大阪(百舌鳥・堺・天王寺)【2020/02/02】
夜行バスを降りた早朝の御堂筋は乾いた冷たさ。大阪に来るときはいつも早朝だった気がする。人間はいないけれど、ビジネス街という場はそこに残されたままになっていて、もうすこし時間がたてば再び人間で満たされてゆく。丁度一年前に大阪に来たときは、中国へ飛ぶために関空へゆく中継地点だった。そのとき、行こうと思った珈琲店は定休日で、泣く泣く梅田の地下街で早朝にあいている喫茶店を探した結果、泉の広場の一角に流れ着いたのだった。あの日のリベンジをしようと再び珈琲店に向かうも、また定休日。奇しくも同じ曜日に大阪に来たようだ。
この日はそのまま南下して百舌鳥へと向かう。有名な古墳群のある地域だ。空は明るくなってきたが、車窓から見える大阪の住宅街はまだ半分は眠っている。建設途中のスタジアムには稼働前のクレーンが横たわっている。
三国ヶ丘の駅を降りると仁徳天皇陵の北の端に出る。大きな古墳の周りには「陪塚」と呼ばれる小さな古墳群を伴うことがある。仁徳天皇陵にも、孫太夫古墳などたくさんの陪塚がある。それらを囲む水辺は、鴨たちの憩いの場となっている。
古墳の正面にある公園では、マラソン大会が開かれていた。関西弁のおじいさん、おばあさんが互いに大きな声で励ましあっている。そのわきの茂みや木々の上には雀たちが群れて憩っている。
宅地造成が進む住宅街に点在する古墳に残る痕跡で面白いのが、いたすけ古墳に残るこのコンクリートの橋の残骸。かつて住宅になる予定だったものが、住民の反対により古墳ごと守られた痕跡である。今は見られない無数の古墳がこの周辺にはあったらしい。
近くで気になっていたカフェ「マメカン」の開店時刻になったので、駅へ戻る。百舌鳥の朝はようやく明るくなってきた。
ここはコーヒーにこだわりのある店。コーヒーももちろん美味しかったのだけれど、チーズトーストがとても良い。上に乗ったレモンが意外で、チーズにあう。
たまたま猫を撮ったら跳躍ど真ん中だった。
個人的に大阪の特徴だと思っている点は、建物の個性。このむき出しの渡り廊下が突き抜ける建物の一階はなんと蕎麦屋である。
そして歩いて30分もすれば堺に至る。「堺」という地名は摂津国と和泉国の境界にあるためにそう呼ばれるようになった街である。今でこそ堺は一つの街であるが、かつては摂津側と和泉側では盛んな業種も全く異なり、それぞれの街を形成していた。
これは今井家の屋敷跡である。今井家といえば室町時代の豪商今井宗薫・宗久らが有名である。戦国時代は武家だけでなく、商人、僧侶にとっても戦の時代だった。元は堺では武野紹鴎らの一族が幅を利かせていたが、政権の交代により徳川に近かった今井家が堺を牛耳るようになった。今井家は後に徳川政権の役人として江戸にも出仕する。そして戦国末期、関ヶ原の戦いに敗れた豊臣方は、最終的に大阪城周辺の三国のみを安堵される。しかし商業の要所である堺のみは例外として徳川の直轄地となった。そしていよいよ豊臣秀頼が家康に刃を向けられる大坂冬の陣では、秀頼は徳川に近い堺を焼け野原にしてしまう。今井家の屋敷もその例に漏れず、焼かれてしまう。よって、現在ある堺の街の区画は江戸時代になってから新たに区画されたものである。
因みに堺には「一等三角点のある日本で一番低い山」である蘇鉄山がある。標高は6.8m、歩いて数十秒で登れてしまう。
個人的にはとてもときめいたのだけれど、そうでもない人が多いらしい。ちなみに一等三角点のない山では日和山(宮城・3m)や天保山(大阪・4.5m)が最低の山としてあげられている(地理院地図のデータ年度によって異なる)。しかし折角なので大阪を持ち上げると、天保山は「二等三角点のある日本で一番低い山」である。
ほどなくして大阪中心部へ。あべのハルカス。高い。
そしてかねてより来たかった天王寺動物園に向かう。入園ゲートからやたらとゾウがいないことをアピールしている。ゾウはいなくてもいい。興味があるのは鳥だ。
優しそうな顔をしているハイエナ。
遠吠えをするオオカミ。
切ない顔の鹿。
ホロホロチョウは何がどうなっているのかわからない。
明らかにそこにいるべきではない区域にいた方。そこはシロクマの檻なので、おうちに帰ってほしい。
夜は追いかけているアーティストのファンクラブイベントへ。楽しい夜だった。
夜の道頓堀は遠巻きに眺めると案外静かである。大阪の好きなところは、川が川のまま残されている点だろうか。たまたま話したお弁当屋さんのお姉さんはとても気さくで優しい人だった。
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