琵琶語りのコタロウ

琵琶語りのコタロウと申します。熊本の伝統文化「肥後琵琶」を嗜みます。奈良時代にシルクロ…

琵琶語りのコタロウ

琵琶語りのコタロウと申します。熊本の伝統文化「肥後琵琶」を嗜みます。奈良時代にシルクロードを経て、日本に伝来した楽器「琵琶」。魂を震わせる音色は現代でも健在です。筑前琵琶熊本旭会会長兼肥後琵琶教演会事務局長を兼任。熊本県玉名郡南関町地域おこし協力隊。スキを下さると元気になります。

マガジン

  • 菊池くずれ

    肥後琵琶「菊池くずれ」 沖田畷の戦いを語る琵琶語りの詞章。総文字数は約27000文字。 菊池一族赤星兄妹の哀れな物語から、起きる戦の顛末まで。 肥後琵琶師山鹿良之口述の物語。これからコタロウが文体を校正予定。

  • 肥後琵琶演目

    もともと口伝の芸ではありますが、書き起こして後世に残すために書き起こしました。 でもね、このまんま琵琶語りするかはその時その時で変わるのです!

  • 肥後琵琶のあらまし

    肥後琵琶について浅く解説しております。よろしくお願いします!

  • コタロウと南関町

  • コタロウと琵琶

    コタロウと琵琶の出会いは摩訶不思議。なんだか巻き込まれてしまったみたい・・・。なるようになるさ!それがコタロウの信条です。

最近の記事

敦盛1段

あつもり つらつらと 世をひそかに おもんみるに よって 狂言の浮き世の物語 聞かば 一座のなぐさめやら いわんや 人は悪をたのべば おのずから 天の戒めを身にうけて ついに 我身を滅ぼすと これは これ こうじんのもんげんなり 源氏平家の人々は長い間いくさを続け 源氏ほろび 四方八方の艱難苦労致すなかにも 源氏方は 勢い正しく励む                                     かわって平家栄誉豊かに日をおくらせたもう 平家戦い半ばにも武芸忘れるば

    • 鯛の婿入り

      鯛の婿入り 頃を申せばいついつか あじ な 年号はじまった 頃は小鮒の末っ方 ナマズ元年ドンコの2月 海を申さば玄界灘 御魚のご大臣、鯛の助殿は 今日は、いざ 吉日、カニの日なれば いざ、婿入りなさん その日の出で立ちはなやかに 肌にとりては 白浪召され ワカメ(藻)の袷 カジメ(藻)の羽織 ヒジキ(藻)の紐、一寸しめて 名古屋の三十帯うしろで結び 昆布の袴に いかのしらたび カレイの雪駄 ザンブとけこみ ハマグリ巾着 モダチの緒〆 マテの印籠一寸腰にさげ 一尺八寸、浪の平打

      • 肥後琵琶語り「イジラとクルカ」

        さてお鑑ます物語は今井雅子作「イジラとクルカ」。 どんな話になりますやらお時間まで! さてもあじな年号はじまった ナマズ元年どんこ月 さてもわたのはらをみながせば 東は春の海イルカのなかに みなより大きなイルカがござそうろう。 「汝は身の丈の大きいこと  イルカにあらず、クジラであろう」 「なんぞ我はクジラにあらず」 「さりとてもその大きさはイルカではあるまいて」 みなより大きなイルカは イジラと名づけられ、イジラは、 ひとりぼっちになりにける。 みなより大きなからだを

        • 鯛の婿入り

          頃を申せばいついつか あじ な 年号はじまった 頃は小鮒の末っ方 ナマズ元年ドンコの2月 御魚の大臣、鯛の助殿は 今日は、いざ 吉日、カニの日なれば いざ、婿入りなさん その日の出で立ちはなやかに 肌にとりては 白浪召され ワカメ(藻)の袷 カジメ(藻)の羽織 ヒジキ(藻)の紐、一寸しめて 名古屋の三十帯うしろで結び 昆布の袴に 烏賊(うぞく)の白足袋 カレイの雪駄 ザンブとけこみ ハマグリ巾着 モダチの緒締め マテの印籠一寸腰にさげ

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        • 菊池くずれ
          12本
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        記事

          あぜかけ姫

          国をもうさば、するがの国、たけき、しょうやの、ひとり姫 その名も、たゆたかい、さよてる姫 御年つもりて、14歳、 器量、姿は世にすぐれ なににとりても、くらからず それは、さておき、かわちの国にもり聞こえ かわちの国は、ささごうり、かみなかむら、,13?代伝わる 浅村長者の、その末は、あさわか丸と縁談をくみ、 夫婦仲もむつまじく 親の喜びはいかばかり 家は円満に栄えゆく 何にとりても、くらからぬ さよてる姫は七夕御前の申し子で 女のことなら、何ひとつ

          琵琶精〜胡蝶真相編〜

          雨のそぼ降る暗い夜に、鮮やかな服を着た女が石畳に座りこみ、空を見上げていた。 その顔(かんばせ)は大層整い、乱れ頰につく白い髪も、色黒の柔肌に流れる雨粒さえもその美貌の一助になっているようであった。 女は名を「胡蝶」と名乗っていた。愛用する琵琶に螺鈿(らでん)で蝶が細工されていたからである。 女は西方の少数民族の生まれで、祖母は吉凶を預言する巫者(ふしゃ)であり、父は村長(むらおさ)である。 幼い頃より音楽を好み、特に琵琶の腕は村一番だともてはやされた。 琵琶の腕試し

