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結婚適齢期って誰が決めたの?離婚→再婚を経て見えた「自分の意思」の大切さ

自分らしく生きるヒントを見つけるインタビュー連載「クロひつじストーリー」。当たり前に囚われず、自分の道を作ってきた様々な人を紹介します。

第3回はお茶の製造・販売事業を営むをチャチャさん(38才女性)。現在子育てと自営業を両立しながら、自分の「楽しい」と思う気持ちを日々大切にしているチャチャさん。しかし以前は「◯才までに結婚」という周りの雰囲気を優先したことがあったといいます。そんな彼女が葛藤の先に見つけた当たり前に囚われず「自分らしく生きる」ヒントとは?

チャチャさん(38) プロフィール
1984年生まれ。精神科の作業療法士の父、保育園を経営しながら障害者支援にも携わる母の元で育てられる。大学卒業後に専門学校に入学し、その後は脳神経外科の作業療法士として社会人生活を始める。
27歳で結婚するものの、1年で離婚を決意。地元に戻り「自分の店を持つ」という夢を叶える。
34歳の時、地元でお茶の製造・販売事業を営む、現在の夫と再婚。
35歳で長男を出産。
38歳になる現在は子育てをしながら夫が営むカフェの運営を行いつつ、隣で「お茶を使ったたい焼き」屋の実現を計画中。

「一般的な人生」を歩んだ学生〜社会人時代

離婚経験があったり、現在子育てをしながら自営業をしていたり。私のプロフィールは一見、同年代の大多数の女性からはぎょっとされてしまうものかもしれません(笑)。

そんな私ですが、学生時代から、社会に出て結婚するまでずっと「一般的な人生」を選んできました。

子供の頃から、仕事柄さまざまな立場の人と接している両親から「人と違うのは良いことだ」と教えられてきました。しかしそれと同時に、そういった人たちの苦悩や実生活の大変さを間近で耳にする機会も多くありました。

そのため「人と違うことをするのは大変だ」という考えが自分の中に漠然とあって、人と違う生き方に憧れは持っていましたが、実際そうなることを怖いと感じてもいました。

それでも、私の本質はわりに好奇心旺盛なのだと思います。

就活時に「本当にやりたいことってなんだろう」と考えて浮かんできたのは、作業療法士の道と「自分のお店を開きたい」という漠然とした思いでした。

結局、実現性の高い作業療法士の道を選ぶことに決め、大学卒業後3年間専門学校で学び、就職することになりました。
働き始めてからもしばらくは、周りのみんなと同じように楽しく過ごしていました。

「仕事を覚えて年次を重ねて、30歳までに結婚する」。

医療業界は特に、こういった一般的なステップアップの型が決まりきっていて、先輩も同僚もそれを疑い道を外れるようなことはありません。職場での会話の内容や方向性も、きまって結婚が前提です。

当時は私も同じような感覚を持っていて、周囲の結婚ラッシュに流されるように職場で出会った人と結婚しました。

ただ、結婚に至ったとはいえものすごく悩んでの決断ではありました。
自分だけでなく相手のあることですし、中途半端な気持ちではいけない…。

「でも、私ももう結婚適齢期だし」
「彼のことを愛しているわけじゃないけど、次にもっと良い人と出会える保証なんてないし」
「周りもどんどん結婚しはじめてるし」
「ここで結婚しないと、あとから後悔するかもしれない……」

後から考えれば、結婚してみたら何かが変わるかもという根拠のない思いが心のどこかにあったのかもしれません。

一度結婚したなら耐えるべき?

両親のように仲の良い夫婦が理想でした。しかし現実は、頑張って夫を好きになろうとしている自分がいました。

結婚して1年。この頃になると、私は何事も楽しいと感じられなくなってしまっていました。これからずっと自分の気持ちに反して生活し続けると思うと、次第に何事にも気力が湧かなくなっていきました。

毎日の行動の軸が「自分が楽しいと思うか」ではなく、心に嘘をついて無理をしていたため、歪みが出るてしまったんだと思います。自分がどんどん後ろ向きな考えになっていくのが分かりました。

その頃、毎週のように同僚と職場の勉強会に参加していました。

最初は疑問を感じなかったのに、続けていくうちにプライベートの時間を割いて自腹で勉強会に行き、結婚生活もこなすのがしんどく感じられるようになりました。

当たり前のようにそれができる同僚と自分との間に強いギャップを感じたんです。

「この時間を他のことに使いたい」と思うようになった頃、ようやく今の生活はちっとも自分のやりたいことではないと気づきはじめました。

自分が心から楽しいと思えることがしたい。そのための「いつか自分のお店を持ちたい」という夢も持ち続けていました。けれど、このまま生活していたら一生その夢に挑戦することができない気がして、本当に怖くなったんです。

