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短編小説「国境線上の蟻」#7



 孤独は生きる限り続くものと君は思っていた。掬い上げられる僅かは瞬時に砂として零れ落ちてゆく。それを掬った掌からも瞬く間に零れ落ちてゆく。明滅する光。明滅する希望。それに並走する孤独。離れることのない絶望。
 その繰り返しを生きてきた。眠るときに見る夢は束の間、君を孤独から解放する。だが、目覚めた現実は途方もない闇のなかで、独りで呼吸だけを続けている。孤独を吐き、暗闇を吸う。暗黒を吐き出して、虚無を吸いこむ。
 口のなかに血が匂う。噛み締めた歯。飲み込む唾液。上顎。下顎。噛み合わさる。滲む血。昨日よりも鮮やかな赤。血の匂い。鉄とレモンを混ぜ合わせた、獣の匂い。
 君は錆びた鉛の銃弾を舐め続けている、乾いて色を失くした頬を一滴が濡らしている。
 まだ僕は生きているのか。
 君は何度もその問いを朝に訴える。

「お前は私を戦争の仕掛け人だと言う。それは多くの人にとっての現実かもしれないが、真実とは異なる」
 君は小さな窓から殺し合いを見届けていた。手足をもがれ、口から血を吐き、それを見つめる子供の眼は空洞だった。それでも生存を訴えるためか、彼は彼女はあらんばかりの力で声をあげた。
 悲鳴と号泣。しかし、それは殺戮に悦楽を感じる獣には嬌声になったのだろう。
 度を超えた残虐を行うとき、人は笑うことを選択する。精神を瓦解させないための防衛本能だそうだ、君はどうだろう。なるべく早くに命を絶つようにしてきた。せめてそれくらいの情は持っていたつもりだった。しかし、これまでに何人もの命を途絶えさせてきたのか、もはや、記憶にもない。当然、ひとりやふたりではない。敵対者であろうと、そうでなかったにしても、君が進む道筋に立ち入る者には容赦しなかった。だからこそ、いま、生きているのだ。
「私は君と同じだ、君は私と同じだ。生存のために選択の権利を持つのは限られた子供だけだ。それを持たず生まれたのなら手段は多くない。君はそれをよく知っているはずだ」
 頭部、四肢、胴。
 頭蓋骨、関節、筋肉。
 骨格、神経、血液。
 食肉のように解体された人は破片でしかなかった。意思も希望も孤独も、ない。赤く生臭く、わずかな時間で土の塊に変質する。
 君は売られるために街から出てゆく、捌かれた牛や馬や豚や犬との差違を探した、しかし、そんな好都合なものはなかった。人は不遜に過ぎる動物の一種類だった。犬や猫や、牛や馬のように、ヒト科がいる。以上も以下もなく、ただ、それだけのことだった。
「お前は私をハイエナかそれ以下か、屍をつくりそれにたかって財を成したと思っている。事実だ。だが、お前と私の間に違いはあるか?」
 君はそれに応えることができない。
 感情があるのは、君も君に似た男も変わらないのだと知っている。
 だからこそ、尚更、自らの意思を破棄し続ける男を許したくない。殺害に至るより他ないと、かつての彼と同じ思考に囚われてゆくのを気づいてもいた。
「お前が私を仇に思うのは、同じ種類の生き物だからだ。お前が生きるために手段を選ばなかったように、私も手段を選ばなかった。すでに人類はその歴史で以て争いを否定できない近代をつくってきた」
 男は武器を密造し、売買し、それを必要とさせるためのシナリオを描いてきた。
 君は生まれ育った街を奪われ、そして国籍すらも失くしてしまった。
「それは有り触れたことだ。私は私の行為を肯定しない。だが、私の意思だけで行われたことなど一度もない」
「ヒトは最も愚かな生き物かもしれない。それは俺にも分かる。分かる気がする」
 君は最初の記憶を屍に集う蟻の姿になぞらえる。
「ヒトの英知は、唯の一度も争いを回避する術を得なかった。今後もそれはないだろう」
 君は経験として学んだわけではない、だが、それが真実だと刻みこまれていることを疑わない。
 忌み嫌ったはずの生き方、ヒトの在り方。
 君はそれによって生き永らえてきたからだ。

つづく。
photograph and words by billy.

「国境線上の蟻」ここまで。


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