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「さようなら」

 横から吹き抜けてゆく風はもう冬のそれとは違ってた、あまりに長くて、ひょっとしたらもう終わらないんじゃないかとさえ思った一週間の朝のことを思い出す。
 三年間切らなかった髪はすっかり伸びて、風にさらわれそうなくらいにふわり宙に舞う。
 名前を知らない花の匂い、どこかから流れてきた飛沫、耳をすませば坂道の向こうの海が聞こえる。

 笑う声と鼻をすする音、喜びと期待より淋しさと不安のほうがずっと大きくて、胸はいつもより早く鳴り続けてる。臆病な心臓はまるでせっかちな時計みたいだ。

 きっと何も起きなくて、何もかもが起こり続けた三年間は、むりやりに私を変えようと風を吹かせ続けて、その渦のなかで羽根みたいに舞わされていた、もうそれはそれで過ぎたこと、いつか笑ったりできるんだろうか。

「終わったね」
 風上から大人びた香水の匂い、長くしたまつげと淡い色の唇と。
「終わった……のに、また始めなきゃなんないんだよね」
……やだ?」
 私たちは臆病だもの。誰も彼もが優しく慈しみ合うような世界には生きていない。もし、そんな世界があるとしても、きっと私は呼ばれもしない。美しいだけの世界なら、悪意も意図もなく私が規律をやぶるだろう。
「ん……でも同じ場所にいられないしね」
「いたいわけでもない?」
「生きてるから」
「だね」
「そうだよ」
 さようなら。それが正しい言葉なのか、それもよく分からない。分からないことばかりで、ほとんど何も知らないばかりで、時間は何かを置き去りながら、私たちを先へ先へ運んでゆく。

 止んだと思ったばかりの風が角度を変えて、私の背中を押していた。
「なんだってできる、そんなのウソだよね」
「できることさえ分からないもん」
「じゃあ、明日から何をするの?」
 明日。明日か。そんな先のことは考えたくない、考えられない。だけど、それはたぶん訪れる。
「これから明日のことを考えようかな。窮屈な制服を脱ぎ捨てて」
「じゃあ、その前に歩いてかないとね」
「うん」

 下り坂をすり抜けてゆく風に押されて、いつもそうしてきたように私は進む。昨日より少し早いペース、小走りで、両手を広げて。
 さようなら、私。
 きっとうまくやれるよ、何が起きて何をやることになったにしても。
 そうするよ。
 あまりに空は青すぎて、見続けてると泣いてしまいそうだった。

photograph and words by billy.

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