          琵琶精〜胡蝶真相編〜

          琵琶精〜胡蝶〜

          雨のそぼ降る暗い夜に、鮮やかな服を着た女が石畳に座りこみ、空を見上げていた。 その顔(かんばせ)は大層整い、乱れ頰につく白い髪も、色黒の柔肌に流れる雨粒さえも、その美貌の一助になっているようであった。 女は名を「胡蝶」と呼ばれた。 知る人がいれば、いや、人相を知らなくとも、名を聞けば「千指妙手(せんしみょうしゅ)の胡蝶」と噂され、名の知られる琵琶の名手であった。 女の爪弾(つまび)く琵琶の音は、非道の限りを尽くした山賊や法の下(もと)に揺るぎなく情け容赦ない領主、業突く張り

          日本文化の縁側 第五回琵琶の回資料

          皆様こんばんは! この度は日本文化倶楽部 日本文化の縁側でお話させていただきます。 琵琶語りのコタロウと申します。 さて第五回目となります。琵琶の回でございますが、「肥後琵琶」ということで腕によりをかけて、お伝えできればと考えております。 今回お話させていただく「肥後琵琶」」ですが、 この中でも「平家琵琶」と「盲僧琵琶」の影響を受けた琵琶になります。 簡単な体系図をご覧ください。 (画像はクリックすると大きくなります。) 諸説ございますが、だいたい組み込めているの

          日本文化の縁側 第五回琵琶の回資料

          今井雅子原案「いしぶみ姫」を肥後琵琶風に!

          「いしぶみ姫」経緯この度、clubhouseで人気の「膝枕」を書かれた、脚本家である今井雅子先生の「世にも奇妙な埋蔵プロット」より、「いしぶみ姫」というプロットを拝見しました。 これは肥後琵琶語りにするならば楽しいことになりそうだと作りましたのが、今回の肥後琵琶「いしぶみ姫」異聞伝です。 今井先生のプロットから匂い立つエッセンスを肥後琵琶風に仕上げました。 よろしくお願いいたします。 肥後琵琶「いしぶみ姫」異聞伝国を申さば 玉石の国 岩砕き右大臣の一人姫 いしぶみ姫と

          今井雅子原案「いしぶみ姫」を肥後琵琶風に!

          菊池くずれ11段

          高瀬の川に打ち捨てし その首は流れ流れ流れ行く この様眺めて皆のものどもが 「やあ 竜蔵寺とは偉い大将であったが 水におうて  もまれては仕方ない もまれもまれて下へ下へと流れ ゆくなり」言うた途端にその時 竜蔵寺の生首が   すっと 川上に上がってきた 北かと思えば 柳の根株にがっっぶとかみついた

          菊池くずれ11段

          菊池くずれ10段

          げにも 勇ましや川上は 「やあやあ肥前の敵軍ども 我こそは川上左京と申す 者なりこの上からは5名10名とは面倒なり 何百何十でも一度にかっかれ」 と呼ばわったり 「おのれ 憎き川上左京 小兵の分際で口に番所ない とはいいながら 言わしておけば言語道断 そこ動く な」とば

          菊池くずれ10段

          菊池くずれ9段

          さても 落ちゆく赤星は高瀬川を後に見て 次第に出 て来る横島の河内沖を通り行く。百貫すぎて行く船は だんだんと急ぎゆく 八代 日奈久を通りすぎさしき 超えて水俣沖も横に 見て その夜の明けぎわには薩摩国仙台川に着け   赤星は家来一同に打ち向かい 「いかにも方々 世が世であらば明けて春のこんにち

          菊池くずれ8段

          さてはこれおき ここにまた 鍋島加賀輝綱公は隆信 公の代理として 石山城に登城を勤め肥前の国へと帰 る道すがら 佐賀近くにさしかかれば 。この話を聞 くよりも 「おそかりし 残念や 三郎兄妹をこのように むざ むざ殺すはなのごとぞ。一刻も早く馳せつけて 助か るものなら助けんと 駒に鞭当て竹江原と馳

          菊池くずれ7段

          第七段 五条隈部は磔十字に組み立てて 「三郎殿 御身兄妹は肥前向きがお望みか又肥後向き がお望みかお望み次第に向けてつかわさん早語り給え」 と聞くより三郎丸は 「申し隈部殿 総体肥前国は3カ国の御大将 大事な殿 の国なれ肥前を望むが当然なれど 肥前の方から吹き 来る風も

          菊池くずれ6段

          第六段 (暗いところに打ち込まれ 耶蘇姫は腰元供に打ち向 かい 「方々ここはどこであろう 佐賀の城は暗いところか」 腰元方は聞くよりも なんと返事申しようもなく ただ 姫君よと嘆くばかり 奥の方では三郎丸は 「いかに方々 今日も咎人がきたらしい 今日の咎人は女人方 で

          菊池くずれ5段

          第5段  隈府の城を立ち出でて急ぐ道中は早いもの 新町 山鹿 早過ぎて 急ぐ道中は長の原 平野茶屋も打ち過ぎて のぼれば名高い六本松 隈部が心はめんとじ原 肥猪の町も早過ぎて 岩くわんに舞木のはる をはや過ぎて 音にも聞こえし八貫水 小原の前の鐘が淵 駒はいらねど   沓掛原 音にも聞こえし南の関 お茶屋番所はや過ぎて 外目超えれば ゆやの瀬戸 はるばるこれまで北の関 肥後と筑後の国境 ひあてつ つきにける 五条隈部は駒で行く 耶蘇姫主従は徒歩なれば