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「バーテンダーはFBI並みの目をもつ」


誰だって知らない人は恐い。僕も見ず知らずの人はメチャメチャ恐ろしい。
自分に関わっている人ですら興味を抱けないことがあるのに、関わりのない人に興味を持てようはずがないのである。
だからこそ、人は知り合いを大切にするし、関わりを重んじる。

知らない誰かに道で声をかけられても、当然のようにシカトをするだろう。そうしたとしても罪にはならないし、「なんか素っ気ない事したな」と罪悪感を感じることもない。
むしろ、この物騒な社会で声をかけてくる側の方に何らかの黒きものを感じると思う方がずっと正常な感覚だろう。
深夜のバーに強盗が押し入るなんて話は定期的に勃発しているし、お客が日本人だけではなくなっている現在、危機管理体制はさらに強化しなければならない時代なのである。
前提として、僕は人並み程度の人見知りである。だから、お店のお客のほとんどが紹介に頼っている。特別に「紹介制」というわけではないけれど、最初の来店は常連のお客が連れてくることから関係がスタートすることが多いという意味だ。信用しているお客が連れてくる人は信用に値するということだ。
だから店の看板は無いし、飲食サイトの登録もしていない。店もあまり目立たないようになっている。だがそれでも知らないお客はやってくる。
とりわけ一人客が一番の警戒対象だ。
知らない人が恐いのは、相手だって同じなはずだ。なのに一人でやってくる。
その心理がもっとも重要であり、その来店動機の真意を見抜かなければならないのが最初の仕事と言えるのである。
その時に心がけている「匂いの法則」とでもいうようなものがある。
犯罪の匂い、社会性の匂い、コンプレックスの匂い、酒癖(やから)の匂いなどを、可能な限り迅速に把握しなければならない。
お客の来店時、扉が開いた瞬間、スタッフ同士でアイコンタクトをする。
「ん?この人知ってる?」「知りません」とわずか1秒だ。
そのあとに「いらっしゃいませ」となる。その刹那のような時間で外見から拾えるだけの情報を一気に収集する。
推定年齢、態度、酒の入り方、服装のセンス、着けている装飾品、髪型、目つき、目線などを判断材料にして、座っていただく席を選択する。怪しいと判断した場合は、店の奥に誘導し、無銭飲食の防止や、他のお客に迷惑のかからないように少し離れた席にする。
犯罪の匂いの定義はケースバイケース(反社の匂いはまた別)だが、最初に知り得た情報の組み合わせで辻褄を合わせる。
あとは現場の肌感覚と空間の違和感らしきものを加味して読み取る。
仕上げは目をみて判断する。
基本、やましいことを考えている人とは目が合わない。黒い匂いの嗅ぎ分けは、視線を観察するのが一番わかりやすいのである。
万が一、反社会勢力の人間や店にそぐわないと判断したお客を店内に入れてしまった場合でも、いつも通りに注文されたものを作ってお出しする。
接客は極力丁寧に、且つ面白みがなく味気ない会話を心がける。
相手の望んでいる会話や返答を少しだけズラしていくのだ。
退店時にお客が感じてもらいたい我々が目指す感想はこうだ。
居心地があまり良くなく、あまり面白味のないお店。だが、極端に悪いお店ではなくなんだか印象の薄い、可もなく不可もない店だった、という感想を持ってもらうのだ。
特別に失礼なことをするのではなく、なんとなく乗れない空気感を作り出す。
招かれざる客だと感じてもらうのもバーテンダーの腕の見せ所といっていい。
大切なお客に最高の空気感を提供する為なら、バーテンダーは排除すべきお客には徹底して対応しなければならないのである。
いくら反社会勢力の人間が身分を隠し大人しく飲んでいたとしても、それを許すわけにはいかない。カウンターの横のつながりを大切にするバーにとって、お客の秩序や良識が店づくりの重要なスパイスであると己に言い聞かせる。
店を始めたての頃、どんな人間でも平等に癒されるべきだという志を持ったことがあったが、それは不可能だと悟った。
お客をお店に合うように教育するだとか、少々の無礼には目を瞑って妥協するという考えでは、きっと店を存続させることは不可能ではないか。
僕はそうして失敗と後悔を繰り返してきたのである。
店は僕のものではない。スタッフ、お客、みんなのものである。
お客が、安心して酔ってもらえるような環境を死守し、スタッフが適度な緊張感を持って笑顔でサービスができる環境を目指している限り、お店の危機を遠ざけることは十分にあり得ると思うのだ。
今日も監視の目を怠らない。だが、監視していることを、お客には決して悟られてはいけない。そういった意味では、バーテンダーの振る舞いはFBIではなくCIAに近いスキルなのかもしれない。


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