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誰もが無理せず前向きに働ける職場環境なら業績も向上 社労士仲間とともに「企業文化を足元から変える」挑戦 下田直人さん〈後編〉

 7/13放送は、エスパシオ 代表、下田直人さんの後編でした。 
 社会保険労務士事務所を経営されている下田さんは「働く人が持っているパフォーマンスを最高に発揮できる職場づくり」のお手伝いをされています。

「就業規則」を整え工夫することの重要性に着目

 私が社会保険労務士事務所(後のエスパシオ)を立ち上げたのは2002年のことでした。開業したばかりの頃はまだ仕事が少なく時間もあり、たまたま色々な企業の就業規則を見ていたときに「もっと内容を工夫すれば、この会社に役立つのではないか」と思うことが多々ありました。当時、就業規則を重視している企業はとても少なく「法律上必要だから」と、ひな形の社名と出勤時間だけを自社に合わせて修正したようなものが多かったのです。
 
 そこで「こんなルールはどうだろう」「こういうルールがあるといいのではないか」と、思いついたことをいくつか書きだしてみたのです。例えば、今では当たり前になっていますが「結婚休暇はいつまで取得できるのか」といった内容です。昔は入籍してすぐ新婚旅行に行くのが普通だったため、あまり考える必要がなかったのかもしれませんが、今は結婚の形も様々です。籍を入れない場合や、新婚旅行は仕事が落ち着いてから、と考える従業員さんもいるでしょう。あるいは、10年後に「結婚休暇をとっていなかったのですが、今からとれますか?」と言われたときどうしたらいいか。これについては、従業員のライフスタイルが多様化している昨今の状況に即して、例えば「結婚休暇は入籍して1年以内に取得すること」というルールを予め決めておく必要があるのでは、といった内容です。
 
 このような案をいくつかまとめてレポートにしていたところ、たまたま目に留めてくださった経営者の方々から「あなたの書いているものは大変面白いので、うちの就業規則を書いてください」という依頼をいただくようになりました。そして私が作った就業規則にのっとった会社経営を行った結果、業績向上にもつながるといったことが起こったのです。その流れで『なぜ、就業規則を変えると会社は儲かるのか?』という本を2005年に出版することにもなりました。
 
 就業規則を変えると業績が伸びるのはなぜかというと、第一に、従業員にとってルールが不透明な中で働くのは不安だということです。同時にトラブルも起こりがちですが、ルールを明確にすれば未然に防げます。そうすることで経営者は経営に、働く人は働くことに集中できるようになるわけです。このことが結果的に業績にもつながっていくと私はとらえています。
 
 また、第二の理由として、経営者の気持ちの部分も大きいことがあげられます。やはり就業規則がきちんと整っていなければ、経営者は何となく後ろめたい気持ちを持つのではないでしょうか。しかし「ちゃんととしたものをプロに頼んで作りました」と言えると、自信が持てるようになります。この自信はとても重要で、なにより採用が堂々とできるようになるのです。
 
 就業規則を整えたから業績が上がるという直接的な因果関係を証明できるわけではありません。とはいえ、現実にそういった事例が発生することを目の当たりにして、しっかりした就業規則のもとで従業員が不安なく働ける環境は心地よく、何より大事なのだと改めて感じた次第です。

誰もが無理せず働くとは―カンボジア「伝統の森」との出会い

 私がこのような考えを持つようになったのは、たまたま縁あって訪れたカンボジアでのある体験からでした。カンボジアにはクメール織という大変美しいシルク織物があり、古くから有名でしたが、内戦が起こったことでたくさんの人が亡くなり、その伝統も消滅寸前だったそうです。このクメール織に魅せられ、なんとかして復活させたいと願ったのが、京都の手描き友禅職人だった故森本喜久男さんです。森本さんは山の中を歩き回って蚕の原種を見つけ出したり、村を歩いて年配の織り手さんを見つけたりして、この伝統文化を見事復活させたのです。
 
