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国を愛するということ


今週の一枚は「マツバギク」


マツバギクの花言葉は「心広い愛情」「のんびり気分」「怠惰」「愛国心」「勲功」「忍耐」「無邪気」「可憐」などなど。


横に広がりながら、のびのびと成長していく様を「心広い愛情」と表しながらも、天気の良い日や日中にしか咲かない性質から「怠惰」という花言葉も付けられてるマツバギク


そして、花の形が勲章に似てるところから「愛国心」の言葉も添えられている。


ここで考える。


本当の「愛国心」とは、一体なんだ?


日本は「愛国心」と書くと、ピリピリする人がいる国だとは思うが、大人になってから日本以外の国に住みたいと思う人はどれぐらいるかな?


俺は絶対に無理だ。


それは、他の国が嫌いとかそんな思いではなく、俺のような気が弱くて、さらに人に勝てるような競争力も無いような人間が日本以外の国に行って人生の最後まで生き残れるとはとても思えない。


それはつまり、日本という国が俺のような弱い人間にも優しい国という証明でもある。


日本は本当に治安が良い。外国では夜に女性の一人歩きはかなり危険だが、日本ではほとんどの地域で女性の一人歩きは問題ないと思う。


他の先進国だと子供が1人で学校に行くのもあり得ないらしいね。俺なんか小学校の時は家までの4キロの道のりを1人で歩いて帰ってたよ。俺が女の子だったら心配されただろうけど、俺は1人で山道をたくましく帰ってた。


現在、地球上の約8割の人が発展途上国に生まれた人らしい。そして、単純な計算から言うと日本人に生まれる確率は約1.5%だ。


日本人に生まれるということは、戦争をしてない治安の良い国であり、衣食住を得られる機会もあり、そして教育や医療を誰でも受けることが出来るということでもある。


これはつまり日本では当たり前な事が世界では当たり前ではないということだ。


これを残酷に言い換えるなら、人間としての弱さがそのまま死に直結する国が世界には多数あるということでもある。


生まれた国によっては努力して成功者を目指すどころか、努力する機会さえ得られない国もあるのだ。


親ガチャという言葉があるが、国にも当然のように国ガチャがある。日本という恵まれた国にたまたま生まれた俺はどう生きて来た?


努力出来る機会を当たり前だと思って、無駄にチャンスを捨てて生きてないか?


俺は日本という国に甘えて何も努力せずに勝手に転んで落ちぶれてしまっただけだが、努力する機会さえ得られない国の人たちが俺の人生を知ったなら、


「あなたが持ってる努力出来るチャンスを自ら捨て去るなら、そのチャンスを私たちに渡してよ!!」


そんな魂の叫びを容赦なく投げかけられても仕方のないほどの自堕落な人生を俺は歩んできた。


弱いままではその日の食べ物さえ得られず、その弱さが死に直結してしまう国の人々からしたら、俺のように何も努力せずとも衣食住があり何も苦しまずに毎日生きて行けるという環境というのは本当に甘えの極みだと思われるだろう。


だからと言って、今の環境を手放して厳しい環境に身を投じる勇気もなく、たまたま日本という国、そしてこの故郷に生まれ落ちただけの俺はこの先何年も何も苦しまず呑気に生き続けるだろうな……


でもここで、俺のこれまでの自虐的な考えを逆転させて考えてみよう。


こんなにも毎日毎日苦しまずに幸せに平和に生きられてるという事は、もしかしたら前世の俺はとんでもない善行を積んでた可能性があるのではないか?


