菊池くずれ9段

さても 落ちゆく赤星は高瀬川を後に見て 次第に出

て来る横島の河内沖を通り行く。百貫すぎて行く船は

だんだんと急ぎゆく

八代 日奈久を通りすぎさしき 超えて水俣沖も横に

見て その夜の明けぎわには薩摩国仙台川に着け  

赤星は家来一同に打ち向かい

「いかにも方々 世が世であらば明けて春のこんにち

は目出度う年を取ろうものの 今日は年のはじめの印

にこの河原の石を餅と拾い

河原の石を酒器として河内川の水盃をなされける

儀式も済めば家来350名を残しご夫婦は島津公の屋

敷へと急ぎ行く城の内になれば 案内を頼み玄関につ

き取り次ぎの者にこの故を申す

島津公は何事ならんといぶかりつつ 先はこれへと案

さする

赤星夫婦は島津公の前になりぬれば挨拶もそこそこに

右の次第詳しく語れば 島津公はこの故を聞き召して
「何事かと思えば年の初めより何よりもって目出度き

戦必ず兄が

引き受けた。心配無用まずはくつろがれよ」と早速酒

宴を張り

「いかにも赤星 今日は元旦なればゆっくりして千石

船に乗ったる心地にて安心致されよ 無念晴らしは必

ずいたす」

と川上左京を早速御前に呼び 川上に内向かい

「いかにも 川上 汝無念晴らしをする時が来た 

ここに参りし夫婦は我がための妹弟なり      

あの肥前の隆信は汝のためには妻子の

仇 妹夫婦がためには子どもの仇 このたびはそなた

が戦大将として必ず隆信を改め亡ぼすべし きっと頼

むぞ 川上」

「心得ました 我が君様」

「これより日を改め支度せん」と三ヶ日五ヶ日と  

暮らすうちもはや

春も半ばになり戦さの準備をいたさんぞと回状をめぐらすべし」と仰せれば川上は ハッと答えて墨をすり

にわかに回状したためて家中に回状廻ましける

人々回状見るよりも薩摩と肥前の戦なら我が出て手柄

をせん 我も出て功名せんと俺も我もと出で来る人を

一々 着到につけしるし。

まず一番につけたるは川上左京とつけしるす

二番には赤星 阿蘇七郎 とつけしるす

そのほかつけたる勢はすぐりすぐりて八千余騎 つけ

たる着致旗として風になびかせ なびかせ 舟場さし

て急ぎ行く

かくて大勢は船に乗り移り薩摩沖を後に見て肥前の国

は雲仙さして急ぎ行く。雲仙麓に船をつけて上陸し雲

仙岳に陣を取り肥前の勢を今や遅しと待たせ給う

島津公は川上左京に打ち向かい

「川上汝は大義ながら 佐賀の城に罷り出て隆信公の様子を聞いて

参られよ」仰せにはっと川上は佐賀の城と急ぎ行く

音にも聞こえし隆信公の御殿になりければ

案内も乞わず隆信公のお目通りにのっさのっさと上が

り行く

隆信公の前に突っ立ちながら

「やあ いかにも隆信公 ただ今これに参りしは 川

上左京にてござる。このたび 島津公の使者として 

それがし罷り出たるは儀は三郎丸兄妹をむざむざに逆

さ磔の拷問にかけたる上からは 薩摩勢8500  

赤星の味方350 8850の大軍が雲仙に陣をとり

侍入り候上からは 島原に出て勝負をするか 兜脱い

で降参するか この儀きっと聞き取り帰れの使者とし

て罷り超したる上からはこの場で二つに一つの返答を

聞いて参らんと存ずれど 今更返答出来まいものを 

すぐに返答いたされよ 雲仙に帰って待ちおるべし」

とのべて つさつさと帰り行く

後に残りし 隆信公は田尻直純をお側に招き

「いかにも 直純 汝は島津雲仙に参り 薩摩の勢 

様子見積もって立ち帰れ」仰せに はっと 直純は君

の御前を立ち出でて雲を招き九次を切って 雲乗り雲仙目指して飛んで行く

既に雲仙になりければ 薩摩の勢のその上を見積もっ

ているその時に 薩摩勢はこれを見るよりも

「やあやあ方々 おもしろい雲が飛んできた あれは

いかなる雲なるか 肥前より災いの雲に違いない こ

の雲取って落とせよ」

と呪文唱え九字を切れば 雲は消えて直純ありありと

現わるる

「やあやあ隆信公の家来に相違はない 討ってしまえ」

と獲物 刃物の鞘払い 既に切らんとするところ

御大将はご覧じて

「やあやあ川上しばらく待て 汝ほどの ますらおが 
九字を切り向こう味方を引き落とすはよけれども 使

者の者を切り取る法はないぞ ここの様子をよく聞か

せ佐賀の城に首尾良く帰されよ」

はっと 答えて川上は

「いかにも使者の者 薩摩島津の御大将8500の勢を連れ赤星宮

内に助太刀として待ち給う上からは一刻も早くこれを君に言上し

既に見参の勝負致すよう 隆信公にも鍋島公にも早く申されよ」

そのまま 直純は又雲に打ち乗り佐賀の城と帰り行く