 「伝統の森」と呼ばれるその一帯には、工房と社宅のようなものが森の中に点在しており、200人ほどの人々が働きながら暮らしています。その森を訪れて実際に働いているところを見せてもらったのですが、簡素でありながらも小綺麗に整った工房にはハンモックに赤ちゃんを入れた横で働いている方がいました。赤ちゃんがちょっと泣いたら揺らして、また作業をして、というのを繰り返しているのです。また、もう少し大きな子どもは学校から帰ってくるとお母さんが働いている横にいて手伝いをしたり、ただじっとお母さんが働いているのを見たりしていました。
 とにかくいろんな方がいて、中には障がいのある方もおられたのですが、何かその働き方がとても自然な感じだったのです。やれる人がやれることをやっていて、決まりがあるからやっているのではなく、誰もが無理をせず働いている。しかしながら出来上がるものは一級品なのです。私はこの森の空気感に直接触れて、自分はこういう会社を世の中にたくさん作るお手伝いをしたいんだと、腹落ちしたのです。
 
 実際にお受けする相談は「会社としての利益は出ているものの、どうもうまくいかない。もっとチームワークを良くして、みんなが仕事を楽しく前のめりにやれるはずなのに」といったものが多いです。なぜだか分からないけれど社員が辞めてしまうとか、社員に訴えられてしまうなどといった相談もあります。この場合、経営者自身も理由が分からず悩んでおられるため、一緒に原因を探ることになります。
 
 そのためには、経営者の方に長い時間をかけてインタビューを行ったり、現場を見せていただいたりしてアセスメントした上で、いくつか仮説を立て検証していきます。こうした関わり方は医療でいうところの「かかりつけ医」といっていいのかもしれません。「まずは私たちに気軽にご相談いただければ、だいたいのことは診られますよ」とお伝えしています。しかしながら診断(アセスメント)した結果、私たちには手に負えないことが分かった場合は「大学病院」などを紹介します。私たちには専門的な各方面のパートナーがいますので、きちんと紹介してつなぐことが可能で、それも重要な役目です。
 
 昨今流行りの外資系のコンサルティング会社が行っているコンサルテーションは、やはり経営側の効率化や業績アップが主目的だと思います。一方、私たちが行う「健康経営」のサポートは、第一に従業員の皆さんの「精神的な健康」を高め、誰もが無理せず前向きに働くことができる職場環境をデザインします。その結果として業績が上がることを目指しているのです。 

同じ志をもつ仲間を増やし、企業文化を足元から変えていく

 実は昨年の秋、新たに社団法人を立ち上げました。もし、同じ志を持つ社労士の仲間を2030年までに1000人に増やすことができたなら、「健康経営」をキーワードに足元から企業文化を変えられるのではないか。本気でそう思い、活動を加速するために法人を立ち上げたのです。さらに今、仲間とともに「社労士の定義を変えよう」とも話し合っています。専門的な知識や法律を使って企業経営をサポートするだけではなく、誰もが幸せな組織づくりをサポートする新たな職種として、社労士が活躍していくことができればと思っています。

◆中村陽一からみた〈ソーシャルデザインのポイント〉
  下田さんは、社会保険労務士として事務所を開業した当初から、それまであまり重要視されていなかった「就業規則」に着目し、働き方のルールを整えたり工夫したりすることで、経営者にとっても従業員にとっても幸せな経営=「健康経営」につながることを言い続けてこられた。下田さんご自身が既に従来の社会保険労務士という領域を超えて、何か新しいソーシャルデザイナーの一種と言える職能を発揮しておられるが、さらに同じ志を持つ仲間を増やすことができれば、最終的には中小企業の組織文化を土台から変えていくことに繋がるだろう。社会保険労務士の定義を新たにしたいとの思いもうかがったが、新たな定義に相応しい名称をつくり、これを広めていくことができれば、それもまたひとつのソーシャルデザインと言えるのではないか。 

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