恋の短歌|文体&仮名遣いのこと|藤田湘子



渦を巻き
あふるるごとく
せき切って
愛し給えと
とがを乞う君


戦慄わななきて
まつげの先の
熱を
明日の命を
ついやすがごと


世のひとを
きずつけながら
きずを負う
手負いの我を
君よ 愛せよ


泣きそぼち
消せぬうずみ火
あることを
君よりほかに
おしうるは無し


降りうずむ
熱よ雪花せっか
ただなかに
我を埋めよと
君の手を乞う



 最近、早朝に目が醒めると、なにかのフレーズがやってくる。iPhoneにメモ。どうやら短歌みたい。「〇を乞う君」の2音を、寝ぼけたまま当てはめてみる。全体に負けない緊張度の言葉、そう、「咎」。
 でも、なんだか「禁断の恋」みたいだなあ...と、うつらうつら。そんな感じでいくつか書いて。朝ちゃんと起きてから、文法ミスがないか辞書で活用を確認。

 翌日にかけ、正しく名指せていなかった言葉をいくつか差し替えていく。変にドラマチックになったわ〜〜( 〃▽〃)
 これも何かの物語のヒロインの呟き。
 アンナ・カレーニナみたいに巻き込まれたんだと思う...ヴロンスキーは罪作りな人ですよ(T_T)
 ・・・でも、男性が読むと、《我》は男性だと思うのかしら?🤔 どちらでも読めますね。

 おそらく、より正確には、私は空っぽの器あるいは大きなパラボラアンテナみたいなもので、《誰か》の想念が流れ込んでくるのかなと思います。《誰か》というのは私が見聞きし読んできたものの総体で、私自身の《心》や《精神》はその組み合わせ、バリエーションに過ぎないのだと思います。だから、書くことは、空っぽになって受容する作業でもあります。「ことばの花びらをあつめる」作業です。


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 さて。
 文語表現+現代仮名遣いの組み合わせにした理由。

 文語調でないとうまく書けないのは、文語の方が口語より音数が少ないから。し→いとしい/愛らしい など。
 31文字という短い音律は、古語の中で生み出された形式です。文語は古語の延長だからなんとかやりくりできますが、口語だとれられる単語数そのものが減るのは論理的帰結というもの。口語で書くなら、少ない情報量を活かす表現をしない限りぼんやりしてしまうのですが、私にはそこを乗り越える技量(&熱量)がなく、文語好きなので自然にそちらに傾きます。

 となると、歴史的仮名遣いのほうがふさわしいのですが、そこまですると、読む人を選びそう。そしてなにより、私がきちんと習熟できていないのです(^^ゞ
 文語体、口語体などの文(法)体(系)が"意味"や"音色"なのに対して、仮名遣いのほうは"呼吸"や"仕草"みたいなところがあるのかも?

 歴史的仮名遣いももう少し習得したい...(◍•ᴗ•◍)✧*。(でも手が回らない…)

 なお、「文語表現+現代仮名遣い」のペアリングについては、俳人の藤田湘子さんがご著書の中でGOサインを出しておられます。

 俳句を詠むことはほぼないけれど、それでもうっかり書くことがあります。いろいろルールがあるから入門書は読んだ方がいいかなと思って手に取りました。

 実直な語り口、示唆、雅趣に富み、たまに見かけるテレビのあの方と違って(汗)怒られないので好きです。週立てで、〈今週の暗誦句〉として近代俳句の紹介があるのもいい。私はそれで飯田蛇笏いいだだこつを好きになりました。

 再版を重ね、ついに文庫化されていたのですね(^^)/


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