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句集『広島』のこと|8月6日に

今年も8月6日を迎えました。

ここ広島では、被爆や反核についてのニュースが通年聞かれるのですが、蝉の声が響く頃になると、反戦に関するいろいろな取り組みが盛んになるに従って、報道も頻度が高まります。

NHK のような全国放送よりも、地元の民放で積極的に取り上げてくれるので、それもあって、この頃すっかり地元のラジオを聞きながら過ごすようになりました。

5日ほど前の朝の放送で、中国新聞のこんな記事が紹介されていました。

原爆投下から10年後の1955年に刊行された句集「広島」約500冊が、広島市中区の民家で見つかった。
記事より


原民喜さんの句も載っているとのことだったので、図書館で借りてみました。
まだ通読の余裕がないので、つまみ読みしたのみです。が、俳句はいわゆる俳人よりも、ぜひ伝えたいという想いを持つ一般市民が詠む一句の方に力があると思う私には、《ヒロシマを伝える》という本来の目的と併せて、非常に興味深く感じられました。


67年前の本(ステンレスおりづるを載せました)


🍃句集『広島』について

どういった経緯で編まれた句集なのかといえば:

広島市および周辺の、五つの俳句誌の主宰者たちと、この道の良き理解者とが先達となつて、県下はもちろん、広く全国の志を同じくする人に呼びかけて募集された、原爆体験の句、原爆の光景・立ちあがる新生広島・平和の祈りなどの句より成る。
 より(広島大学学長・森戸 辰男)


1955年当時のこの序文。原子力の平和利用が世界で進んでおり、日本もそれに続くであろうことが、希望をこめて高らかに語られています。原発事故などを経た現在の私たちから見ると、もの悲しさを漂わせているのですが...。


🍃俳句のご紹介

氷水のませば死ぬる呑ませけり
われは神か余命ある眼にすがらるる
西田紅外

月もけるや焦土に妻の影おかず
後燈明俊治
狂いたし死にたし夏日赤く照る
釜我 半夜月
人が人死なしめ街に聖菓あふる
石田朴葉
ひろしま忌 語る汝が瞳のおきどころ
ケロイドの娘の母として広島忌
磯貝紅村
ひろしまや少女の骨を素手に拾ふ
月灼くる広島燃えて海も燃ゆ
板倉孝子


死に近きものみなもだし木下闇
戦慄のかくも静けき若楓

 原子爆弾 三句
日の暑さ死臭に満てる百日紅さるすべり
廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる
秋の水焼け爛れたる岸をめぐり

飢えて幾日青田をめぐり風の音
山近く空はり裂けず山近く
吹雪ありに幻のちまたあり
原民喜(抜粋)


↑↑ルビは私が勝手にふりました...違っていたらごめんなさい💦

原民喜さんについては、以前読んだ評伝および句集の掲載順から、おそらく、初めの2句は、貞恵さんの死去ののち、千葉の家をたたんで広島に帰ってこられた頃の句。原爆の句を挟んでの3句は、終戦後の苦境にあって詠んだものと思われます。このあたりは、『定本原民喜全集』を見ればわかるのでしょうね。いつか手に取ってみるかな...🤔



🍃「おわりに」より


俳句もどれも胸に重く響きましたが、最も今日にふさわしいのは、この部分かもしれません。

あらゆる場所で、あらゆる形で、ひとびとの「はかない努力」はくりかえされて来たし、今後もまたくりかえされなければならない。そのような捨石の累積の頂点で、すべての悲願切望は成就するのだ。
おわりに より


小さな、ささやかな積み重ねを、今後もゆるゆると続けていこう...と、決意というほどでもないけれど、意を新たにしたのでした。



🍃「大きな言葉」と「小さなことば」

作家の高橋源一郎さん。
私は彼の読者ではなくリスナーなのですが。
時折、「大きな言葉」と「小さなことば」について言及なさいます。

「大きな言葉」は、"戦争は絶対だめ"、"平和は大切"、"民主主義"、"正義"など、正しいので議論の余地なく皆が頷き、そのまま会話の終わる言葉。

一方の「小さなことば」は、もっと個人的な体験だったり考えに根ざしたもので、千人いれば千通り。
そこには、きっかけとして議論したり、考えを深め合ったりする"対話"のための空間がある。

