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「音楽は不要不急で、衣食住が満たされた上で必要」派は小学校の教科書を読み直そう

SNSで「音楽は不要不急で、衣食住が満たされた上で必要」
・疫病が収まってから
・生命が確保されてから
・食べ物・インフラが揃ってから
余暇である音楽を楽しみましょう

という趣旨の投稿や意見を見て....改めて
日本人の知性は劣化してるなと落胆しました

小学校で勉強したことを忘れて
好き勝手言う大人が多くて泣きそうになります

小学校の教科書に書いてあります
歴史の授業で習った簡単な話です

縄文時代以前、石器時代人は
食べ物が収穫できず餓死しそうな時、豊作を願い祈祷しました
暴風雨や大地震が起こらないように神にお祈りを捧げました
疫病で死者が出た時に踊りや儀式で無病息災を願いました

つまり
食べ物が確保されてから音楽を聴く
住むところがあってから音楽を聴く
ではなくて!

食べ物を確保するために歌を歌い雨乞いをした
今住んでいる場所で生活できるように踊って神にお祈りした
病気にならないよう、病気が治るように祈祷した!です

「どちらが先」「何が優先」とかそう言う話では無く
音楽と衣食住は太古の昔から一体となったモノなのです

このまま大人がシラフでトンチンカンな事を言い続けると
小学生の方が賢いということになってしまいますので
歴史の本を読んで欲しいと思います

私たちの祖先が死なないように、死にそうになりながら
なんとか生き延びようと必死に踊り、歌を歌って
遺伝子を残してきたのです

「音楽は不要不急で、衣食住が満たされた上で必要」なんて言うのは
人間が積み重ねてきた歴史を忘れて冒涜する
人々の心を救うための踊り・歌を継承してきた人を排除する

行為です


どらえもんの漫画でも読めるので歴史を再度学び直して欲しいです


「無人島に漂着したら歌うのかな?」

という意見を世界中に公開している音楽講師の方がいましたが...
無人島で食料を確保できるように歌ってきたのが人間
食べて寝るだけだと暇で死にそうになるので絵を描いて踊ってきたのが人間
天変地異や病気で死ぬ人を見ると気が狂いそうなので祈ってきたのが人間

衣食住と音楽は一体で、どちらが先ということもないのですし
音楽は人の生死に密接に関わってきました

また一人の人間が「生活基盤の方が貴い」「音楽は不要だ」と
簡単に言えるものでもなく、歴史が決めるもの


人間は忘れる生き物です....が
どらえもんの漫画でも読めるので歴史を再度学び直して欲しいです

人は過去の偉人が積み上げた文明の上に胡座をかいて
祖先が守ってきたものを、空気のように扱ってしまうことがあります
自分も小学校の教科書を読み返し謙虚に生きたいと思いました

また私は北海道に住んているので、音楽が無くなったとしても
鳥のさえずり、木々の揺れる音、逆に無音を楽しむことができます

しかし、都会などに住んでいる場合は植物が少ないので
自然音に触れる機会も少なく

人口密度が高いので通勤の雑踏やノイズに仕切りを作るために
イヤホンで音楽が聞くことが必要になってきますし

壁や床がコンクリートが多いと反射音が耳に反響して、電車や地下鉄の
走行音が爆音。ジムやレストランで音が無い、映画/アニメ/テレビで
BGMが無い....
などなど本当に無音で耐えられるのでしょうか?

音楽が生活に根付いているから...まだ在るから
「なくても別に死なない」
と錯覚しているだけではないでしょうか

ちゃんと想像してみると、今こそ音楽が必要な状況かもしれません


こうやって1人の人間が書いても知性の劣化はエコーチェンバーを介して進んでいくので、意味が無いと思いながら...いちおう言っておきます

歴史は大事。小学校の勉強は大事。


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