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オバイケというたべもの。

居酒屋のメニューを見て、こんなにも頭が混乱したのは、おそらく生まれてはじめてだ。

「オバイケ」

出張で訪れた博多で、博多駅近くの居酒屋に入った。この街のことはほとんど知らないので、ネットでひとり飲みができそうな店を探して見つけた。

その店は、駅から徒歩5分ほど。大きなホテルの裏側にある、ビルの1階にあった。ビルの1階だが、看板や外観はかなり年季が入っていて、扉は自動ドアではなく、アルミの引き戸だった。

ガラガラガラ…。

「いらっしゃいませ」

「ひとりなんですけど…」

「カウンターになりますけど、よろしいですか?」

「はい。お願いします」

愛想のいいおばさんの案内で、カウンター席に座る。まだ夕方5時を回ったばかりで、店の開店時間からほんの数十分しか経っていないのに、もうすでに、3人組のおじさんたちが赤い顔をしていた。私が案内されたのは、そのおじさんたちの隣りだった。

私の隣席は空いていたが、おそらく予約が入っているのだろう。小皿や箸などがセットされている。奥にある小上がりにも、小皿や箸が並んでいた。

「こんなに早い時間なのに、予約でいっぱいだなんて。やっぱり人気店なんだな」と思った。

1杯目は生ビールを注文した。最初のおつまみは、福岡名物のごまさば。本当は、活きイカを食べたかったのだが、その日はあいにく、入荷がなかった。

冷えたビールを飲みながら、ごまさばをつまむ。

「う~ん!」と唸りたくなるほど、活きのいいさばならではの歯ごたえと、ごまの香りがおいしい。けれど、隣席のおじさんたちにからまれそうなので、そこはグッとがまんした。

ごまさばをあっという間に食べ終え、「さて、次は何にしよう?」と改めてメニューを見た。

その時である。私の目に、見たことのない単語が飛び込んできたのは。

「オバイケ」

それは確かに、カタカナで書いてあった。オバイケ。私は、もう一度、その文字を確かめた。オ・バ・イ・ケ。やっぱり、この4文字なのだけれど、日本語なのに、意味がわからない。ということは、どこかで区切ればわかるだろうか?

「オバ・イケ」なら、オバさんがイケてる感じだ。

「オ・バイケ」なら、オー!バイク!みたいだけど、それでは食べ物ではない。

「オバイ・ケ」なら、夜這い(よばい)に行け、といわんばかりである。

どれも違う気がする。う~ん…。なんだろう…??

しかも、これは「本日のおすすめ」のような特別メニューではなく、レギュラーメニューに載っている。ということは、普段からこの店にあるということだ。

40年以上も生きてきて、居酒屋には10代の頃からいろんな店に、かなりの回数行ったけれど、お目にかかったことがない「オバイケ」

あまりの衝撃に、ググることも忘れ、頭の中でただひたすらに考えてみた。だけど、やっぱりわからない…。

あ、そうか。店の人に聞けばいいんじゃん。

予約客が来店し始めて、店のスタッフたちは忙しそうにしている。ちょっと気が引けたが、私を席に案内してくれた愛想のいいおばさんを呼び止めた。

「すみません。オバイケって、なんですか?」

「え?オバイケですか?オバイケは、クジラの尾っぽのところです。ホラ、あそこにある。酢味噌をつけて食べるんですよ」

おばさんが指さす方を見ると、カウンターの冷蔵ケースの中に、パックに入った白い物体があった。その物体は、白くて、うねうねと曲がっていて、ふわふわしているようにも見える。なんだか、こんにゃくとか海藻みたいだ。

「はぁ…。あれが、オバイケですか」

「そうそう。私たちが小さい頃は、肉よりもクジラの方が安いくらいだったからねぇ。この辺では、子どもの頃から、よ~食べよるんですよ」

「よ~食べよる」という方言が、ちょっとかわいいなと思いつつ、おばさんに「オバイケ」を注文した。地元の料理みたいだから、地元の日本酒も飲んでみよう。

「先に、日本酒お持ちしますね」

そう言うとおばさんは、小皿とグラスを私の前にセットした。そして、カウンター横にある大きな冷蔵庫から、冷えた一升瓶を取り出すと、セットしたグラスに日本酒を注いだ。日本酒はグラスからあふれ、小皿にもこぼれた。いわゆる「もっきり」だ。

「ありがとうございます」

私はおばさんに礼を言い、なみなみどころか、こぼれるほどに注がれた日本酒に口をつけた。ちびちびと飲みながら「オバイケ」を待つ。

オバイケって、クジラなのか…。

クジラといえば、馬肉のような赤身か、クジラベーコンの白と赤、もしくは、甘辛く煮たものが缶詰に入った大和煮。いずれにしても、たった今見た、真っ白でふわふわした、こんにゃくか海藻みたいなイメージはない。

「お待たせしました~」

先ほどのおばさんが、オバイケを持ってきた。水色の和皿に入った白いオバイケの横には、酢味噌が添えてある。

おそるおそる、箸でつまみ上げてみる。食べやすい大きさに切られたオバイケは、やっぱり海藻みたいに見えた。

酢味噌に、ちょっとつける。思い切って、口へ運ぶ。

ん?あれ?予想していた味と違うけど、おいしい!

オバイケは、クジラだというので、肉のような味を想像していたのだが、さっぱりしていて、とても淡泊。食感はこりこりというか、ぷにぷにというか、ゼラチンっぽい感じだった。その食感がおもしろくて、お酒がすすんだ。

人生初の、オバイケ体験。

東京に帰ってから、「オバイケ」でググってみた。どうやら、福岡の隣県、山口県の郷土料理らしい。

漢字で書くと「尾羽毛」

なんだか、クジラというよりも、ニワトリっぽい。しかも、オバイケじゃなくて、オバケじゃない?

いやいやいや、オバケが転じて、オバイケ。オバケなんていうメニューだったら、私はゼッタイに食べていないと思う。


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