私が"反核"とか"NO WAR"といった言葉をそれほど使わず、また使う時にはなにかためらいのようなものを感じるのは、これらの言葉の中にある"絶対的に強い"、"反論を許さない"圧力が、肌になじまないからだったのかもしれません。それらの言葉は、ゆえに、時にシュプレヒコールにもなったりするほどの強さで、使いようによっては爆弾や兵器にすらなる、怖い言葉でもあります。

一方の「小さなことば」。曖昧でも、拙くても、時に誤ってさえいるかもしれなくても、自分の言葉で伝えようと試みること。そこから生まれ、共鳴をはじめる、ささやかな"想い"です。

今回ご紹介した俳句も、「小さなことば」の、小さな小さな結晶なのかもしれません。世界一短い詩、それが俳句ですから。

それを核にして、少しずつ、みなさまひとりびとりの言葉が自然に析出し、手のひらに抱ける、ほどよいサイズの結晶に育っていく。それを心待ちにしたいと思います。



🍃「語り得ない」もの

2022.8.5 NHK R1放送の「高橋源一郎の飛ぶ教室INヒロシマ」で、ゲストの堀川恵子さん(『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』等著者)が、このようなことを仰っていました。(要約です)

私たちは、ほんとうに原爆の惨禍について《語る》ことができるのか、という問題があります。私たちは35℃あたりの気温で暑い暑いと言っているけれど、あの日、地表の温度は3,000〜4,000℃、熱線と爆風と放射線で、一瞬にしてかき消えた何万(実数不明)もの人々は、そもそも語ることすらできなかった。そこに我々は、ほんとうに迫ることができるのか。「語り得ない」ことを核に据えて語らないと、なにもかもが空虚になる。私はいつも死者に詫びながら書いています。


それを受けた高橋源一郎さんの言葉(あらまし)

ぼくたちは「わからない」んです、絶対に。でも、わからないと言ってはいけない"義務"も、今生きている人間にはあるのではないか。そう思いながら書いています。



堀川さんのような、ジャーナリスト&ノンフィクション作家として、人生をかけて向き合っておられる方を引き合いに出すのはおこがましい限りですが、私もそう思うのです。

未来の平和のため、とか、政治的課題、とかではなく、突き詰めればただただ「詫びたい」であり、私個人が言葉を宛てるなら「平和な時代に生まれ育っていることの"後ろめたさ"」に尽きるのです。

それは、原爆の荒野のただ中で、自宅跡地と思われる場所にバラックを建て、商店を作り、仮の学校を囲み、ひとつひとつのステップを踏んで街を復興していった人々の血のにじむような努力の上に、自分があぐらをかいている、そのいたたまれなさ。

一方で、未来に向かっては...時代は現在敷かれたレールの上を進んでいきますから、数十年の内に戦争が起こるようなことがあれば、下り坂をしつらえたのは私たち、ということになります。

さらに言うなら、資源を使い潰し、温暖化させ、環境を破壊して、将来の世代から多くのものを奪って「快適至便」に生活している。

そう考えると、祖先からも子孫からも多くのものを受け取り、無理に奪うようなことをして、今の時代に生きているわけです。「親ガチャ」式に言うなら「時代ガチャ」。

そのことに直面すると、もうなにも語る言葉もなく、こうして生きていることの"はしたなさ"に、ただただ頭を垂れるしかありません。

それを少しでも晴らすために、ヒロシマについて書く私。それはとてもとても"しんどい"ことだけど、日常生活においては、すべて忘れてささやかな日々を享受することができるわけですから、「せめてものつぐない」にすぎません。



🍃しだれ柳の前に立つ

今日も所用のため気忙しく、平和公園には行けなかったけれど、「そういえばあそこなら」と、原民喜さんゆかりのしだれ柳(広島市中区橋本町)に立ち寄りました。これで今日一日思い残すところ無し、です。(スマホしかなかったのが惜しい)


今年の8月6日を過ごしていて思ったのは、《未来》に向けて平和や反戦を伝える日でありながら、まずは、たくさんの人の命日であり、親子親戚友人含め、遺された人たちにとって、手を合わせる《過去》のための日である、という、とてもシンプルなことでした。
《未来》が一人歩きして、行き先のない航路をさまよわないにように、《過去》の碇をしっかりと結びつけておかなければならない、と思っています。


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