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私と母親との関係

私の母の事を語るなら
なんだろう.…と考えた時に、
浮かんでくる言葉やエピソードが多すぎて
今でも苦しくなる事もあったり、混乱する事も多いので
中々まとまりにくいのですが.…

でも一言でいうのなら
私の一番のファンであり、一番の支配者でもあった存在
という言葉がしっくりくる様な気がします。

彼女は、彼女なりに私の事を愛してくれていたし、味方でもあった。
でも同じくらい、
私の心を、その後の人生の時間(少なくとも半分以上)を、
支配していたし影響を深く深く与えていた。

3人きょうだいの中で「私だけ」

私は3人きょうだいの真ん中で
兄、私、弟と男兄弟に挟まれた唯一の女児でした。
物心ついた頃から少年ジャンプを読んでいたし、毎日外で転げ回って遊んで、園では男の子と喧嘩ばかりして生傷の絶えない様な
いわゆる「男勝り」とか「おてんば」と言われる様な子供でした。

私自身も、女の子と遊ぶよりも男の子と遊ぶのが好きだったし、
お人形遊びよりも外で秘密基地を作ったりするのが好きな子供でした。

母は、幼少時代から目を引く美人さんで育ったらしく、
私も母に似て造形は良かったので
(七五三の写真を見ると、我ながら可愛いなぁと思える3歳児です笑)
「こんな美人さんに産んであげたんだから、親に感謝しなさい。」
というのが、母の口癖でした。

白いレースでフリフリのワンピースを着せられては、
私だけ母の用事に連れ回されました。
行く先々では「あら、可愛いお嬢さんねー。」と言われ
「そんなことないですよー。男勝りのおてんばでーもー。」と
謙遜しつつも上機嫌な母に。
誰だか分からない大人に
「ほら、ちゃんとご挨拶しなさい。」と注意をされ
挨拶で声を出そうものなら
「あら、顔に似合わない声ねー。」とビックリされる所からまた始まる
「お恥ずかしい本当にお喋りな子で声帯を潰しちゃってー。せっかく美人に産んであげたのにー。」という
私の声に関するエピソード.…
これが一連の流れでした。
今思えば、こうして可愛い娘を自慢して褒められるということが
当時の母の中でのステータスだったんだろうな。と思います。

お陰で私はすっかりフリフリのお洋服が苦手になり、
自分の声は「顔に似合わない変な声」なんだというコンプレックスを抱えることになりました。

「女の子なんだから行儀よく座りなさい」
「女の子なんだから青よりも赤でしょ」
当時の男女教育に漏れず、我が家もこういった環境で
「女の子なんだから」という言葉を何度聞いたことか.…

中でも私が一番嫌だったのが
「女の子なんだから、お手伝いしなさい」という言葉です。

普段の家でも勿論、親戚が集まる場では特に、
兄や弟、従兄弟も全員男の子だったので
唯一の女の子である「私だけが」台所・料理等の手伝いをやらされる。

みんなは遊んでいるのに、私だけが「女の子」っていう理由だけで何故?

訳を聞いても、どの大人も回答は一律「女の子だから当たり前」
幼心に納得ができず、モヤモヤした感情だけが残り.…

私が未だに「男だから」「女だから」という言葉や理由付けに
敏感に反応して攻撃モードに入る(笑)のは、
この幼少期の出来事が始まりだと思います。

「同じ女なんだから」という呪い

3人の子供の中での唯一の同姓
という事も、当時の母にとっては拠り所だったのかもしれません。

私が産まれた頃には夫婦関係は破綻状態だった両親。
主な原因は父の酒乱ですが、まぁ.…他にも色々あったんだろうな。と
成長してからは思います。

それなのに2年後、なんの間違いか産まれてしまった弟。
朧気な記憶ながらも、5人家族、幸せだった時も、楽しかった時も確かにあったなと思います。

それでもやっぱり父は出ていき、女手一つで子供3人を抱えた母は
本当に苦労したと思います。
(途中、兄と弟は父に引き取られ数年を過ごしますが、再婚相手に虐められるという経験をしています。)

そんな中で、母がよく言っていた台詞が
「○○(私)は娘だから、お母さんと同じ女だから、○○にしか話せない」
でした。
そこでの話は、
夫婦としては無理だったけど、父親としては素晴らしかったという事。
父親と離ればなれにさせてしまってすまないという謝罪。
私はダメな母親でごめんねという謝罪。
そんな事だったと思います。

ですが私にとっては、話の内容よりも
「私にしか」という言葉の方が重要で。

それはまるで、
「私だけが特別」「私が一番お母さんに愛されている」
そんな高揚感を与えてくれる、まるで中毒性の高いお菓子の様な言葉でした。

私はその言葉を言われる度に
「私がしっかりして、お母さんを支えなきゃ」
「お母さんは大変だから、甘えて迷惑をかけない様にしなきゃ」

そんな考えを持つようになり、
いつしか
「人を頼れない、弱味を見せられない」
「自分で解決して自己完結」
そんな性格が形成されていきました。

それはまさに、
父との夫婦関係に悩んでいながらも、
外に相談したり頼ったりせず、自分の内だけで抱えていた母そのもので。

私自身も長年、
「人に頼る、甘える、腹の内を見せて相談する」
という事が苦手(というか出来ない人間)でした。

それって今にして思うと
母からの呪いの様な言葉だったんだなと思います。
(勿論、当時の母も私もそんなつもりはなくたって。です。そこがまた怖い)

今、こうして文章にしながら、記憶の整理をしていくという作業の中で
1つ、また1つと
あの頃の自分の記憶・感情の答え合わせをしている感覚です。

最近読んだ漫画の中のセリフで
娘に訪れるすべての幸福も厄災も母親に由来する
というのがあったので、
ふと思い立って書いてみました。

私にとっては、その言葉はまさにその通りだなぁと思えるもので。

人は誰だって、「誰かの影響」を受けて育ち、生きている。
「誰の影響も受けていない」なんて人は一人だっていないと思う。
(産まれてから死ぬまで無人島で孤独に生涯を終えない限りは笑)

だからこそ、その「誰かの影響」の最たるは「母親」なのだと思うし、
それは息子でも娘でも同じなんだろうけど、娘の方が影響の度合いが大きいのだろうなと思う。

私の経験した「女の子なんだから」「娘だから」っていう言葉による
私のその後の人格形成、その後の経験、がまさに
その通りだったな.…と感じずにはいられないセリフでした。

このセリフが出ている漫画は、後日別カテゴリ[本や漫画のこと]に
載せたいと思います。

今日はここまで
最後までお読みくださり
ありがとうございました🌈🐦


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