バンドマン 人生に怯え哲学に縋る

つくね大戦争というバンドで歌っています。 これはエッセイです。打倒さくらももこ ///…

バンドマン 人生に怯え哲学に縋る

つくね大戦争というバンドで歌っています。 これはエッセイです。打倒さくらももこ //////////////////////////////// お祭り・フェスティバル・フェスタ/つくね大戦争 https://m.youtube.com/watch?v=uW3DJ8FCWwg

最近の記事

マルチタスクするな、腰を据えて取り組め。

僕はマルチタスク中毒である。 これは僕だけだろうか。散歩をするときも、家事をするときも常にイヤホン。風呂に入りながらスマホだって触る。そもそもスマホを触っているときだって動画を視聴しながらSNSを見る。まじでしょうもないなと思いつつこれがやめられない。現に今も、日記を書きつつブラウザのタブを切り替えたくて仕方ない。もはや病気である。 病名をつけるなら、スマホ中毒 or マルチタスク中毒といえよう。この2つは似ているようで微妙に異なる。例えば僕はスマホがなくてもマルチタスク中

    • 知の巨人、大学教授の伝家の宝刀

      僕には二歳離れた弟がおり、先日3時間ほど街をひたすら歩き続けるという企画を行った。ファミレスで延々と会話する高校生と同じノリだと思う。多動な我々は会話中も動き続けなければ死んでしまう、いわば陸のマグロなのである。弟との会話の中で「価値観が変わった経験があるか?」と聞かれたので、その解答を日記に残しておこうと思う。 僕の価値観が変わった経験は、大学の教授との出会いである。大学の教授という知の巨人を前にして、自分が極めて醜く矮小な存在だと自覚させられたのである。それまでの私は邪

      • ライブで緊張した話/曲作りに必要なもの

        久々にライブをした、去年の8月ぶりだから一年ぶりである。以前からライブの前はよく緊張していたけれども、久々のライブは今までの比じゃないくらい緊張した。Apple watchが心拍数の異常な上昇を検知して、アラートを出すぐらい緊張した。 極度の緊張が、いにしえの記憶を呼び起こした。大学生、軽音楽サークルに入って初めてのライブである。ちなみに初めてのライブでは、アジカンのループ&ループと、DOESの修羅を演奏した。足がガタガタ震えており、MCで「見てください僕の足。ガタガタ震

        • 生きることは目的か手段か?

          生きることは目的か、手段かという問。  現在僕は生きること自体を目的とできず、しかし生きる目的は不在という事態に陥り気に病んでいる。目的が無いと漠然と虚無を感じる。お門違いなのは分かってはいるが、目的無しには生きられない時代を恨み始める始末である。原始時代を生きる人たちのように、生きるだけで最高、生きる事こそが目的でありたいものだ。  話は発散するが僕の人生の目的は、好奇心を満たすことであった。人生を楽しむために唯一必要なものが好奇心。知ることを刹那的に楽しむ余裕が人生を

        マルチタスクするな、腰を据えて取り組め。

          潤いのある生活が欲しいなら苔玉

           やる気が皆無である。何に対してもやる気が出ない。気分転換にスタバにきたが、なんとなくyoutubeを見ているだけで特に何もしていない。目の前でポテチを箸で摘んでいる女子大生がいる。南極にラクダがいるみたいなチグハグ感によって、なぜか僕の自己肯定感が上がる。ありがとうスタバ箸ポテチ女子。  このままではいけないと、「生活に潤いを」というスローガンを掲げ街を徘徊。観葉植物でも買おうと花屋を訪問。花屋の店員はなぜか小柄な美人が多い気がする、180cm80kgの大柄な私が入店する

          潤いのある生活が欲しいなら苔玉

          最近小説を読んだ?

           僕は本が好きである。最近は週に1-2冊の本を買っている気がする。お金を使い過ぎているような気がしなくもないが、まぁ本ならええやろ!という小学生のマインドを持ち続けている。幼い頃は親から本をたくさん読みなさいと言われ、お小遣いとは別に本を買い与えてもらっていた。あの頃から僕の中で『本』とは、出費対象として特別なものであり、生活費や娯楽費とは別計上のいくらでも散財して良い対象なのである。だが、30歳にさし掛かろうとしている小太りの男がそんな金銭感覚で良いのだろうか。友達は夫とな

          父性・母性はいつ生まれるのか?

          父性はいつ生まれるのか? 父性と母性。子供が生まれる予定もなく、生む計画もない。そもそも結婚もしていないし、もちろん既に子供がいる訳でもない。ただし、子供のことを考えることはある。将来的に子供を持つのか、持たないのか、、、。大きな選択である、現代は生き方が多様だからこそ悩む。昔は結婚して子供を持つことに疑問を持つことなんてなかっただろう。選択肢が多いが故の悩み、これは贅沢な悩みなのだろうか。  昔から選択が苦手である。選択をすることで、選択しなかった道を捨てることになるから

          父性・母性はいつ生まれるのか?

