35歳ゲイ。今日は母の誕生日。
こんばんは。
今日は2月2日は母の誕生日でした。誕生日に何か投稿して残しておこうというのを忘れていて、急いで書いてます。しかし、正直、母が何歳になったのかまでは知りません。
去年は、ちょうど自分が昇給したタイミングだったので、好きなものをプレゼントするから何でも言いな!と意気揚々と伝えたところ、5万円する靴を希望されて、思ってた以上の高さに度肝抜かれ、送ったことで生活が苦しかったです。今年は、妹と共同出資で財布を送りました。
今回は、自分の話ではなく、未だに息子が大好きで子離れができない母の話をしようかなと思います。
現在、母は地元の岡山で父と暮らしています。あれよあれよと父と結婚という話になり、結婚直前で結婚したくなくて仕方がなく泣きじゃくったと聞いています。(笑
若い頃の母の写真を見ると、息子の自分でもびっくりするぐらいにスタイルも良く、綺麗で、大阪に住んでいる時に、何度も芸能事務所からお誘いがあったそうです。当時、母型の祖父は警察官で厳しい人だったらしく、結局、そんな話に乗ることもなく普通の女性と暮らしていたみたいです。
厳しい祖父と違い母は基本的に自分や妹が何をしても怒るということはなく、進路も仕事もプライベートに関しても何も口出しすることはありませんでした。
学生時代の自分は、頭は中の上ぐらいで、無遅刻無欠席の皆勤賞とるぐらいの生活態度は良好でしたが、妹は高校時代によく学校をさぼり夜遊びをしたり、それでも、母は怒ることがありませんでした。
「自分は男だからいいけど、妹は女の子だし少しは注意した方がいいんじゃない?」と聞くと、母は「私は私の中で、あなたたちを容認できる範囲があって、その範囲の先にある柵を越えられると怒る時は怒る。」というので、その柵を聞くと「犯罪にならないこと」とのことでした。
一度、僕がいじめられた時は、いじめた相手の家に怒鳴り込んでくれたし、「子供のためなら死んでもいい」って真正面から言ってくれるような母で、自分が何をしようと応援して心配してくれる人で、いわゆる反抗期もなかったです。
でも、それは母自身も自由な感じの人なので、自分と妹がある程度育ってから、不倫をしていて、自分も妹も昔から知っています。
しかし、自由に育てられた自分たちからすると、母が不倫しようが割とというか、本当どうでもよくて母が幸せなら、それでいいんじゃない?って考え方で、むしろ、自分たちも不倫相手と一緒にご飯行ったりしています。(普通に変だとは思っています。笑
自分がゲイだということを母に告げるのも、正直、受け入れられる前提でカミングアウトできましたし、カミングアウトしたら「あなたが生まれる前から知ってた」と意味不明な予言師のようなことまで言ってくれました。
最近は更年期や足の病気で痛いらしく、実家に帰る度に、老けていくのが分かって、イオンモールに行くだけで、足が痛いから座ってるねっていう母を見ると、正直悲しい気持ちになります。
足が良くなったら、旅行に連れて行ってあげたいですね。
母は孫なんていらないというのですが、自分は結婚もしないし、子供をつくることができないので、本当は孫もみたいなんだろうなという気持ちがあります。だからこそ、自分を母に会わせるということが唯一の親孝行だと思ってて、地元を出てから、コロナでもなんでも毎年年末年始、GW、お盆は全て帰って顔を見せて、離れていた最近の話を一緒にしています。
母と同様に未だに親離れができない自分的には、これからも、大好きな母には、ずっと元気でいてほしいなと思います。
誰にも言ったことないような母が好きって話を書いていると、なんだか普通に恥ずかしくなってきたので、今日はここでおしまい。
またね。
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