幸せは何度でも再生できる。
人は大抵の事に【慣れ】てしまう事ができる。
例えば・・あんなに欲しくて憧れて、やっと購入できたバッグ👜あれからしばらく経ってふと思う、あんなに幸せな気分になれたのに、新作のバッグの方が気になるのはどうして?
あんなに大好きでお付き合いした恋人。一緒に居れるだけでじゅうぶん幸せだったのに、欠点にばかり目がいってしまうのはどうして?
理由は、自分の生活の一部になっていくから。
物事や時間は常に変化し、ちょうどいい所で止まってはくれない。
幸せにも賞味期限があるかのように、やがて慣れがくる。
そうして幸せに慣れてくると、不安がひょっこり顔を出してくるのです。
あるが当たり前になり過ぎて、ないが目立ってくる。
物も、人も、自分の事も。
自分よりも誰かの暮らしがよく見える。
自分よりも誰かの方が素敵に見える。足りないとこばかりに意識が持っていかれてしまうなら、幸せへのジャッジが狭まっているサイン。
ここで一度、自分の周りのあらゆるあるを切り離てみましょう。
もし目が見えなくなったら?自分で呼吸ができなくなったら?自分で立てなくなってしまったら?真冬の寒い中、外で夜を過ごさなくてはいけなくなったら?今周りにいる大切な人達が自分の前からいなくなってしまったら?
自分の日常はどうなる? (極端ですが)
当たり前が当たり前じゃなくなった時。
あると思っていたものがないに変わった時。その時初めて。あるいは改めて、自分がいかに恵まれていたかに気付く。理想は色々あるけれど、
『今だって今なりに幸せなんだ』ということに気付ける。
普段は気付きもしない当たり前のなかにも実は幸せって沢山詰まっている。幸せは、大きな出来事だけではなくたくさんのいいねがつく事だけでもなく、誰かに称賛してもらう事だけでもない。
普段の、小さな何気ない幸せが成り立つからこそ、
大きな幸せも噛み締める事ができる。
足りない・欠けている・ないに目線を合わせるのも
既にある・もうある・今に目線を合わせるのもどちらも選べる自由がある。
今、うれしい事。今、当たり前でよかった事って何だろう?
今ある事でどうしたら自分をいい気分にさせてあげられるか?
そうしてほぐれた心はじんわりとハッピーになっていく事でしょう🌻🌻
ここまで読んで下さりありがとうございました!
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