菊池くずれ8段

さてはこれおき ここにまた 鍋島加賀輝綱公は隆信

公の代理として 石山城に登城を勤め肥前の国へと帰

る道すがら 佐賀近くにさしかかれば 。この話を聞

くよりも

「おそかりし 残念や 三郎兄妹をこのように むざ

むざ殺すはなのごとぞ。一刻も早く馳せつけて 助か

るものなら助けんと 駒に鞭当て竹江原と馳せつける。

ようやく野町の宿の坂上までたどり

はるか南を眺むれば 時遅れしか 残念や 今立つ煙

は無常の煙とおぼえたり。そのまま駒を引き向けて 

佐賀の城とはせ戻る

君の御門となりければ 駒より飛んで下がり、君の御

前へと進み出で両の手つかえ一礼し

「申しあげます御殿様 ただ今石山城より立ち帰り候」

「輝綱なるかなずkしや ご苦労であった」

「ありがとうございます」 我が君様 ただ今世間の

噂を聞けば

赤星の兄妹をむごたらしく 殺し遊ばすとか このこ

とを赤星が聞いたら大いに腹を立て肥前をのろい  

この城に攻め来ると存知候

赤星だけならなんでもござらねど 赤星の妻の兄には

九州天下と言われたる薩州で75万石島津が控えてお

ることなれば 薩摩勢が攻め来れば肥前はことごとに

潰るる故今のうちに赤星を攻むるより外ござりまえぬ」

「その儀にあらば 鍋島は回状したため 家中に廻せ

ば人々回状見るよりも肥後肥前の戦さなり 我出でて

手柄せん 我も出でて高名せんと集まる人々着到に 

つけしるし

3000千余騎を引き連れて隈府の城とせめて行く」

話は変わりて ここに又 隈府の城に阿蘇の七郎なか

くにが玄関の方に誰か来たようと出て見れば竹若丸が

立っている。

「倅ではないか 」

「はい 父上様 」「何しに参った はよう上がれ」

と呼べども 倅と手を取らんとすれば 若竹丸の姿は消えて行く

はるか門前に現れて

「父上様 すがりて くださるな。我はこの世の者でなし。若君様御

兄妹をはじめ 家来の者も腰元の者も肥後と筑後の国境竹江原

に曳きだされ若君御兄妹は逆さ磔の拷問 我々16名は詰め腹

腰元十二人は自害いたし ことごとく死に果て候。早

く怨みを腫らしてくださりませ。御ちゅうしんに参り

候、まだ言いたいことあれど早く来いよ来いよの鐘の

声 おさらばでござります父上様」

という声もろとも消えて行く

「倅倅」と呼べど叫べども答えなし。夢であるか現で

あるか 思いながらこの故を赤星殿に申し上げれば 

赤星 この故聞くより

大いに驚き

「おのれ 憎き隆信 肥前国に乗り込んで我が子の無念はらさんと

既に用意をいたし 鞍を抱き上げ駒やをさして急ぎ行く 明珍鍛

えの轡をはませ 駒曳き出し鞍を乗せ 奥方はこの様

見るよりも

「申し上げます 我妻様 しばらくお待ちくださりま

せ。このまま 肥前に乗り込んで兄妹の仇打つことは

おぼつかなく まずは薩摩に参り兄上様にこの故申す

なら妹の子が無念晴しを必ずや助勢なさん 先ず薩摩

へ行き給え」

「なのを申すか 我が子の仇打つに義兄の手を借りる

卑怯なりこのまま肥前に乗り込むべし」

「申し上げます 我が夫様 毎夜の夢見が悪うござり

ます あなたの刀の鍔もとから 三つに折れ 又 次

の夜には女の魂真澄むの鏡が三つに割れ 一つは虚空 
一つは奈落に舞い沈む 中折れは

仏壇のしょうごになった夢をみました。必ず勝つこと

はおぼつかなし

早く兄に頼まれよ」阿蘇の七郎ながくには
「奥方様の仰せの通り薩摩に頼んだがよろしゅうござる」

と言えば赤星

「その儀にあらば汝らの言う通りにすべし 早う薩摩

に参らんぞ」

と手早く用意を致し 隈府の城をあとに見 薩摩を目

指し落ち給う。早くも山鹿に着き川船に乗り高瀬をさ

して下らるる

話は変わりて 肥前方

隈府の城と攻め来る どっと上がるときの声

「やあやあ赤星みつただ 公ただ今これに参りしは 

肥前勢の者どもなり。これに出て勝負をするか さも

なくば 兜を脱いで降参するか 二つに一つの返答と

呼べど何の答えもさらになし。

「やあやあ方々卑怯な者どもなりこの城内に攻め入れ」

と大勢がどっと押し入りて 上から下まで隅々至るま

で家探し致したが猫も

ネズミも生きたる者あらざれば 相手なくんばこの城

を焼き討ちせんと火をつけて焼き払い肥前をさして立

ち帰る。

赤星主従の人々は高瀬川まで落ち給うが ひょっと古

里の方角ふり向けば黒き煙を上げて燃え上がるは  

隈府の城とおぼえたり

ご先祖も許し給えと手を合わせ伏し拝み ようやく船

に乗り換えて薩摩をさして落ち給う

こののち師走29日 赤星主従が島津御殿に参り 義兄

の手をかり

肥前の国に乗り込んで我が子の無念晴らしを致す次第 

感ぜぬ者とてなかりける


さてもこののち 島津 赤星軍勢と肥前の戦の行く末

は次の段

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