願いが叶うように願う
今日の朝はアベマTVでメジャーリーグが放送してなかったから、BSでメジャーリーグ中継を見るために敷地内にある両親が住んでる家の方に行ったんだけど、母親が今日もまた仏壇にお供え物をして手を合わせて拝んでる。
手を合わせて何を願ってるかと言うと、家族だけじゃないビタミン家の親族全ての健康と幸せを仏様にお願いしてる。
今日だけじゃない。毎日だ。
その日々を何十年もだ。
こんな行為を毎日だ。
こんな人間がいることが信じられますか?
言葉は悪いが、こんな人間が現実にいることに俺は恐怖すら覚えたね。
俺は宇宙が好きだから、宇宙の物理法則とか物理定数が生物を誕生させるように、あまりにも都合よく設定されてるようになってるから、この世界には何か崇高な存在がいるのでは?とは思ってる。
そんな存在を信じて人間が「神様」と呼んで、崇めるのは全然不自然ではない。
しかし、俺は神様に真剣にはお願いはしない。
以前の記事で、タンポポに平和の願いを乗せて、綿帽子を吹き飛ばしはしたが、これはロマンチック春風モードと言ってもいい、あくまでパフォーマンスに近い行為であって、毎日タンポポを探して平和のお願いをするわけではないし、もちろん俺なんかが願っても願いが叶うとは思ってはいない。
しかし、母親は毎日毎日、何十年も俺や家族と親戚一同の健康と幸せを、毎朝、願いが叶うように願い続けてる。
わざわざ、仏壇用の小さな皿に白米を乗せて、仏様にお供え物をするという面倒な事をしてからの行動だ。
母親だって、必ず願いは叶うとは思ってはいないとは思う。
しかし、願いが叶うように毎日願い続けてるのだ。
ここがミソだ。俺はどうせ願いは叶わないと思ってるから、毎日タンポポに願いは込めない。
しかし、母親はみんなの健康と幸せが続くように本当の意味でお願いしてるのだ。
「願う」とは必ず報われるから願うわけじゃなく、願いが叶うように文字通り常に「願う」のだ。
なんという美しく純粋な思いなんだ……
俺は、俺のためにこんなに健康と幸せを願ってくれてる母親を捨てようとしてた子供だった。
俺が今、実家に戻ってるのは良くも悪くもモラハラ彼女のおかげだ。
あの人に出会う前の俺は株式投資が順調で、多分あのまま続けてたら資産は一生安泰のレベルまで行っていたと思う。それはどういうことかと言うと、俺は両親とは死ぬまで連絡を取ることはなかったということだ。
あの段階で、もう一切の連絡を両親とは取っていなかった。兄の結婚式にも行かず、親戚の葬式にも行ってない。
俺はモラハラ彼女を助けるために全てを失ったからこそ、母親の愛情を知ったとも言える。
皮肉なものだ。お金を全て失わないと両親の心が見えなかっただなんて。
俺は自分が絶体絶命にならないと両親には連絡は取らなかったし、お金があのまま増えて行ってたなら、俺は両親と故郷を完全に捨てていた。
こんなに毎日、俺の健康と幸せを願ってくれてた母親の死に目にも立ち会えなかった可能性が高かった。
俺は全てを失ったから、母親の毎日の願いを知った。
しかし、母親は俺にいつか知ってもらうために俺の健康と幸せを願っていたのではない。
俺が母親のことも父親のことも全て忘れて、自分の欲望のためだけに生きていたとしても、母親はそんな俺のために毎日願ってくれてたはずだ。
こうやって改めて文章にすると、俺はなんて酷い人間なんだ…
でも、考えて見ると子供の幸せを毎日のように願うのは俺の母親だけじゃないな。
この世の全ての、子供を毎日一生懸命に育ててる母親は毎日ずっと子供の健康と幸せを願ってるはずだから。
子供が母親の思いを知る日が必ず来るとは断言出来ないけど、それでも、子供の幸せを願うのが母親なんだね。
恩知らずの俺はたまたま母親の願いを知ることが出来たけど、全ての愛されてる子供が母親の愛情をいつか知ること願ってる。
俺もこの「願い」がいつか叶うように願うよ。
もちろん母親のように毎日は無理だがね…
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