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北欧体験記② アートの話


デンマークに行って何をしてたの?と聞かれたら、
「絵、書いてました」と答えます。

デンマークはとてもアート文化が盛んで、だれでも自由にアーティストになれる雰囲気がある国でした。元来絵を描くのは好きだったのですが、高校の美術以来、久しく書いていませんでした。こりゃいい機会だと思い、のめり込んだのです。

今年の3月に、割としっかりとした作品を描き上げました。テーマは「北極」ということで、梅澤は犬ぞりの絵を描くことに。

表現したかったのは、犬たちの力強さと、犬と人の感情です。

走り続ける犬たちは何を思うのか、やはり疲労がデカいのか、いや、生き延びるという強い意志なのかもしれない。人間としては、無事に辿り着けるのか、この雪原が自分の最期になるのか、また愛する家族に会いたい、といった絶望や希望が絡んだ「祈り」の感情なんだろうな、と

そんなことを考えながら描き上げました。


話が逸れました、
今回は、そんなアートのお話です。


先きの記事で、デンマーク人は、余白の時間を持っていて、
大切な人との時間を過ごすヒュッゲという考え方がある、という紹介をしました。


デンマーク人とアート


デンマーク人の余白を埋めるものとして、他にはアートがあります。
デンマークでは人々への生活の中に、アートが浸透しています。

日本では、アートは「センス」「むずかしさ」「嗜好品」というイメージを持ちがちです。まぁ実際アートに触れる機会って限られてるし、美術館に行かなきゃ触れることもありません。


ですが、デンマークではアートへの敷居そのものが低いです
日常アートだらけ。

敷居が低い理由は、これらが考えられます。

  • アートに触れる機会が多い

  • アートを所有してしまいやすい

  • 美術館だけでなく、日常からアートに触れられる


デンマークをはじめとした北欧には、美術館がごろごろと点在しています。大半のデンマーク人は、休日に美術館巡りをしてるんじゃないかって思うほどの勢いでごろごろとあります。

ここでは、誰でもアートの所有者になれます。
その辺の雑貨屋で絵画が買えたりもして、価格も2000円くらいから。心理的ハードルも低いです。日本では、アートは高級嗜好品ですが、こちらでは手軽に買えてしまう。あらゆるお店の壁には絵画が飾ってあるし、普通の家にも絵画が飾られている。自分が訪れたホストファミリーの家にも、リビングに絵画が飾られてました。

アートの精神性は、日常のデザインにも表れています。

椅子にしても、ここまでバラエティ豊かなのはすごい。

たとえば、雑貨や家具。
シンプルなんですが、手作り感ゆえのあたたかみがあって、形、配色に遊び心を感じさせる。無性に愛着を持ちたくなってしまう、そんなデザイン。



北欧デザイン、なぜ?


「なんでこんなに北欧デザインが心を掴むんだ ..?」
北欧デザインがユニークであることが理由なら、そのユニークさはどこから来ているのか。少し調べてみました。

ひとつは、北欧の自然環境です
ユニークな配色は、自然の色から着想を得ているそうです。
北欧デザインの配色って本当にすごい。派手じゃないのに新鮮な印象を与えてくれます。「青なんだけど、はじめて見るような青」みたいな。

おそらく、色づくりのところから、じっくり時間をかけています。
きっとそれは、「夕暮れの池の反射のような、自然の一瞬が作る色を再現したい」みたいな思いに駆られて、一生懸命時間をかけて生み出したものではないのでしょうか。

シンプルだけどユニーク。


歴史的なところ


北欧デザインがユニークなのは、歴史的な背景もあります。

北欧は古くから独立した文化を保っていました。どこかの勢力に肩入れしすぎることなく、程よく中立な立場をとっていたので、他の国の影響を受けすぎなかった。特に、近代の合理主義文化が入ってきすぎなかったことが鍵らしいです。

もしデンマークの職人が合理性を求めていたなら、北欧デザインが持つ人間らしさは無くなっていたかもしれません。
「大量生産」「再現性」「画一性」なんて考え方は、北欧の精神性とはかけ離れているからです。職人が生み出すハンドメイドのあたたかみは、合理性とは真逆だからこそ、人間が丹精込めた時間を感じられて、ひとの心を掴みます。


ほかにも


(椅子や陶器のほかにも、紹介したいものをあといくつか!)

デンマークでアツいのは、建築物。
公共物は特にユニークなデザインが多く、見ていておもしろいです。

「え?ユニークにするのは当然でしょ?」

なんて気概を感じてしまいます。
たとえば、よく行ってた図書館。外観からじゃ、とても図書館だとわからないくらいの攻めたデザインです。

よく行ってた図書館 


続いて、コペンハーゲンにある、可動式の橋。
これを初めて見たとき感動しました。
これをただの公共物と呼ぶにはもったいなさすぎる、、
これをデザインしたのはコペンハーゲンのアーティストです。


いかにも、アートの精神性が、日常のデザインに大きな影響を与えています。

日本にとっての「よいデザイン」は、機能性や洗練さだったりします。
いわば、合理主義寄りの美意識です。一方で、デンマークのデザインは、それに加えて遊び心がある。機能性やシンプルさはそうなんだけど、そこに「ユニークさ」が加わります。

