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わたしのインド映画遍歴

ここ最近日本でインド映画が人気である。
「RRR」や「バーフバリ」やら。
残念ながらこの2者でいえばわたしは「バーフバリ」の前編しかみていない。無料配信になったらみようかな~、とかいうさもしいことを考えていたためである。

でも「バーフバリ」をみたとき考えたのは、えええこれがいい映画なんならシャー・ルク・カーンの「アショーカ」(いわずと知れた、釈迦入滅後に仏教を保護したインドの王さま、のお話です)だってすごいよかったじゃんということだった。そこではたと気づいた。

「アショーカ」、日本で公開されてない?
ほぼ売ってない?
日本語字幕版でてない?

そう。わたしが「アショーカ」をみたのは、何をかくそう新疆ウイグル自治区ウルムチにいたときだった。字幕は漢語だったと思う。ウイグル語ふきかえもあった。

ストーリーはアショーカ(シャー・ルク)の愛の崩壊がかれを戦争にむかわせ、それが愛を完膚なきまでに打ちこわしてしまい、その虚しさがかれを仏教保護へとむかわせるといったものだったが、いつもコミカルな演技ばかりしているシャー・ルク・カーンが徹頭徹尾まじめな演技をしているのにはひきこまれた。水や岩場にこぼれたミルクの映しかたが本当に美しかった。インド人の美的感覚すごいなと思った(「大河のうた」とかからみると、変化がすごい)。


ウルムチは面白い街だった。隣の甘粛省等ではそうでもないと思うのだが、ウルムチはアラブ、ロシア、中央アジア、トルコ、そしてインドといった西側(?)のエンターテイメントのハブなのである。こんな歌手が、こんな映画が、というのがたくさんでまわっている。
何でこんな豊かな情報が日本には入ってきていないの?(少なくとも表舞台には)
ここは世界の「裏側」か。
ウルムチに留学しているあいだに、わたしはトルコのヒットソングやアラブの著名な歌手やら、そしてインド映画のダンスシーンの美しさに魅了されまくった。

NHKの新シルクロードでウルムチの回があったとき、わたしはこのウルムチの地球の「裏側」としての魅力が少しでも言及されるかと期待していたのだが、なんにも言及されていなかったと思う。NHKのスタッフも新疆大学に一年くらい留学すればいいのにと思った記憶がある。

実際ウルムチにはパキスタンや中央アジアからきた人たちが泊まるホテルもあり、ウズベキスタンの歌手がウルムチに公演におとずれたりもしていた。
↓ウズベキスタンのフォークソンググループYallaの歌うqin nuri。

↑Yallaのウルムチコンサートにはわたしも行った。
コンサート後の出待ちをして握手までしてもらった。
かれらの歌うチャイハネのサビ「なわず峠」が日本人留学生のあいだで「なんていう意味?」と話題になったりしていたのだ。

ほかにでまわっていた映像としては
↓いわずと知れたトルコのタルカン!

↓レバノンの歌姫ナワル・アル・ゾグビー!

↓エジプトのアミール・ディアブ!

ウズベキスタンのユルドゥズ・ウスモナバ!


ウイグル族の友人たちとよくつきあっていたせいなのかなんなのか、わたしにはこういった西側の情報ばかりがどんどん流れ込んだ。


「アショーカ」は主演女優のカリーナ・カプールの美しさが頂点に達していたときでもあった(ルッキズムすんまそん)。↓※相当エロチックです


カリーナ・カプールは映画「Kabhi khushi kabhi gham」のときにも、いや増すオーラがあったけど、


日本で人気になった「きっとうまくいく」のときはオーラが熟成していてちょっと残念だった。


撮影当時に齢40に達していたという主演のアミール・カーンには不自然さを感じなかったんだけどなぁ。
パキスタンで人類学的調査をしていたとき、『地球の歩き方』の裏表紙にのっていた上戸彩を指さして「これは誰だ」といわれたことがあったのだが、俳優だよなぁと思って、とっさに「日本のカリーナ・カプールだ」と答えたら、鼻で笑われたのはよい(?)思い出である。

