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親になるってこういうことか

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これは全盲の夫婦が挑む初めての子育て記録です。 夫婦それぞれの視点で3人の日々を描きます。 今回のシリーズはわが子に出会えるまでの約9ヶ月間。 まだ見ぬわが子に思いを馳せて・・・
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2022年10月の記事一覧

13 最終決戦 / ぐっち

13 最終決戦 / ぐっち

 病院からの電話が鳴ったのは、入院して三日目の夕方4時ごろだった。
「お産が進んできていますので、今からお越しください」
思っていたよりも事務的に要件は伝えられた。それはそうか。こちらは一生に一度かもしれないタイミングを今か今かと待ち続けていたが、病院としてはいつものことなのだろう。もちろん悪い意味ではない。
今はコロナの影響で、立ち合いは分娩室に入ってからになるのだ。そして出産後も付き添いは30

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12 最終決戦 / はるか

12 最終決戦 / はるか

 計画無痛分娩三日目。午前は前日までと同様、促進剤を使用した。ただ麻酔は痛みに耐えられなくなってからということだった。
その時点ではじっとしていられる程度の断続的な陣痛だったため、どうにか我慢することができた。
昼過ぎになっても強い陣痛にはならなかった。そこで先生が人工破膜の処置をした。
先生が卵膜に穴を開けるぱちんという衝撃と、暖かい羊水がドバっと流れ出る感覚があった。そこからお産は急速に進んだ

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11 決戦の幕開け / はるか

 三日間かかって2728グラムの元気な女の子は生まれた。
私は無痛分娩を選んだ。普通でいくか無痛でいくか、出産方法決定期限の34週まで悩んだ。
夫は麻酔が怖いと無痛分娩に消極的だった。しかし私は痛みに恐ろしく弱いこと、これまでの妊娠生活で体力を使い果たした気がしていたこと、産後の回復が早いといわれることから無痛分娩を希望した。夫には
「生むのは私だよ。変わってくれないでしょ」
と言って納得はしてい

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コラム2 『10ヶ月ぐらい座席を譲ってもらったっていいじゃないか』

 外出が増えると、電車やバスを利用するシーンが多くなった。妻が妊娠するまでは、少し乗るだけなら立ったままでいいかと思うことが多かったのだが、例え5分程度であっても座席に座れることがありがたいと思うようになった。正確には妻を座らせたいと思うようになった。
ただ、なかなか難しいのが車内で空いている座席を探すこと。ガラガラならまだしも、少し離れたところに一席だけ空いているなんていう時には大変もどかしい。

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10 二人の時間 / はるか

 結局生むまで胃のむかつきや吐き気、嘔吐、だるさといったつわり症状は続いた。さらに後期にはそれに加え腰や骨盤の痛み、息苦しさなどの症状も加わった。まったく、妊娠期特有の症状フルコースである。そんなものはじめからオーダーしたつもりなどなかったのだが。
それでも嘔吐にさいなまれる日やほとんど食べられない日は五日から六日に一日と、軽いジャブ程度になった。妊娠初期から中期にかけての眠れないほどのボディーブ

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9 二人の時間 / ぐっち

9 二人の時間 / ぐっち

 1泊2日で東京まで無事に行けたことに味を占めた我々は、大阪に戻ってからもほぼ毎日短い外出をするようになった。時々調子が悪い日もあったが、一日一度は意識して外に出るようにしていた。
ただ、妊娠中の妻にとって暑さは大敵だ。毎日35度を超える猛暑となっては駅まで歩くのも一苦労である。そんな時我々が編み出したのが梅田の地下街散歩である。
散歩といえば外の公園などを歩くイメージだが、我々のそれは少し違う。

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8 我が子に対して我々が最初にできること / はるか

 子供を迎える準備として、遺伝外来に行った。夫の網膜芽細胞腫という病気は、49パーセント子供に遺伝する。
多くの人にとっては重々しい内容になってしまうかもしれない。しかし私たちにとっては以前からわかっていた事実であり、客観的にとらえていた。
 私の体調が少し安定した7月初旬、夫と築地にあるがんセンターに行った。夫が以前ここの眼科にかかっていたことや、この病気の治療実績が多いことからここにある遺伝外

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