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エフェクト。

 「貴女も どうか お元気で」エフェクトしながら、脳内に流れる。

 たとえ血の繋がりがある関係でも、「時間」というものの前では無力だと、それを実感した。

 もう息子と私の「時間」が重なることは、二度と無い。

 喜びと哀しみの複雑に混ざってる涙の、色と味を知る。

 はたち過ぎたばかりでの結婚で、約10年後の離婚までに残ったものは何もない。厳密に言えば、失われたものの方が多いのだろう。息子を含めて。人を信用出来ない苦しみ、期待を蔑ろにされた絶望感からの憎しみ、そんなものは全て仕組まれたセットのようなもので、現実味に欠ける。あまりに悲しいと人は笑う。幸せな家庭を持ちたいという理想を求める程に、対極の人生になる刹那を、あの頃の私には理解も出来なかった。止めることも出来なかった。なんて理不尽だ。
若さとは有益で無益、"タイム イズ マネー"なんだ。

 別れた後の息子は、元夫が引き取った。親権は私が持ったというのに、社会は、経済的に理解し易いものを最優先する。別に愚痴じゃない。ただやり切れないというだけ。少し青さが削れたのか、期待を裏切られることには慣れている。

 外資系企業に勤めていた元夫が、息子を連れて海外に移住したと聞いたのは、離婚調停中で、弁護士と顔を見合わせて言葉を無くしたのも、今では懐かしい思い出だ。あんなに拍子抜けしたことはない。"人間は許容範囲を超えると無言になる"ことも分かった。そこでめげずに必死で働き、独りでも生きることを選んだ。メソメソしたって何もならない。苦しいならば死ぬか?いや、まだ死なない。毎晩、バスタブに浸かって泣きながら、最後はそう締めてまた日常に戻った。


 

 数年後、再婚をして、新しい家族と暮らしていた。
そんな穏やかで平凡な日々を過ごす中、ある晴れた日の午後、郵便受けにエアメールが届く。こんなドラマのワンシーンのようなことが起こるのだな…どこか他人事で冷静な気持ちで、差出人を確認した。

…健悟

…6歳で別れた息子だと、すぐに分かった。

お元気ですか?

健悟です。来月、父親が再婚するのと、

僕の就職が決まったのもあって、台北に行くことになりました。

その前に、日本へ遊びに行くので、どうせならば、貴女に会ってみたいと思いました。

あ、こういう場合は、「お母さん」って言った方がいいのかな?

でも、正直、よく分からないのです。

再婚して新しい家庭で、暮らしていることも知っています。だから、無理にとは…


読みながら、言葉をまた失った。

 そして、今日、再会した。

 品川駅で待ち合わせをした。

 事前に写真を送ってくれた。私の脳裏には6歳のままの息子が、驚く程に青年になっている…。記憶の流れについて行けない、遡って行けなくても其れは当然だろう。"10年ひと昔"は真実で、それをさらに折り返す手前の現在に、思いを留めるものは、無常で何一つとして無い。

 早めに改札口に着いて、駅構内にある旅のパンフレットのある棚の前に立ち、国内旅行が並ぶ中から、台湾・台北のツアーを手にした。昔の日本の懐かしい風景のような夜市に、輝くような笑顔の現地の人々…息子と一緒に旅をしたら、どんな感じなのだろうか…?
思いを巡らせようとしても、具体的には浮かばなかった。

 後ろから肩にふいに手を置かれて、慌てて振り返る。

 ラルフのシャツにジーンズとバックパック。真っ直ぐに背筋が伸びた長身。息子だと、すぐに分かった。

「はじめまして、じゃないけど、そのくらい振りだよね…」目の前の青年が笑う。「僕と一緒に写ってた若い時の写真とそんなに変化なくて、すぐに分かったから、ちょっと驚いた」自分の息子なのに緊張してしまい、ぎこちなく合わせて笑う。6歳児じゃないのは当然で、『お世辞も言えるくらい大人になったのね、これでも必死に白髪を染めてるのよ』と直視しないよう、髪に触れながら、自分の持つショルダーバッグに視線を落とした。それでも横目で追ってしまい、とても優しい瞳をしている息子を見た。幼い頃の面影はない。『身長伸びたのね、まあ、お父さんも長身だから、遺伝すると予想していたけど…』と親子らしい会話をしてみる。息子は恥ずかしそうに、ハハと声に出し笑って、改札口を後に、近くのウイング高輪に向かう為に歩き出した。少し斜め前を歩く青年の横顔と姿を記憶に焼き付ける。何度、想像したことか…チェック柄の袖をまくりあげた手首が逞しく、幼い頃に、何時も私と手を繋いでいたカタチは、既に残ってはいなかった。[母親が居なくても、子供は育つもの]分かっている。…分かっていた。