バーフバリをみているとアショーカのことばかり思いだしてしまうわたしはちょっと古い人種なのかなぁと思うが、皆インド映画の底力を知らないんだよ(もっといろいろあるよ)ということにしておきたいのは古株の遠吠えということで片づけてくださって結構です。。。

その後にみたのはランビール・カプール(男優)とプリヤンカー・チョープラー(女優)の「バルフィ」。
ダージリンとコルカタ(カルカッタ)が舞台なのだが、ダージリンは実際に行ってみるとネパール系の人達(というか日本人じゃないの?というくらいモンゴロイドな人達)がみっしりと男も女も元気に働いていて、ここもインド?!という街だったのにはびっくりした。


で「バルフィ」のプリヤンカー・チョープラーの対抗馬(?)の女優なのだが、こっちのほうが「かわいいじゃん」という男性評をネット上でみた記憶があるのだが、わたしは「女優にオーラがないとこうなるのかー」という気がしてしょうがない。線が細い!
対するプリヤンカーは徹底的に美女度を下げた装いでの演技をしているのだが(障碍者の役)、実はこの人ミス・ワールドの優勝者なんですよねぇ…。にじみでる地の美しさが半端ない。

内容自体は、障害者同士でも幸せに暮らしていけるのがインドなのか?となんだかうらやましくなるあらすじなのだが、まあ相当部分がおとぎ話だとしても、わたしが一番いいなと思ったのは、
結婚というのが他人を所有したり使役したりするものではなくて、一緒に楽しく暮らしていくことなのだ、というおとぎ話を現実にみせてくれたところ、だったりする。

現実はインドもジェンダーギャップは相当低くて、映画「マダムインニューヨーク」なんかはわたしも一応は好きなのだが、夫や子が妻(母親)をばかにしたりするシーンをみるのがつらく、ついぞ「マダムイン…」の円盤を買おうと思ったときがない。「マダムイン…」の感想がまだネット上をにぎわせていたころに、主演女優のシュリデヴィがドバイのホテルで急死したのにはとてもびっくりした。


だからがんばれ女の子!な映画である「ダンガル」なんてのは当然めっちゃ好きである。アミール・カーンが甥っ子役の男の子のことはポカポカ叩くのに娘には決して手をあげない(でも娘にはほうりなげられる…若いからさ)ところもポイント高い。
そしてセリフは少なめでも顎の動きとかちょっとした手のしぐさだけで万語をかたるアミール・カーンのレスリングの「師匠」っぷりも見事。そのうえで、ほんの数秒のアクションで勝敗が決まるレスリングの試合の緊張感がたまりません。
しかしコモンウェルズ大会、そんな国際大会があったとは。
世界は広い。


「バルフィ」の主演男優のランビール・カプールにはまだまだ魅力的な映像が多数あるので、映画をみてみたいのだが、結局英語の字幕でみることになるので、まだみられていないものが多い。


映像美にひかれてレンタルしてみて、失敗かなぁと思ったのがこれ

学校の恋愛物ってのがなぁ。
ダンスシーンでカージョルがチラ見できたのは嬉しかったが、内容薄すぎ。

日本語字幕版がでてみやすかった映画に「めぐりあわせのお弁当」がある。
これは近所のおばさん役を徹底してださないところとか(出演料節約?)画面のシンプルさの演出でポイント高かったが、男優(イルファン・カーン)が不出来な同僚を擁護しちゃうところとかちょっと消化不良。そしてインド人もインドを出てき行きたいほどアンニュイな生活をしているのか…と少し悲しくなるし、外国にそういうものをもとめてもうまくいくのかなぁと全体的に切ない。これも妻がかわいそうなあれなので、円盤は買っていない。カリフラワーのカレーをみるたびに思い出す映画ではある。
わたしも手のこんだお弁当は食べたい。


「女神は二度微笑む」↓も日本語字幕版があったので喜んでみてみたのだが、推理なんかする以前に、実はそのストーリーが徹頭徹尾視聴者をだますものだった、というストーリー構成は意地が悪くてわたしは好きではない。こういうストーリー構成って人気あるのかな。

映画自体は二度は見ないかなと思ったが、アミタ―ブ・バッチャンの歌うエンドロールの「ekla cholo re」はよかった。仏陀の「犀の角のようにただひとり歩め」(インドの『地球の歩き方』の表紙にのっている詩)みたいでいいよね。


