七音
2年前
10

本の感想 「乾いた人びと」

乾いた人びと       グラシリアノ・ハーモス:作  高橋都彦:訳 2022年 水声社 図書館や書店を歩いていると、「本に呼ばれた」とでも表現したくなるような体験を…

七音
2年前
13

本の感想 「イエスの学校時代」

イエスの学校時代   J.M.クッツェー 2020.4.早川書房 「イエスの幼子時代」に続く二作目。血の繋がらない両親、代理父シモンと代理母イネスとともにノビージャを出た少…

七音
2年前
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【クレオの夏休み】

【クレオの夏休み】

2023 フランス
監督 マリー・アマシュケリ

 盆休み最後の日曜日、娘が友人とカラオケに行くというので、待ち合わせ場所まで車で送っていった。午前中は、歌い放題でお得な時間帯らしい。運転手の役目を終えて帰宅すると、まだ9時を少し回ったところだった。その日は事務所に戻って仕事をする予定だったが、夫は早朝からゴルフの月例会に出かけているし、娘は昼過ぎまで帰ってこない。つまりフリータイムだ。仕事といっ

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Ryuichi Sakamoto | Opus

Ryuichi Sakamoto | Opus

Ars longa, vita brevis
芸術は長く 人生は短し

 休日の朝、見上げれば雲一つない快晴の夏空なのに、昼過ぎからは激しい雷雨の予想だという。ここ数日なぜかメンタルが不調で、それも少しだけ気掛かりだった。この作品は、かならず映画館で観ようと決めていたのに、いまひとつ気が乗らなかったのは、そういう理由だ。映画館から送られてきた情報を見れば、上映終了まであと数日しかない。仕事終わり

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恋 【掌編小説】#シロクマ文芸部

恋 【掌編小説】#シロクマ文芸部

 梅の花が咲いている。白磁の茶器の底で、清らかな白湯に揺れている。
「庭に古い紅梅の樹があってね。」
 茶托に据えた梅茶をすすめながら、彼女の視線は窓の外へと流れた。祖父の代からあるものなのだけど、七分咲きの頃にすこしだけ花を摘みとって、塩漬けにするの。ふつうは桜の花が多いと思うんだけど、梅もいいわよね。どこか楽しそうに話す、鈴の音のように透明感のある声は、あの頃から少しも変わっていない。
 庭を

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青写真【掌編小説】

青写真【掌編小説】

 「青写真のようなものだよ。」
 瘦せこけた頬の下に白い髭をたくわえた老人は、そう呟くと、小さな白い紙を一枚、胸元から取り出した。
 「強く念ずれば、祈りはさながら太陽のかわりとなって、この紙の上に輪郭を投影する。お前の望むものが、映し出される。」
 日差しが西へと傾き始めた時刻の、寂れた路地裏でのことである。新規の取引先との商談のため、初めて訪れた町だった。顔合わせの前に腹ごしらえをしておこうと

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布団から出たら【掌編小説】

布団から出たら【掌編小説】

 布団から出たら、そこは草原だった。乾いた砂地の上に、丈の短い青草がちらちらと茂っていた。足元から長く続いている白い道の向こうには、絵の具の青を塗りたくったような、なんとも曖昧な空が広がっていた。
 ついさっきまで、温かな布団の中にいたはずだった。疲れた体を猫のように丸め、ぼんやりスマホを眺めていたら、いつの間にかうとうと眠くなって。普段となにも変わらない、ありふれた夜だった。だからこれは、夢を見

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いまのことを、少し

いまのことを、少し

一晩中降り続いた雪は漸くやみ、眩しい陽光が降り注いでいる。今日は成人の日。晴れの日を迎えた若い方々にとって、忘れがたく素晴らしい一日になることを願います。

X(旧Twitter)相互様へ

ここ最近、文章を書くことができなかった。
まるで酸欠の魚のように、言葉をまとめることがとても苦しい。今も、ここまで書くのに何度も手を止め、書き直しながら画面と向き合っている。そんな風だけれど…そんな風だから、

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深々と

深々と

 風呂をすませて、生乾きの髪に夜のつめたい空気が触れるのに肩をすくめながらリビングへ戻る途中で、窓ガラスの向こうが淡く光っていることに気づいた。カーテンの隙間からそっと覗いてみると、白い雪が薄らと降り積もっているのが見える。まだ降り始めとはいえ、庭一面が白に染まる光景を見るのは久しぶりだ。この冬に入ってからは初めてである。果てしない夜空から降り落ちてくる粉雪は、音もなくさらさらと、重力など少しも感