 高輪口から、横断歩道を渡り、強まる太陽を避けるように、正面のエスカレーターに乗り込む。
二階にあるアンナミラーズに入り、案内された席に向かい合って座る。



 タオルとお冷が運ばれて来る。窓から日が差し込む。外の喧騒を離れテーブルを挟んだ空間で、やっと息子の顔を正面から見た。過去の「時間」が映像化で流れて、目頭が熱くなったが、この状況とタイミングでは、余りに陳腐過ぎで押しやる。海外での暮らしから、義父母と元夫、学校の出来事、現代っ子のツールのスマホの写真を交えて、丁寧に説明してくれる話し方、声、全てが愛おしいと思った。(もう、これ以上は求めない)そう、内心で呟いていた。季節メニューで、いちごフェアだったのもあり、お互いにいちご好きと言うのもあって、向かい合う席には、其々にパンケーキとパフェが並んでいた。
運ばれて来た瞬間に、「わあー」と一緒に声を出してしまい、おかしくて笑い合う。『小さい頃から、いちごが好きだったね、変わってなくて面白い』と言ったら、「お母さんもでしょう?」と唐突に言われて、言葉に詰まってしまったのを察したのか、息子はその後、その話題に触れないように、さらに丁寧な言葉遣いになった。

 目の前に居る息子は、血の繋がりのある、私がこの世に生み落とした子供ではあるけれど、ここまで立派に育てたのは、私じゃない。離れてしまった「時間」は埋めることなど出来やしない。息子に寂しい思いをさせた責任は、その苦しみを罰のように抱えて生きることで償う。だから、この場で「母親」だと名乗りをあげるつもりは、今もこの先も無い。あの時、独りでも生きることを選択した時点で決めたのだから。

 
 子供には子供の、親には親の、人生がある。



 「この写真、覚えてる?」息子が大切そうに、手帳から一枚の擦り切れそうに補修した写真を出した。
幼稚園の遠足でいちご農園に行き、親子で共に過ごした想い出が蘇る。古ぼけた淡く白いフレーム内で、息子が嬉しそうに、手にしてる大きな赤いいちごの瑞々しさと、それを真横で笑顔で見つめる私。この後、長い別れが訪れるなんて、予想もしていない幸せだった時代の記憶。ダメだ…泣きそうになるのをギリギリまで、抑えてしまう自分の忍耐に嫌気と拍手喝采を感じながら、息子を見ていた。ただ見ていた。これ以上は望まない。憎いと思っていた元夫にまで感謝するくらいに、精神は静かな泉のように穏やかに、かつ熱くなる。

 楽しい時間は、本当に過ぎるのが早い。

 この後、そのまま台北へ向かうという息子と品川駅で、本当にサラッと別れた。改札口に向かって、姿が見えなくなるまで、そっと佇んでいた。一度も振り返ること無く、真っ直ぐに歩いて行く後ろ姿。私の知らなかった息子が、どんどん小さく離れて行く。

 さあ、帰ろうと思った瞬間に、ショルダーバッグ内のスマホが振動した。家族からの連絡かと思って画面を開くと、それは、さっきまで一緒にいた息子からだった。



「今日は、会ってくれてありがとう。会えて良かった。僕はもう大丈夫です。もう揺れないです。それだけ伝えたくて…でも、今、なぜか揺れています。何でだろう?自分でも分からない。お母さんは、もう新しい家族と暮らしているから、素直に『お母さん』とは呼べなかった。でも、それも、もう、いいです。僕を名前で呼ばなかったのは、僕は、もう、子供じゃないから?僕のことなんて、もう、忘れたいから?

ああ、最後だから、もういいです。

貴女も、どうか、お元気で…

 

 




 …ちがう、違う…そうじゃない…

 

 感情が川の激流のように、一気に心水溢れて決壊した。心で叫ぶ。

 慌てて改札口から入場して、目まぐるしく回りながら、息子を探す。行き交う人達が、泣きながらスマホを握りしめて、混乱している女の姿を見て困惑そうにすれ違う。

 
 もう居ない…。

 その場で動けなくなり、力が抜けて座り込み、返信をしようと画面を開く。(早くしなければ…)

「あの…大丈夫ですか…?」と親切な女性に声をかけられて、我に返った。

「時間」は巻き戻せない。

脳裏で、最後のメールの文章が流れる。

完璧な音響効果とともに。

 

 冷静に立ち上がって、乱れた髪を直して、

『どうか、健悟も、お元気で』そう打ち込んだ文章を削除して、ホームへ向かい歩き出した。

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