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語る矛盾。

 フリーランスになろうとする人に「やめなよ」とか「そんなの上手く行かないよ」とか負の言葉を吐く人達は、同調圧力を掛けているだけだから気にするなとは言い得たものだなあ……と思った。そして、その言葉以上も以下の意味合いも無い。「あなたの為を思って」と表向きは心配していて、実は思い通りに相手を駒のように動かしたいだけの場合もある。人間って面倒くさいですね。反面、面白くて同時に哀愁も感じてしまいます。あんたラブリーだよ。


 ある人が書いた内容に「アレって、ワタシのことですか?」ってメッセージを送って来た人の話しを耳にした。へえーそんな人が居るんですね!としか感想も言えないし、そんな事は当事者に任せて置けばいいじゃないですか?そうですよね?それしかないじゃないですか?困ったのは、部外者なのに首を突っ込みたがる人が居る事です。何だろう……人の不幸は蜜の味……的な?趣味悪いね。あ、主観です、個人的な。もっと言うならば、「他人は、本人が思うほど関心は無いし、関心無いようで有るのかも知れませんね」でしょうか。そして、首を突っ込みたがる人が取るべき行動は、ただ一つ、自分を客観視する事だと思います。こういう事例で、平等に双方の話しを聞いてくれる人は、善意の第三者。でも、考えて欲しいのは第三者は、全く関係ない人だから、普通は聞いてくれないですよ。それに関係ない人を巻き込むのは止めた方が良いですよね。世の中は上手く出来ている、だから弁護士さんが活躍している訳だし。法テラスなら無料になるかもね。


 女って大変よね。え?現代では、男が〜女が〜って発言するのはタブーなんですって!そういえばジェンダーレスなファッションも広がりを見せてますから。制服じゃなくて標準服って言うらしいけど、男子だけじゃなくて女子もズボンを選択することが出来るんだって。夏はまだしも冬は寒いしね。いいじゃないですか?でも選択の自由を押し付けて来られるのは遠慮願いたい。個人の主張が強くなり、複雑化になり過ぎて、情報が入り乱れ過ぎて、本来の意味を失っている。「よく考えて下さい」に尽きるメッセージの為の入り口で、改変期ですよ、現状は。受け入れる事が自由ならば、受け入れない事も自由ですよね。敵や味方を探り合うことが目的じゃない。昨今の紛争も、冷静によく考えてみれば、いつも犠牲になるのは弱者だから。無力ですが募金はします。


 湯山玲子さんのエッセイを読んでいた。ちょっとアバンギャルドなお嬢だけど、ひとりくらいこんな人が居ても良いねと思った。世間一般に受け入れられる事が、必ずしも幸せだと言えない時代になっているから。むしろ、受け入れられなくても良いという傾向が増えて来た気がします。その対局で、個性を求め過ぎなくても、勿論アリ。気楽に行きましょう。あ、多様性だ。流行りで別にアドラーの心理学に頼るんじゃなくて、己の事は己で考えて歩けよって話し。さあ、皆んなで考えよう〜


"自分の事を他人に語る時、其処には必ず矛盾が生じる"んだそうです。だから、自分語りはするものじゃないと、医学者の養老孟司さんが言っていました。でも語りたい、知って貰いたいのが人の常。何故?解剖学を専攻したのかと言う質問に、「死体には嘘がない」と話していて、非常に興味深かった。不思議ですね、生きている時は嘘に浸り、無になると消えるなんて。えーと、何かを他人に説明し理論付けしようとすると必ず一つの矛盾がくっついて来るから、わたしも少し黙りますね……あはははは……。



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