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エニアグラムとか性格分析関係

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たぶんINTP。ときどきINFP?
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#コラム

RHETIの診断結果を公開してみる

RHETI(riso–hudson enneagram type indicator)とは、リソ=ハドソン式エニアグラム性格タイプ診断テストのことである。タイプ判定のために用いる通常の診断テストはタイプ別の特徴を10個くらい上げて、その特徴に該当する設問の個数を数えるものが多いが、RHETIは2個の選択肢をあげて、2つのうちどちらが自分の人生の実際の行動に当てはまっているか、回答するもの。

例え

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カーシーの『セルフヘルプ術』で「SP型の役者は役の中にも自分の個性を保っているのに対し、NF型の役者は自分の演じる役柄に応じてアイデンティティを保つことが出来る」とある。
だとすると、なんとなく池田エライザさんはNFで野田洋次郎さんはSPっぽいな。「舟を編む」を見ていると。

金曜日、鳥山先生の訃報に触れ、午後は頭の中に「Cha-La Head-Cha-La」を浮かべながら仕事。悟空も「ドラゴンボール」もこの曲もどこかタイプ7的だなと思いながら。

血液型占いが面倒くさい。
自分では全く信じていないのだが、流れる血液も性格もバリバリのB型人間。ゆえに血液型占いを否定しようとすると、他の人から自分自身の性格認めてないのみたいな空気になるから、そういう話題になると血液型も明かさずにこやかに笑ってスルーすることにしている。

『エニアグラムでパートナー探し』を読み返してみた。

『エニアグラムでパートナー探し』を読み返してみた。

連休中、久々に実家に帰った際、この本が本棚に並んでいた。タイトルを親に見られるとやや恥ずかしかったりもするので、カバーを逆さにして、タイトルをわからないようにしてあるのだが、やっぱり気になるのでこの本は回収させてもらった。

本の概要はこちらで紹介したとおり。

改めて読んでみると、パートナー探しとしても使えるかもしれないけれど、タイプの「相性」よりもっと大事なことがあると、この本の序文のところに

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まあ、痴愚神礼讃を読むとこの世の中「痴愚」に満ちあふれているのだから、「生きづらい」というのはこの世の中の「痴愚」に流されず真面目に生きていると言うことの証なのかもしれない。人生論ノートにおける「虚栄」にもか。このあたりに敏感に反応するのが前述のタイプとも言える。

ネットでタイプ○だから生きづらいとか、○○○○だから生きづらいとかいう文字を目にするけれど、だから何なのだろう。言ってもいいけれど、どうして生きづらいのか、この部分は変えて欲しいとか、そのあたりを探っていかないとあんまり生産的ではないような気がする。

エニアグラムの「(自我を)手放しましょう」という表現が苦手だ。何か簡単そうに聞こえるじゃん。健全度を上げるのが。

カルトってエニアグラム的に言えば意図的に人の健全度を落として人の心を操縦しやすくし、教祖の思うがままに信徒を動かすことを目的にしている集団と定義できるかも。この意味で自我からの脱却を目的とする本当の宗教とは逆方向にうつる。

簡易AI筆跡診断をやってみた。

簡易AI筆跡診断をやってみた。

twitterでみかけた簡易AI筆跡診断。

面白そうだったので挑戦。

『口』『様』の2文字で診断。マウスで文字を書く方法もあるのだけれど、とても自分の字とも思えなかったので、紙に2文字書いて、写真をパシャリととり画像をアップロードし診断してもらった。

診断結果は3種類出てきて

・抜きん出た実力を持ちながら物事にのめりこめるあなた。その表情はきっと自信にあふれているはず!
・信念を貫き通すス

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エニアグラムを自己理解や自我による囚われからの脱却に使う風潮は現代が主観主義的な傾向にあることと相応していると思う。

しかし、noteのプロフ欄をみると4w5と5w4の如何に多いことか。
(追記R5.7.17)
対して同じ遊離型のタイプ9(9w8および9w1含む)は約20件とさほど多くない。4w5や5w4(合計100件以上)はネットで自己承認を求めるのに対し、タイプ9はあまり興味がないのか?

若い人を正しく評価したり、才能を見いだせる大人が減っているのかもしれない。言い換えれば、世界を自信を持って正しく見ることが出来る大人ともいえるか。だからこそ、若い人はネットのプロフにおいて『カッチカチに規定した』自分をもって『社会的承認』を求めているのだと思う。

『性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム』には面白いことが書いてあって、段階2での行為を示す単語はその人の自己像・自分自身をどう見ているかをあらわすと言う。故に『I am用語』とも呼ぶことが出来ると。例えばタイプ1ならば、合理的・客観的・節度があるなど。