          「欲しい」を欲っする哀れな中年

           欲しいものなんて無いのにAmazonのセールを見たり、ガジェット系youtuberを見てしまうことがある。そこに違和感を感じ、うっかり真面目に考えてみると自分には欲しいモノなんて無い事に気づく。小学生の頃なんてゲームやおもちゃが死ぬほど欲しかった。お小遣いを貯めるために、掃除を手伝ったり、祖父母の家に不自然なほど通ったりしたものである。あの頃の純粋な「欲しい」という欲求はどこに行ってしまったのか。もちろん今でも多少の欲求はあるが、何かが違う。むしろ欲しいという欲求を渇望して

          「欲しい」を欲っする哀れな中年

          不老不死の薬があったら、、、

           28歳になった今でも死ぬことを考えると夜も眠れなくなる。死とは恐ろしいものです。何故みんな死に怯え、泣き叫び発狂してないのだろうと考えるが、そういえば僕も発狂していなかったと気づく。死に怯えるゴールデンタイムは、やっぱり夜眠る前だろう。朝の時間に死に怯えることが全く無いとは言わないが、やはり夜が多い気がする。あぁ〜永遠に生きてぇ〜。  一体死ぬことの何が恐ろしいのだろうか?よくわからないが、とりあえず不老不死の薬があれば迷わず飲みたい。ただしここで大きな問題。僕が薬の開発

          不老不死の薬があったら、、、

          あらゆるものを飲み込んで生きていけ

           「はいくそ、はいゴミ。もうくそ、ほんとにくそ。あーくそ」これは僕のお気に入りの罵倒フレーズである。相手を罵倒するほどの語彙力もなく、度胸もない僕は脳内で「クソ」と「ゴミ」を連呼する。  生活していると、自分の感情に折り合いをつけてグッと飲み込む事が必要になる場面がある。その際に必要になるのは、自分の感情を言語化することである。なぜならば、言語化すると物事を飲み込みやすくなるのだ。つまり、感情を言語化するという作業は、物事を飲み込みやすいサイズに小さく切り分けることである。

          あらゆるものを飲み込んで生きていけ

          立派な人間はハンカチを持っている

          大きな転機を迎えている。そう僕はなんと、外出の際ハンカチを持つ立派な人間になろうとしている。半年後には、ハンカチでなくハンケチなどと言っているかもしれない。言っているに違いない。 小学生の頃から、ハンカチなんて持った試しがなかった。トイレに行った後は空中で手を高速振動させ乾燥させたり、ズボンで拭くなどしていた。死んだ父(死んでない)の遺言で、「これからは真っ当な人間になりなさい、手始めにハンカチでも。。。」と言われた訳でもなく、ただいつの間にかハンカチを持つというアイデアが心

          立派な人間はハンカチを持っている

          おすすめの解釈

          私はクソバカである。何事も一度で覚えられた試しがない。「察しの良い人なら気づくと思いますが」系の質問で気づいたことなどない。その癖自分は察しがいいと思っているからタチが悪い。どうしてこんな人間になってしまったのか。 誰にも読まれない日記を書き、誰にも聞かれない曲を作り、誰にも届かない話を練る。そして誰も気にしていない容姿に気を払う。これは虚無である。しかし捉え方によっては、それは幸せとも言える、、、、かもしれない。幸福とは結局のところ解釈によるところが大きい。 それならば

          懐かしむという行為は、大人に許された至高の娯楽である。

          昔使っていたPCのHDDのバックアップをしなければならないと頭の片隅にずっとあった。どうやって写真や動画のデータのバックアップをとるか、これは現代人の抱える課題である。最近は全てクラウド上に保存するようにしている。金はかかるがそれが一番確実であると思っている。そのくせ、収納スペースの奥の方でデータ移行を終えていないHDDがたくさん眠っていた。早く移行しなければ、データが消えてしまうかもしれない。そんな危機感はあったが、面倒臭さという巨大な壁がそこにはあった。しかしいざ始めてみ

          懐かしむという行為は、大人に許された至高の娯楽である。

          自己とは何か?もしも僕が志村けんだったら

          「志村けんの姿をした僕と、僕の姿をした志村けん。どっちとならセックスできる?」と彼女に質問した事がある。 綱渡りのような質問である。一歩間違えたら喧嘩になりそうだが、いい彼女なので真面目に答えてくれた。どっちも嫌だと。 上の質問はおふざけのような質問だが、結局のところ言いたいことは、僕を僕たらしめているものは何かという事である。事故で顔がなくなってしまい、気付いたら別人の顔になっていた。さらに、頭を強く打ち記憶まで失ってしまった。僕は名前すら言う事ができない。それは僕か?

          自己とは何か?もしも僕が志村けんだったら

          橋本愛は今もうんこをしない

          芸能人を何度もテレビやネットで見ていると、親しくなっているような錯覚が生まれる。しかし、実際には全く親しくなっておらず一歩どころか半歩も距離は縮まっていない。 僕はかつて橋本愛が大好きだった。あれはピュアな恋だっただろう。性愛を抜きにしたピュアすぎる恋であった。橋本愛はうんこをしないとさえ思っていた。橋本愛がスクリーンの中で手を振る、ほんのり顔を赤らめる僕。そうして僕と彼女の距離はどんどん縮まっていったのだ。大嘘である。僕がどれほど橋本愛のインタビューを読み漁り、血眼になっ

          橋本愛は今もうんこをしない

          星を見つめて涙を流す お姫様症候群

          働き始めて4年が経つ。それなりに色々慣れたこともある、未だに慣れないこともある。恐らくこの時期になると誰しもが、このままでいいのだろうかと考える。僕もその一人である。僕の人生のあらすじにおおよその見当がついたからであろう。どのぐらいの給料を貰って、どのぐらいの年齢で結婚して、どのぐらいの幸福感を得るのか、大方想像ができてしまった。その想像が正しいのか、正しく無いのかは別の話でありどうでも良い。ただ想像できてしまったというだけである。 そんな生活の中でも、なるべく幸せを積み重

          星を見つめて涙を流す お姫様症候群