そして、わたしが初めてインドの映画館でみた映画がTaal。


この主演女優アイシュワリヤ・ライもミス・ユニバースの優勝者なのだが、印象が薄い。わたしは生命力あふれるタイプの女優をみるのが好きなのだ。男優のほうもいつも不安そうに眉間にしわをよせているタイプで、まよえる子羊みたいだなぁということで、脇役の男優ほうがよく覚えている始末である。その後ほかの映画で彼(子羊)をみないから、インド映画界から干されちゃったのかなぁ。
ただこの曲ishq binaだけは記念にカセットテープを買ってきていて、インド楽しかったなぁとよく聞いていた。日本の家で料理をしながらサビ部分を高らかにうたっていたところ(4:10ぐらいからの部分。ちなみにわたしはヒンディー語はさっぱりわからない)、母親にもう手遅れだなと思われたのはいい思い出である(学者の道にすすむ後押し)。

アイシュワリヤというと、その後のBunty and babliでみたkajra re(曲)の映像のほうが印象が濃い。


それから、新疆でみて漢語字幕、英語字幕、ウイグル語吹替でみまくったのが、kuch kuch hota hai。わたしのインド映画のスタート地点である。
クチュクチュホタヘ、「私いま恋してない?」みたいな意味のことばだったと記憶している。

シャー・ルク・カーンとカージョル、ラニ・ムカルジーの三角関係(といってもひどいのは自分の心を決めかねたシャー・ルクだけ)の恋愛模様というか、友情は愛情なのか、みたいなことを最後の最後まで問う、みたいなストーリーなのだが、切ないカージョル(最初は振られる)の気持ちの変化や、序盤のラニ・ムカルジーの健康な色気がたっまりません。
そしてなんといっても後半のシャー・ルクと別の道をあるきはじめたカージョルの伴侶(予定)のサルマン・カーン(男優)。彼が!いい人すぎる!

彼は最後の最後にカージョルをシャー・ルクにゆずるのだが(結婚式の場で!大変難しい演技。悲しいんだか悔しいんだか。でも半端ない彼の包容力が海をもぶちぬく瞬間でもある)修論執筆時に同期の男にみせたところ「ああああ俺にはあそこで(サルマン・カーンのように)踊ることはできない!」といっていたので、メンツだのプライドだの男の沽券をこえていくサルマン・カーンの魅力が爆発する映画だと思う(男性のみなさんどうですか)
カージョルを諭すあのラストのシーンなんかねぇ、もう。

サマーキャンプにシャー・ルクが駆け込んで「アンジェリー!」と呼ぶと、2人のアンジェリ―がふりむくところ(ティナはラフール(シャールク)との婚姻後もアンジェリーの存在を気にかけていたので、一人娘の名前をアンジェリーとつけてほしいと遺言を残して産後のさわりで死去。で娘(アンジェリー)が母親(ティナ)の遺言で友人のほうのアンジェリーをさがすというストーリー)、


東屋でのダンスシーン、お互いにいいのかな、いいかな、と相手を気遣いながらあゆみよっていく名シーンの連続である。わたしとしてはスポーティなカージョルなままでもちゃんとつかまえろー!という気もちでいっぱいなのだが、インド人もそう思っていたんだろうなと思っている。
少なくともラニの生前にさぁ。


ひっどいなぁ、ということで名作kabhi kushi kabhie ghamができたのだと思うのだが(シャー・ルクがラニの生前にもかかわらずカージョル一筋)そうなんだよね、インド人、そうなんだよね。

インド映画の受容範囲はかなり広い。新疆ウイグル自治区からはじまって、日本の西側に大きく広がっている。なんで”インド”がこの範囲の文化の発信地点になっているのだろうというのはいつも思っていたところである。

で、このあいだ日本の大学の寮にちょっといったときに、イギリス人とつきあっていて大学院もそっちに行こうと思っているという学生さん(修士、文化人類学)に会い、イギリスですかぁ、いいですねぇ、インド映画めっちゃみられそうですね(植民地時代の名残で住んでいる人も多いし、大体首相がいまインド系じゃないですか)といったら、さめた目で「イギリス人はインド映画なんてみませんよ…」といわれた。





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