とにかく現状を変えたいと思ったのですが、離婚に踏み切るまでにはこれまで以上の葛藤がありました。

自分の人生を優先する決断が、夫はもちろん、夫の家族も傷つけることになる。けれど、このまま我慢して今の環境に身を置いて本当にそれでいいんだろうか……。

母に自分の思いを正直に相談すると、意外にあっさりと同意してくれました。私の幸せを誰よりも願ってくれている母からのサポートは心強かったです。

それも後押しになり、最終的に離婚に踏み切ろうと決めました。

この選択によって傷つけた人がいるのも事実で、離婚を推奨するつもりはありません。
しかし今振り返ってみると、この後に出会うたくさんの人や出来事は、環境を変えずに生きていたら知ることすら叶わなかったかもしれない、と感じます。
またこの経験を通して、「私自身が楽しめているかどうか」が私にとっての大切な「軸」であると再確認しました。この気づきがターニングポイントになり、この後の人生が大きく変わっていきます。

私らしく生きる後押しをしてくれた「仲間」と「環境」

離婚後に地元に戻った私は、働きかたを変えました。作業療法士の仕事は週2日に減らし、空いた時間で自分のお店を開くことにしたのです。

私の夢を知った地元の仲間が有識者と繋いでくれたおかげで、長年の夢を叶えることができました。

念願だったカフェの運営

地元に戻った当時から、周りには自営業やフリーランスが多く、職場の同僚とは全く違うパワーを持った人ばかりいました。自分の好きなものを商品化してお店を開く人から、イラストレーターやデザイナーなど、その仕事内容はさまざま。しかし彼らに共通しているのは、お金や周囲からの評価に捉われず、自分のやりたいことを楽しく追求しているところです。

自分らしく生きる人たちと出会い、価値観が変わっていきました。

「『人と同じ』に囚われなくていいんだ」
「『楽しい』を軸に生きていいんだ」

夢はそれぞれ違うけれど目指しているのは同じ方向。そう思うと、私も前向きに挑戦する力が湧きました。

何事にも前向きになれなかった少し前が嘘みたいに、兼業生活を楽しんでいる私がいました。関わる人も仕事内容も全く違くて、まるで私が2人いるみたい!

これまでにない開放感と充実感で、日に日に癒され前向きになることができました。

「再婚」という決断

そうして34歳の時、今の夫と出会いました。

彼は「他の人と同じじゃつまらない」と感じる、好奇心旺盛なタイプ。ウジウジしているのをスパッと断ち切ってくれる性格ですごく尊敬できる人です。再婚に踏み切るのにはそこまで時間を要しませんでした。

私自身「この人と一緒に、楽しい人生を送りたい」と強く思っていました。彼の「この人なら大丈夫だ」と思わせてくれる人柄もあって、次は慎重にいこう、という頑なな気持ちは優しく解けていったように思います。
結果すぐに結婚し、翌年には出産を迎えました。

もちろん別々の人間なので、ぶつかることもあります。忙しい中でお互いに予定を共有できていないせいで言い合いになったり、子育てや彼の事業についてで意見が食い違ったり……。

けれどその上で、尊敬できて、一緒にいることで前向きに楽しく生きていけるパートナーに出会えて本当に良かったと思っています。

茶畑で家族と過ごす


自分らしく生きるヒント

「迷うならやらなくていい」

初婚前、迷っていた私は「やってみないと分からない」と思い結婚に踏み切りました。けれど今、当時の自分に何か言えるとしたら「迷うならやらなくていい」の一言に尽きると思っています。

自分ひとりならまだしも相手を伴う決断であれば、よく考えて、焦らずに時を待ってもいいと思っていて。
「周りがこう言っているからやらない(orやる)ほうがいいかなあ……」という場合、行動に起こさなくて大丈夫。何事も、「この方向に進みたい」という自分の意思が伴わないと楽しく前向きに取り組めないと思います。

逆に「この方向に進みたい」と思えた場合。もしかするとその決断が誰かを傷つけるかもしれません。それは受け止めなくちゃいけないけれど、その決断が導いてくれる未来は傷つけるだけではないと思います。
その瞬間はまだ結果が出なくとも、時間が経ってから「あの時の決断は〇〇だった」と振り返れるようになるものです。

これが、これまでの経験から得られた「私らしく生きるヒント」。

今後も自分の意思を大切に、仕事も子育ても楽しくとり組んでいきたいと思います。

現在は「お茶を使ったたい焼き」屋を計画中

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ライター=小野寺美咲 編集=えりこ 

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