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映画「The Truffle Hunters」

邦題「白いトリュフの香る森」は、イタリア、ピエモンテ州で、森の恵みと共に、幾世代にも渡って受け継がれてきた地域の文化を継承している、トリュフハンター達の暮らしに寄り添って、3年間に渡り撮影されたドキュメンタリーだ。

トリュフ収穫の楽しみ、相棒犬との厚い絆、同業との情報交換、仲買人との駆け引き、さらに、私有地に忍び込み勝手に取ってゆく泥棒、生きているうちに場所を教えてと老ハンターに迫る若者、きっぱりと断わる老人、嫉妬から犬に毒の餌をしかけられて嘆くハンター、金、金、金の風潮に嫌気がさして引退を決める者…絵画のようなアングルの、短いショットが重ねられてゆく。

伝統的なトリュフ狩りの流儀を守るハンター達の環境が、周囲の様々な人間の業によって脅かされてゆく。気候変動、環境破壊、森林伐採、新参者による根こそぎの乱獲…

村の暮らしの合間に、都会でトリュフを味わう、あるいは商う側の人間たちのショットが繰り返し入り込む。キロ数百万円にもなるトリュフを扱う彼らの姿は、どこか戯画のように滑稽だ。

相棒犬ビルバに、家族のように語りかける一人暮らしのアウレリオは84歳。自分が居なくなっても困らないように、面倒を見てくれる女性を探しておくからな、と繰り返し言って聞かせる。ビルバもまた、主人の目を見てじっと耳を傾ける。

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78歳の農民詩人で、若い頃は女達が放っておかなかったと豪語するアンジェロは、森林伐採やハンター同士の敵対、新参者による森の破壊などに憤って、トリュフ狩りをきっぱりやめた。仲買人にまた採ってきてくれとしつこく懇願されると、怒りをあらわにして、ハンターのプライドを示す。

彼の登場シーンはどれも、一幅の絵画のよう。

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87歳になった高齢のカルロを案じ、もう森に行くのはやめてと、妻のマリアが何度も懇願するが、夫は聞き入れない。

そう、年金でのんびり暮らしをするなど、考えられない。森に行くことこそ、彼にとって生きることなのだ。マリアもそれはわかっているのだが。

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夜の帳が下りた窓の下、愛犬ティティーナが主人の気配を感じてそわそわ。出て来る主人を待ちきれず、尻尾をフリフリしながら背伸びして窓を覗く。寝ている妻を起こさぬよう抜け出す主人を察して、愛犬も声を立てずに後に従う。

ハンターは、自分の狩場を誰にも決して教えない。だから彼は危険を冒して夜に出掛ける。

裕福なトリュフ鑑定人が、卵料理に、買い付けしたばかりの高価なトリュフをたっぷりスライスさせて口に含む。表情も変えずに「旨い」と一言。

お金に糸目をつけず超高級素材を食べる者と、愛犬と連れ立って、嬉々として森に狩りに行く者。さて、どちらが幸せな顔をしているか。

地元の住人である登場人物の誰もが、至近距離での撮影に、まるでカメラなどないかのように自然体である。犬たちも同様、まったく警戒していない。家にテレビを持たない彼らは、映像に撮られる抵抗がないらしい。また監督達が彼らの暮らしに溶け込んで、じっくり時間をかけて信頼を築いているのがわかる。

チャーミングな村人たちの風貌とふるまい、相棒犬たちとの付き合い方が、なんとも心地良く、後味の良い映画だ。

 タイトルバックが終わる頃、黒いスクリーンの中から、夜の森を行く犬の気配と、「ティティーナ!」の呼び声。お洒落な終わり方。

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お昼は、鴨肉たっぷりのつけ麺。ここの蕎麦打ち名人は何でも自分で作ってしまう。オーディオ、店のしつらえ、野菜…店の隅に、オブジェのように並べた道具類に、職人の矜持が伝わってくる。

巣篭もり暮らしの中、映画館に出かけて行って、新しい視点を教えられる作品に出会うこと、これもまた、私流セラピーのひとつかも。初日の今日も、7、8人の入り。お喋りまったく無し。映画館、おすすめですよ。

立川高島屋SC               2.   18

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今日はお墓参りのついでに、実家のふきのとうを摘んできた。季節毎に顔を出す恵みは、見回せば我が足元にもある。でも、かつては当たり前にあったこんな場所も、東京近郊では本当に少なくなった。守らないと消えていくものたち。守ってくれた兄弟に感謝。

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ロコ・ソラーレ、よく頑張った!

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