佐賀の城になりければ 鍋島加賀輝綱公は 直純を見るより
「やあ いかにも 直純殿 薩摩方の様子はいかがでござるか

「いかにも 輝綱公たかだか知れた薩摩の雑兵どもが

15000おろうとも肥前は安心でござる負くる恐れ

はござりませんぬ

「なんとのたまうか 直純殿 そうゆう法螺を吹き給

うな我は肥前が負け 薩摩が勝つとおぼえたり

「縁起の悪いことをのたもうな 直純ばかりでも 千

や二千は打ち寄するものならば薩摩勢もかなうまい

「いかにも直純殿 正月元旦より君の御前にケチが 

ある 元旦の朝には風も吹かずに門松がぽっきり折れ

 二日の朝には君の名刀の目

釘が折れ 3日の不思議には君の一間の天井に蜘蛛の足

形がつく4日のケチには門の瓦が落ちる       

5日の不思議には重藤巻の弓の絃が切れ5ヶ日経つまで

ケチ続きのことなれば 隆信公が勝になる     

おぼえはござらぬぞ 」隆信公はこのよし聞き召し

「なるほど 鍋島加賀守 汝が申す通りとは存ずれど

先ず戦の用意いたさん」仰せにはっと 加賀守 は早

速御前で墨すり流し家中に回状したためて

人々回状見るよりも 今度肥前と薩摩の大戦 我も出

でて功名せん我も立ち出でて手柄をせん 俺も我もと

集まる勢を一々 着立つにつけしるす

まず一番の戦大将につける隆信公とつけしるす

その他家中の諸侍 3500とつけしるす

着到付けを旗と押し立てて佐賀の城を出んとなさるれ

ば 隆信公の旗竿が宙から ぽっきり折れこれを見る

より隆信公はケチが悪い

と引き返し その夜は城内で一夜を明かし あくれば 
早々より3500を引き連れて雲仙さして急がせ給う

あいの道中に障りなく寄せて来るのは島原の雲仙岳 

「やあやあただ今これに参りしは 肥前国佐賀の城の

住人織田竜蔵寺山城の守隆信とは身がことなり   

薩州島津守殿 勝負勝負」と

呼ばわったり

鬨の声も治まれば 赤星宮内は島津公の前に一礼申し

「兄上様 ただ今の鬨の声 は隆信公とおぼえたり」

予もそのように心得ゆるぞ 早くも用意を致し 三郎

の仇を返されよ」仰せにはっと 宮内殿 

「いかにも 方々 用意をたのむ」

仰せにはっと一同は つっ立って用意を致す

獲物 刃物の先払い真向上段にふるあげて大音声

「やあやあ佐賀の城の隆信とやら 三郎兄妹の無念晴

らし見参勝負をいたさん」と敵陣中に攻め込んだり 

薩摩勢も一度に立ち上がり二重三重には取り巻いたり

激しき戦いのその中に五条隈部と阿蘇の七郎ながたに

といで渡り

えいや はっし と戦いしが 話は変わりて赤星殿は

隈部の倅熊寿丸といで渡り「やあやあ 汝は熊寿丸か

倅の仇見参せよ」と切り込んで行く 熊寿丸は

「おのれ憎き赤星 三郎同様に帰り打ちいたさん」と大喝一声に

切り込んだり

互いにここを 先度と戦うだが 運命つきしか熊寿丸

は受け太刀となりて 一太刀受けては 一足すざり 

二太刀受けては三足とかわす

弱みにつけいる赤星が えいや えいやと切り込んで

行く

身体をかわせし熊寿丸も目が眩んで気は弱る

脂汗はたらたら流れる

ここと つけ込む赤星が 隙を見立てて切り込む途端

に熊寿丸の首は難なく打ち落とした

その首を真っ先につらぬいて目よりも高く差し上げて

「やあやあ遠くの者は目にも見よ近くの者は耳で聞け 

五条隈部の倅熊寿丸はただ今赤星が倅の仇として見事

に討ち取ったり」

それはさておき 阿蘇の七郎 倅や若様

仇隈部殿 神妙に御勝負あれと 力のあらん限りに切

り込んで行く

たがいに戦いのその内に 運命尽きしか五条隈部は一

生懸命に戦いしが 眼眩んで気は弱る

左の方より飛び来る一人の武士は天にも悪魔も恐るる

大音声「やあやあ五条隈部但馬の守 耳の穴かっさら

えて聞き給えただ今これに 参り士しは隈府の城の 

住人赤星とは身がことなり

倅兄妹をむざむざと罪なきものを罪を着せ 道なき逆

さ磔の拷問とは貪欲な 汝の倅熊寿丸はただ今赤星が

討ち取った上からは

汝の首ももらさず受け取るなり 右が主 左が家来と

無理むざんに切り込んで行く

なんじょうもってたまりかね 危うき所を阿蘇の七郎

はおどりかかって五条隈部を大袈裟に切り落とした

薩摩勢は一度にどっと声を上げたるが なかでも戦さ

大将川上左京は大音声

「やあやあ 肥前の敵軍ども この上からは見参勝負」と

敵陣の中にどっとばかりに躍り込み この後川上の血の雨降らす

混雑がいかがなるべき次の段

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