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汽車のある情景 倉吉線

昼過ぎの混合列車は、
がたたん、ごととん、と、
倉吉を出た。

小さな機関車の後ろには、
三輌の貨車と二輛の客車。

栗色の古ぼけたその客車には、
僕の他に花を売る行商のおばさんと
病院帰りらしいおじいさんだけで、
窓の外も客車の中も、
九月の午後の気だるい空気が
漂っている。

今年は残暑が厳しいが、それでも
色付いた田圃から吹き込む風には、
心なしか秋の涼しさが感じられる。

おばさんの姉さん被りの手拭いが、
その風に、はたはたと揺れていた。


倉吉を出て、ほとんど加速らしい
加速もしないうちに、
最初の駅に着いた。
上灘はプラットホームが一つだけの
小さな無人駅だ。

ブレーキをきしませて汽車が止まる。
風も、音も、すべてが止まる。
時間も止まる。

乗る人も降りる人もなく、
ただ静寂が支配する。

そして、唐突に汽笛が吠える。

ぼーわーっ。

汽車の欠伸あくびだ。

長かったのか短かったのか、
止まっていた時間を
ゆっくりと引き出す。

がちゃん、と音を立てた衝撃に、
網棚のコスモスたちがさざめいた。


打吹駅を出る下り列車


打吹うつぶきという名の駅で汽車を降りた。
貨車の入れ替えを始めた
機関車の排気音を背に、
駅舎から街へ歩き出す。

去年までこの街の駅を倉吉と言った。
本線の倉吉は、上井という名だった。
ここは昔からの倉吉の市街地で、
打ち水の涼しい商店街の、
落ち着いた表情が懐かしい。

そんな街並みを1キロも行かない内に
川の堤に突き当たった。
疲れの見え始めた夏草が茂る

その堤に登ると、
鈍色にびいろいらかの波が見渡せる。
幅二百メートル程の小鴨川は、
倉吉の街を緩やかなカーブで
貫いていた。

夏枯れのためか流れは細く、
すすきの繁る河原の方がずっと広い。
それでも川面を渡る風は涼しく、
ここだけが一足先に
秋を出迎えていた。

まだ穂の紅く堅いススキの繫みに
僕は腰を下ろし、耳を澄ませた。

人々の生活の営みが奏でる
微かな町のざわめきや、
虫たちの合奏に混じって、
遠くトビの鳴き声が澄み渡る。

遮るものの無い青天井の鉄橋には、
いましばらく列車の来る気配もない。

僕はそのまま仰向けに寝そべり、
綿のような夏雲の彼方に、
冷たく凍る絹雲が光るのを見た。

白と青が描く丸いホリゾントを、
赤とんぼが何匹も
気ぜわしく行き過ぎていた。



遠い汽笛の音で目が覚めた。
川の向こうの
西倉吉を出る汽車のものだろう。
あと数分もすれば、
鉄橋の上に姿を見せるに違いない。

さっきより日差しは傾き、
風にも夕暮れの匂いが
微かに混じっている。
 
僕はもう一度目を閉じ、
川を渡るために
築堤を喘ぎながら登ってくる
機関車の吐息を聞き出そうとした。

まだずいぶん距離があるのか、
それとも歩みが遅すぎるのか、
汽車の響きは
なかなか聞こえてはこない。


そのかわりに、どこからとなく
ハーモニカの音が聞こえてきた。
聴いたことのあるメロディーだが、
題名が思い出せない。

身体を起こし、音のする方を見ると、
堤の上の道を学校帰りの少年が一人、
ハーモニカを吹きながら
歩いてきたのだった。

紺色の野球帽を目深に被り、
ランドセルの中で筆箱が鳴っている。

少年の周りに、
狂おしいほどの数の赤トンボが舞い、
硝子ガラスのような羽に夕日が反射して、
キラキラと光の粒が空に弾けていた。

少年は僕に気付くと、
ハーモニカを吹くのをやめて
立ち止まった。

僕の視線に、
一瞬、はにかんだ表情をしたが、
すぐにさわやかな笑顔になり、
帽子をとった。

「ただいま帰りました!」

見も知らぬ僕に
そう言って一礼すると、
さっきよりさらに目深に帽子を被り、
ハーモニカのつづきを吹いた。

その音色に合わせるかのように、
突然鉄橋が歌い出した。

振り向くと、
夕陽に車体を輝かせながら、
汽車が鉄橋を渡っていった。


小鴨川橋梁を渡るC11牽引の混合列車(自作8mm映画より)

昭和48年9月 国鉄倉吉線、打吹
(倉吉線は昭和60年3月31日限りで廃止された)