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『愛するということ』エーリッヒ・フロム著

本屋さんで平積みにされている本の中で、一際美しい装丁の本があった。

改訳、新装版フロムの「愛するということ」。
オフホワイトで、ツルッとした手触りの表紙がすごい好み…!!
銀色のスピン(紐のしおり)もすごく合っていて、シンプルなのに洗練された美しさがあった。

表題もシンプルでガツンと心に響く。
今回はエーリッヒ・フロムの「愛するということ」について書きます😇

①あらすじ

人間砂漠といわれる現代にあり、〈愛〉こそが、われわれに最も貴重なオアシスだとして、その理論と実践の習得をすすめた本書は、フロムの代表作として、世界的ベストセラーの一つである。
愛は技術であり、学ぶことができる――
私たち現代人は、愛に渇えつつも、現実にはエネルギーの大半を、成功、威信、金、権力といった目標のために費やし、愛する技術を学ぼうとはしない。愛とは、孤独な人間が孤独を癒そうとする営みであり、愛こそが現実の社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術である。
(紀伊國屋書店HPより)

表題もシンプルでわかりやすいけど、
「愛する」ということがどういうことなのか、
すぐに説明できる人は少ないと思う。

私も本質的にはよくわからなくて、「愛されたい」とは思ったことがあるけど、正直「愛したい」とは思ったことなかった。

巷では「愛される」ための恋愛テクニックなどの記事は溢れているけど、「愛する」ことについて書かれた記事は少ない。
つまり、私と同じように感じている人が多数派で、多くの人が他者を「愛する」ことには関心がなく、重要視していない。

フロムは本作で
"愛することは技術であり、習得可能である"
"成熟した人間のみが、愛することができる"
と説く。

よくわからないけど「愛する」って何?

友愛、恋愛、自己愛、家族愛、神への愛など、一括りにはできない愛についての理解が深まる一冊。

②感想

世の中はGIVE and TAKEで成り立っている。
誰かにこれだけやってあげたら、私もこれだけやって欲しい、と言わずもがな人は願っているし、見返りを求めることは普通だと思う。

フロムが言うには、愛とは落ちるものではなく、踏み込むこと。能動的に与えることこそ愛という。
GIVE and GIVE and GIVE…?

与えると言う行為のもっとも重要な部分は、物質の世界にではなく、ひときわ人間的な領域にある。では、ここでは人は他人に、物質ではなく何を与えるのか。それは自分自身、自分のいちばん大切なもの、自分の生命だ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にすると言う意味ではない。そうではなく、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているすべてを与えるのだ。

与えること、と言われると、物質的なことを想像していた。例えば奢ってあげたり、プレゼントしたり、尽くしてあげたり。
フロムによると、より自分の本質的な部分、自分自身を捧げるということのようだった。

自分自身を、自ら開示していく。
自分の持ちうる全て、知識や感情を惜しみなく与える。
とてもシンプルなのに、歳を重ねるごとに難しくなってきていた。子供の頃は純粋にできていたのに、大人になると自分を開示しすぎない、世渡りの術を覚えていく。

ではどんな人物が与えることができるのか。
子供だったら人を愛せるのか、というと違う。
フロムは成熟した人間のみが愛せると言う。

配慮、責任、尊重、知はたがいに依存しあっている。この一連の態度は、成熟した人間にのみ見られるものだ。成熟した人間とは、自分の力を生産的に発達させる人、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらないひと、全知全能というナルシズム的な夢を捨てた人、純粋に生産的な活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人のことである。

理性、謙虚さ、客観性を身につけた人物こそ成熟した人間であり、愛することができる人なのだそう。
愛とは、意志に基づいた行動だと知る。

世の中に、フロムが説く成熟した人間なんてどれくらいいるんだろうと思う。
殆どの人は自分も含めて利己的だと思うし、正直自分が良ければそれでいいと思うところもある。
大体、消費を追求する資本主義においては無理じゃない?とか思ってたけど、それだと社会根底から否定することになるから、自分自身の経験則に当てはめてもう一回考える…。笑

幸いなことに、フロムは愛することは技術であるから、習練により得ることができると言う。

集中力の習得においていちばん重要なステップは、本も読まず、ラジオも聞かず、タバコも吸わず、酒も飲まずに、ひとりでじっとしていられるようになることだ。実際、集中できるということは、ひとりきりでいられるということであり、ひとりでいられるようになることは、人を愛せるようになるための必須条件のひとつである。

集中するとは、いまここで、全身で、現在を生きることだ。何かをやっているあいだは、次にやることは考えない。

愛するには集中力が必要、というフロムの記述の中で、一番好きな箇所だった。
ひとりきりでいられることが、愛せる為の条件というのは逆説的で面白い。

だけどたしかに、何もせずひとりきりでいる、というのは意識しないとできない。
私はひとりでいる時間も大切派だけど、本を読んだり映画を見たり、何かしている。
そういうことではなく、自分自身と対峙する時間を設けて、そこに集中する。自分自身に敏感になる。
自分を愛することに繋がって、他者を愛することに繋がる。

難しいけど、自分への理解が他者へ与えること、愛することに繋がるということ、と理解。

人を愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかしか愛せない。

この人を愛そう、と心に決めて、そこに殉じることが愛することであり、対象は問題ではない。
というかフロムは、本当の意味で「愛する」とは、ひとりの人を愛することではなく、すべての人を愛することと言う。

ここは私も分からなくて、うーん?、と言う感じ。
対象こそ問題だと思っているからまだ成熟した人間じゃないんだろう。
自分にとっての課題だった。

③まとめ

初フロム、面白かった!

自分はまだまだだなあと思うけど、愛することはものすごく体力を使うと知った。

「あなたが必要だから愛しているんじゃなくて、愛しているから、あなたが必要だよ」
といつか誰かに言える自分になりたい、、

そう思いながら今日の夕飯を考えるのでした🤤🍷

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