ここで無理矢理、前世の記憶を思い出してみようと思う。


もしかしたら俺の前世は、どこかしらの発展途上の小国に生まれた羊飼いの少年だったのかも知れない。名前は「ペーター」だった気がする。


ペーターとして生まれた俺は夜は夜泣きもせず、そしてグズりもせず、母親クララの睡眠時間を極力削らないように、寝かせつけでは自ら頭の中で羊の数を数えてなんとか寝ようと睡眠に集中する優良乳幼児だったはず。


授乳時でさえも自分の空腹に任せた強烈な乳頭への吸い付きは抑え気味にして、クララの乳頭になるべく負担をかけないようなソフトタッチな舌使いでの授乳を徹底する周到さ。


そして、初めて立ち上がる時も密かに立ち上がりの練習をしておき、さらにクララとアルムおじいちゃんがいるタイミングを見計らっての足をプルプルさせながらニッコリ笑顔で感動的に立ち上がり、2人を大喜びさせた。


その後もすくすく健康に育ち、シングルマザーであるクララの事を助ける為に小学校に上る前に羊飼いのアルバイトを自ら志願。


もちろんクララはまだ早いと止めるが、ペーターである俺は静かに顔を横に振りこう答える。


「母さんを助けたいんだ!だって僕にとって母さんは世界で一番大事な人だから。母さんがいたから僕はこの世に生まれる事が出来て、こんなに幸せに暮らせているんだ。だから、母さんの幸せが僕の幸せ!僕の幸せの為に母さんを幸せにしたいと思ってるだけだよ。だから、心配しないで!」


この時、ペーターは6歳。あくまで自分の幸せのためのアルバイトだと言い切り、母親の心配と負い目を和らげるために母想いの優しさで包み込みながらの、このセリフである。見事なりペーターである俺!!


そして、運命の初バイトの日。


ペーターは朝から張り切って家を出て羊飼いのアルバイトに向かう。もちろん朝は相手選ばずに朝の挨拶は決して欠かさない超優良児。


「花さんおはようさん!ミツバチさん景気はどう?景気が悪いならミツだけにハチミツの密輸入でもしてみたら?牛さん最近はフンが固めだから水分は十分取ってね!」


などと、ブラックジョークを交えながら軽快に職場に到着。


しかし無難に羊飼いのアルバイトをこなしてる最中に、崖付近に咲いてる真っ白なエーデルワイスの花を見つけるペーター。「わぁ、母さんにプレゼントしよ!!」


そう思ってエーデルワイスに手を伸ばした刹那、ペーターは足を滑らせて崖の下に落ちてしまったのだ。


享年6歳


最後は不運だったが、もしかしたら俺は前世ではこんなに良い子だったのかも知れない。


そう考えると、現世で自堕落な人生を歩んだにしては、今の俺が毎日平和に生きられてるのにも合点がいく。


いや、俺に限ってこんな善行を積んだ前世はないな。多分、どこかの寂れた道の駅のトイレのドアノブあたりが俺の前世だったように思う。いやいや、さすがに俺の前世は生き物ではあったと願いたい。


ここまでの俺は厳しい環境の国では決して生き残れないような弱い人間だと自ら書いては来たが、俺は弱い人間が決してダメだとは思ってはいないんだ。


挑戦を何度も繰り返して、成功を掴んだ強い人間がいる陰には絶対に弱い人間の犠牲があるはずだ。


どんなに優れた環境でも弱者が出てしまうのは仕方ないことだ。


だからと言って、何も努力もせずに人を引きずり降ろそうとする自堕落な人間まで完全擁護しようとは思わないが、しかし自分のことは悪く書けても、他の弱い人の事を悪くは書けないのも事実だ。


どんな国、どんな環境でも、それぞれの苦しみは絶対にある。


人の苦しみは人それぞれだし、どんなに綺麗事を書いても本当の意味で相手の痛みには絶対に寄り添えない。


だから、自分の価値基準を人に押し付けてはいけな
いと俺は思う。


日本という恵まれた国からの「無理しなくていい、頑張らなくてもいい」という慰めの言葉は生きるか死ぬかの毎日を送ってる国の人には「ふざけるな!お前は恵まれてるからそう言えるんだ!!」と言われるだろう。


そうだ、ここまで考えてやっと分かった。


俺の持ってる「愛国心」とは「自分が弱くても頑張らなくても平和に暮らせる国だから良かった…」という、卑怯な「愛国心」に他ならない。


こんな俺が、いつか、この国を本当に誇りに思って心から愛せる時が来るのだろうか?


そんな事を思った今週の一枚

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