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「良太について知っていること(仮)」#1

 ずいぶん古い記憶に変わってしまったけれど、いつまで経っても忘れない人がいる。忘れたくないこともある。目を閉じ、それを思い出すだけで思わず声をあげて笑ってしまうことがある。そう、僕の人生もずいぶん色々あったし(これからもあるだろう)、そして、どうしようもなく面白い人物にも出会ってきた。
 二十歳になった僕は当時の職場を追われて(交通事故で大怪我をして、3ヶ月以上も休職することになってしまったのだ。その長期療養は解雇の理由になるに充分だった)、「とりあえず、どこか学校にでも行かせておけ」という親類縁者からのすすめもあり、それが最善かどうかはともかくとして、大阪の専門学校に進学することになっていた。
 問題を起こすようなタイプでもなかったが、息子が昼間からウロウロしているような状態は外聞も世間体も悪かったのだろう。
 両親から「学校にでも行け」と言われた僕は、あっさりとそれを受け入れた。18歳から2年間、スーパーで早朝から夜遅くまで働き、心からうんざりしていた。もう働きたくなかった。松葉杖をつく不便な療養期間でさえ、これ幸いとばかり、存分にスローライフを楽しんでしまえるようなダメな人間だった。
……人と言うのは変わらないもので、いまでも大して変わっていないけれど。
 ともかく。二十歳の僕はそのような経緯を経て、大阪の専門学校に進学することになった。専攻は音響芸術。他に写真と映像の学科を備えていたが、既にロックの返礼を受けていた僕は迷わずにその道を選んだ。
……いまになれば、もっとも才のない学科に進んでしまったわけだけれど、それでもとても楽しかったから良かったと思う。

……このとき、実は別の専門学校、ファッションデザインの学校も考えて、面接も受けていました。その方向へ進んでいれば、どうなったのだろうと考えることはありますね。

そして、4月の第1週。初めての授業は講堂で受ける座学。「文章表現」の授業。
……実はこの授業の体験、その授業を受け持っていた先生の一言が、僕の人生を大きく変えるのだけれど。
 初めての専門学校に緊張しつつ、僕は最後列の壁側で周囲の雰囲気をうかがいながら(最初から後列にポジショニングするうつけ者)、しっかりと可愛い女の子の品定めをしている大馬鹿者でしかなく、相変わらず授業なんて聞いていなかった。僕の行動原理は、全盛期バリー・ボンズのバッティングのように軸がぶれない。現在に即して言えば、大阪桐蔭高校の三番打者、捕手の松尾汐音選手くらい軸がぶれない。
 そんなアホの後ろで聞こえる声。
「お腹空いたな。お昼なにしよね」
 午前10時。それはあきらかに会話であった。いいな、もう友達ができたんやな。僕は羨ましかった。学生生活を共にできる、そんな友達ができるだろうか。それは大きな懸案材料だった。
 小学、中学、高校。僕にとって、いつもそれは付きまとう問題だった。そのころからいまでも、僕は同性の友達をつくることがとても苦手なのだ。
「カレー食べたいなあ」
 彼は話している。振り返ってみようかと思った。誰と話しているのだろう。のんびりとした、柔和な明るい声だった。カレーええやん。そう話せば、声の主と仲良くなれるかもしれない。僕はそんなことを考えていた。
「このへん、カレー屋あるんかな」
 返答を待たず、彼は話していた。そして、回答は聞こえない。一体、誰と話しているのだろう。近くに座って授業を受けていた同級生たちも不思議そうに顔を見合わせる。
「誰と話してるんやろ?」
「めっちゃ喋る人おるやん」
 みたいに。え、ひょっとして一人で話しているのだろうか。僕は思わず振り返る。
 そこにいたのは。どこか知性を感じるメガネ(そう感じた僕には人を見る目がない)。茶色い髪と瞳。ほっそりとした白い肌。微笑んでいるように、わずかに口角が上がっている。彼は髪をかきあげた。いま思えば、彼はペヨンジュン氏によく似ていた。春のアナタ。
「なあなあ、カレー屋さん行こう」
 そのイケメンは唐突に僕に投げかけた。僕の肩にかけられた手はあたたかく、厚みがあった。
「うん。このへん、カレー屋さんあるかな。誰か知ってる人おる?」
 緊張のとけた僕たちは笑い合った。誰だって新しい環境に不安なのだ。誰だって友達になれるのだ。僕たちはまだ何者にもなっていない、ただただ若いだけの人でしかなかったのだ。
……のちに。
 この一言が「天然どころではない。大自然」「大自然というか、南アルプス天然水クラス」「もはや災害」とまで称され、学部を問わず、誰もが知る人物になった、西村良太(仮)との出会いであった。
 人懐っこい声で誰彼構わずに声をかけていた西村良太は、僕を含めた配下を九名も従え(男は西村良太含め三人、女子七人)、大阪駅近くのカレー専門店に意気揚々と出かけたのだ。
 のちに考えれば当たり前のことになるのだが、意気揚々と人を誘った西村良太本人は財布はおろか、小銭すら持っていなかった。西村良太は恐るべきことに、初日の講義に手ぶらでやって来るという偉業(?)を、このとき、すでに達成していたのだ。

……続られたら続けますね。

photograph and words by billy.

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