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この日に祈る

この日に祈る

 八月七日は花火の日であり、鼻の日であり、のび太の誕生日でもあり、私の誕生日だ。そろそろ歳を数えることも億劫になってきたが、かつて独身時代には自分ではけして買わないであろう高価な贈り物に目を輝かせた夜もあったし、娘たちがまだ幼かった頃には、可愛らしい手作りの作品を貰ったりもした。数年前に長女から贈られた小さなバーバリウムは、今でもベッドサイドに飾っている。100円ショップの材料を使って作られた桜色

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今は友と呼ぶ

今は友と呼ぶ

 カレンダーが師走に変わるころから年明けまでは、毎年何かと気忙しい日が過ぎていく。やり残したまま積まれていた仕事の始末、年末年始のご挨拶の準備、会社と自宅の年賀状作成、お節料理のメニューづくり、餅つきと松飾りの準備、床間に飾る生け花の心配、大掃除と窓ふき、それらすべてに関する買い物といった具合だ。寒冷地に生まれ育ったものの、この時期の寒さが大の苦手なので、出来ることならあまり活発に動き回りたくない

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アーケード街の片隅で

アーケード街の片隅で

 駅からそう遠くない場所に、アーケード商店街がある。建設されたのは昭和半ば、商業地区の中心ということもあり、以前はかなりの人出で賑わっていた。現在は、建物の老朽化や個人商店主の高齢化がすすみ、はり紙付きのシャッターが降りたままになっている店も少なくない。好んで通っている映画館がアーケードの中にあるので、ときどき足を運ぶのだが、週末の昼間でさえ方々で閑古鳥が鳴いているような有様だ。婦人服や靴、美容室

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赤いダイアリー

赤いダイアリー

 赤い表紙の小さなモレスキンダイアリーを愛用している。片手で軽く持てるくらいの大きさは、鞄の奥に入れておくのにちょうど良い。書きとめるものは、朝のニュースで気になったこと、本の中の言葉、映画のセリフ、ふと思いついた他愛のない殴り書き。そんな些細なことばかり。モレスキンのペーパーは手触りがなんとも滑らかで、指先にしっとりと絡むようなその質感は、いつも心を穏やかにさせてくれる。たとえ書くことが何も思い

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透明な線の上

透明な線の上

花冷えのする空の下、ようやく満開に花開いた桜が散り始めている。花びらが風に流される姿は寂しいけれど、石畳の裾を薄紅に染めていく様子もまた、風情があっていいものだ。移り変わる風景を眺めながら、次女の登校に付き添うのが、このごろの日課である。

4月から通信制高校に通い始めた娘。タブレットでのレポート提出と映像授業が基本なので、毎日登校する必要はないのだが、「私は家にいたらぜったい勉強しないから学校に

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私の猫の思い出

私の猫の思い出

その昔、猫を飼っていた。東京で一人暮らしをしていた頃の話だ。白毛に黒のブチ模様がある日本猫だった。名前はフナ。猫に魚の名前をつけたら愛らしいのではないかと思ったのだが、気まぐれに付けたその名のまま、彼女は20年近くも生きたから、もっと女の子らしい可憐な名をつけてあげれば良かったと、今は少し反省している。生まれつき小柄なほっそりとした猫で、骨格も肉付きも華奢だったのだが、東京の下町に打ち捨てられた過

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本の感想 「父ガルシア=マルケスの思い出」

本の感想 「父ガルシア=マルケスの思い出」

父ガルシア=マルケスの思い出 さようなら、ガボとメルセデス
ロドリゴ・ガルシア:作
旦敬介:訳 2021年 中央公論新社

仕事の合間に立ち寄った書店で、いつものように海外文学のコーナーに目を向けた瞬間、色鮮やかに視界へと飛び込んできた本。田舎の町の小さな書店では、海外文学の取り扱いなどは慎ましいというか寂しすぎるというか、猫の額(猫に失礼だろう)という言葉が頭を過ぎるほどの、ごく限られたスペース

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本の感想 「乾いた人びと」

本の感想 「乾いた人びと」

乾いた人びと      
グラシリアノ・ハーモス:作 
高橋都彦:訳 2022年 水声社

図書館や書店を歩いていると、「本に呼ばれた」とでも表現したくなるような体験をすることがある。不意に少し離れたところから会釈されたような気がして振り返る。すると、取り立ててディスプレイされているわけでもない、いたって普通に並べられた本の中の一冊に、視線が吸い寄せられる。本棚を訪れた目的とはまったく別の本なのに

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本の感想 「イエスの学校時代」

本の感想 「イエスの学校時代」

イエスの学校時代  
J.M.クッツェー 2020.4.早川書房

「イエスの幼子時代」に続く二作目。血の繋がらない両親、代理父シモンと代理母イネスとともにノビージャを出た少年ダビードは、新しく辿り着いた町の農場で、あるダンスアカデミーを紹介され入学する。ダビードはアカデミーで出会った美しく神秘的な教師を慕い、数のダンスの習得に励みながら快活な学生時代を送るが、予期せぬ事件が起こり…というストーリ

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