おそらくデンマークの人には、良いものを良いと感じたり、美しいと感じる感性の引き出しが多そうです。そして表現の幅が圧倒的に自由。
表現に「こうあるべき」が少なくて、作者が楽しみながら作ってるときの顔が思い浮かぶ作品が多いです。そういった自由な美意識をつくる土壌が、日常のアート環境です。敷居の低さ、アクセスしやすさ、解放性があるから、彼らの美意識にふくらみが出てきます。



表現するひと、汲めるひと

身近なアート文化や、日常を取り巻くデザイン。
これらを「表現」って切り口で考えてみると、北欧は、表現する側と、鑑賞する側が互いに育っていました。

アートは何かを表現する方法でもあって、その手段が身近に開かれています。「アーティスト」という閉じられた括りじゃなくて、その気になれば誰でもアーティストになれる、そんな解放性があります。有名なアーティストじゃなくたって絵は売っていいし、気に入ればそれを買って、家に飾っていい。北欧には、言葉以外の方法で、好きな表現をしていい空気感があります。だからこそ自由になれるし、「センスがないから」と尻込みをせずに自分の好きな表現をしていい、のびのびとした自由さがありました。

また、鑑賞する側も、日頃からアートに触れる回数が多い。
彼らは、いいと思ったものを「なぜいいと思うのか」自分で理解できていたり、うつくしいものをうつくしいと感じる理由を説明できたり、説明ができなくても、うつくしいと受け取れる感性の幅が広いように感じました。

同じ学校の、デンマーク人の18歳の女の子が、
「美術館の芸術は退廃的だ、燃やしてしまえばいい」
「私が思う芸術っていうのは、、」
と語っていたのを聞いたとき、彼女の確立した美意識に凄まじい衝撃を受けました。自分なりの審美眼を持っていたことに驚いたからです。

世間的に良いとされるものではなく、自分の物差しで何かを見ることができるのは、これまでの人生、彼女自身の眼でものごとを見続けてきたからだと思います。同時にそれは簡単なことではないので、思わず感心してしまいました。


美意識って、もっとあった方がいい。

うつくしいものを「美しい」と感じられる心の琴線が、今の日本人にはどれだけあるんでしょうか、正直、その感覚はどんどん衰退しているんじゃないか。というのが本音です。

日本人の目に入りやすい身近なものは、動画やSNS上の表現になると思います。最近は、デジタルアーティストという言葉が生まれたりしていて、液晶画面上での表現が主流だといえます。

やはり、大衆ウケするのは、分かりやすいコンテンツです。表現する側は、バズるために分かりやすいキャッチーなものにするし、見る側は、脳死で画面をスクロールして、目についたなんとなく面白そうなものを、なんとなく流し見する。

この流れが続くと、日本の表現はどんどん死んでいってしまうんじゃないかと思います。
表現の受け取り手は、心を動かされた表現に「エモい」「ヤバい」をあてはめていく乱暴な解釈が続くでしょう。受け取り手がそんなだと、表現者の側も力が抜けていってしまいます。飯を食うためには、そんな受け取り手の側に寄っていく必要さえあるのかもしれません。


わかりにくいものにも向き合う

心の琴線を増やして、美意識を豊かにするには、「わかりにくいものに向き合う」体験が必要なんだと思いました。
抽象度の高いものに向き合って、何かを汲もうとすることで、「こういうふうに見れるんじゃないか」って視点が増えます。この作者が絵を通して表現したかったことって、こうなんじゃないか、という仮説を立ててみたり、自分にはこういうふうに見える、なんて解釈を増やすのでもいい。それが本当に理解できたかとかは問題じゃなくて、向き合って何かしらの意味づけをするところまで、粘り強くみてみることで、美意識は磨かれていく気がします。

そして、そこまで向き合う努力が今の若者、ひいてはSNSと育った僕らには足りないように思います。分かりやすいものだけを気のゆくままに消化しているだけでは、価値観の振れ幅は狭いままです。

アートって、必要だ

アートって必要なものだったのかもしれません。

自分はこれまで、アートっていうのは不要不急のものだと思っていました。日常の潤滑油みたいな立ち位置です。なくてもいいけど、あれば豊かになる。そのくらいの認識でした。

ただ最近は、不要不急のようで、実は一周回って、いろんな場面で効いてくるんじゃないか、と思うようになりました。美意識っていうのは、なにもアートの文脈だけじゃなくて、日頃生きていく中でなにかを選択するときにも、いい影響を与えてくれるんじゃないかと。

それは審美眼にも近そうです。

なにかを選ぶ時、それが合理的か、ミスがないか、辻褄が合うか、みたいなところから考えると思います。ですが、ここで、美意識を持っていると、もっと違った角度から物事を見れるのではないのでしょうか。それは、心が動くか、人として誇れるか、気持ちがいいか、みたいな観点です。

どの選択が合理的で正しいか、だけならAIに任せればいいです。最近はchatGPTの登場がトレンドですよね、どんどん機械が強くなってきて、怖いです。

だからこそ、これまで以上にひとは人間らしさに惹かれる気がします。
そこで、どの選択が人間として美しいか、という感覚が大事になってきます。そこには美意識が必要となってくる。だから日頃からアートに触れて、いいものをいいと感じることができる、心の琴線が必要になるのではないでしょうか。


合理性ではないところで人を見ていくために、人間らしく生きていくために、これからもアートを愛でる決意表明で、締めとさせていただきます。


読んでくれてありがとうございました!





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