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思春期へのメンタルヘルス教育

医療機関に勤めていた頃、大学入学前後で発症して、数年が経過してからようやく精神科治療にたどりついた20代後半の患者さんたちと話をして、よくこんなことを思いました。

「もっと早くに治療を始めていたら、この人の青春の貴重な数年間を無駄にせずに済んだのに」

精神科受診に対する心理的ハードルの高さが、彼らの抱える精神疾患の早期発見・早期治療のブレーキ(壁)になっている、そう感じていたのです。
なので、できるだけ若いうちに精神疾患についての教育をして、早期発見・早期治療につなげることができたら…そんな風に考えて、教育機関でのメンタルヘルス教育にかかわっていきたいと思っていました。

けれど、実際にあれこれ調べたり、具体的に考えたりするうちに、一筋縄にはいかない背景みたいなものにも気がつき始めました。

思春期はつねに揺れている

一つ目は、思春期は誰でも揺れるということ。
当たり前の話ではあるのですが、思春期は成長途上にあるので、心身のバランスを一時的に崩すことは“ふつうのこと”なのですね。
ある意味、成長するということは「バランスを欠く→修正する」の繰り返しのプロセスでもあるわけです。
むしろバランスが取れる期間が一時的にあるものの、それ以外はバランスを欠いていると言ってもいいくらいの状態です。

なので、「私のトリセツ帖」でしつこいくらいの書き連ねていた「ふだんの私」そのものがつねにぐらついている、とも言えるわけです。
何がふだんの自分で、どういう状態が本当の私か分からない
これが「青春の(不安定な、ある意味、健やかな)土台」であるわけです。

くうぅ、よく乗り越えてきたな、私…と思うくらいです。
その渦中にいる思春期の皆さん、お疲れさまです。

これを血圧や体温に置き換えてみると、血圧や体温がつねに変動しているために標準値が分からないという状況かもしれません。
この不安定感というのは(女性にしか伝わらないかもしれませんが)初潮を迎えた後の数年間は生理周期が定まらないのと似ているかもしれません。
ありふれた成長の過程でもあり、もしかしたら疾患が隠れているかもしれない …そんな微妙なライン。

まあ、その“ふだんの私”がまだ十分に把握できない中、自分の揺れを自覚するとか、その対処とか言われても、思春期の渦中にいる人たちにはなかなかピンと来ないだろうな…と。

“普通というレッテルを貼られたくない”&“普通をはみ出すのがコワい”の共存

二つ目が“普通”に対する葛藤ですね。
思春期は自我を確立していく時期なので、“誰とも違う私”、“代替の効かない私”、“私らしさ”といった個性を育てていくフェーズに入ります。

同級生とは違う音楽のジャンルにハマってみたり、自分だけのお気に入りの作家を見つけたり、「こんなことを考えている中学生(高校生)は他にはいない」みたいなことを考えて悦に浸ったりするわけです。

一方で、仲間内で流行っているYouTubeチャンネルをチェックして、話の輪から外れないように気を配ったり、行きたくなくても学校帰りにクレープ屋さんに寄ったりもします。
みんなと“普通に振舞えること”も大事だったりするのです。

「あの子、変わってるよね」が賞賛の眼差しになるのと、侮蔑の眼差しになるのは紙一重なので、とても微妙で難しい年代だとも言えます。

こういう葛藤を抱いている時期に、眠れないほどのストレスを抱えたり、精神症状の兆しを感じたりしたら、どうでしょうか。

周囲の大人たちにうっかり相談しようものなら、
自分の“その状態(きわめて個人的な体験)”に
何らかの一般的な名前(疾患名)をつけられ、
ひとくくりにされて傷つくことになるかもしれません。

私は、思春期に発症した人から実際に話を聞いたことがあるのですが、
幻聴を聞いた時に「神からのお告げ」とか、「自分だけに与えられた才能」と感じたという人も少なくありませんでした。
そんな風に、症状を自分だけに与えられたギフトだと感じる人もいれば、
“その状態”に深く悩む人たちもいます。
悩んでいる人にとっては「この孤独や苦しみをそう簡単に他人に分かられてたまるか」と感じることがあるかもしれません。

ここにも矛盾と葛藤があります。
こういう矛盾や葛藤がダメだとか、無いほうがいいとか、そういうことを言いたいのではありません。
この“ひとくくりにされたくない”と“はみ出すのがコワい”の間にある矛盾や葛藤は成長には欠かせないものであり、
一方では発症の契機にもなり得るために、取り扱いがとても難しいという話です。

思春期へのメンタルヘルス教育は、早期発見・早期治療のためには欠かせないものなのですが、いわゆる“成長途上の不安定さ”を病気や症状に包括してしまいかねないリスクがあることを、私たち(専門家)はこころに留めておかなければならない、と感じています。

早期発見の後の問題

ここまでに述べた意味合いで、メンタルヘルス教育をおこなうのはできれば高校2年生以降くらいが望ましいかなと(経験的に)感じているのですが、義務教育後、すぐに就職する人たちや、高2までに不登校になってしまってメンタルヘルス教育を受けられない人たちもいることを考えると、義務教育の間がいいのか、このあたりは悩ましいところです。

また、教育を受けて、自分自身の症状に気がついた生徒がいたとして、じゃあ、そこからどうするのかという問題がいくつかあります。

ひとつには、家族の問題です。
両親がメンタルヘルスの基礎知識がない場合(ほとんどがそうだと思いますが)、思い切って相談しても「気のせいじゃない?」とか「疲れてるだけだよ」とか「思春期はみんなそんなもんだよ」とか言われて終わり、というようなことが容易に想像できます。

次に、対応できる医療機関の問題です。
18歳以下はおもに小児科や思春期対象のクリニックに通うことになるかと思いますが、これが圧倒的に少ないのです。初診予約までに半年待ちなんていうのもざらにあります。

さらに、治療の問題です。
精神科の薬は、おもに脳の代謝物質を調整する作用のあるものが多いのですが、脳が成長途上にある場合、まだ変化の途中なので、適剤、適量の処方が難しいかと思われます。
それに加えて、青少年の多くは服薬習慣がないため、適切に服薬するということが難しいかもしれません。服薬への心理的ハードル(抵抗)が高い場合があります。そうなると、薬以外の治療を選択したいところですが、思春期のカウンセリングやその他の治療は、大人の治療に比べるとまだ選択肢が整っていないのが現状です。

以上の理由から、教育の結果、本人が自覚して、何らかの医療的サポートを受けたいというところまで進んだとしても、問題を掘り起こしただけで、打つ手がないということにもなりかねない、そういうリスクをはらんでいます。

だからといって、メンタルヘルス教育をしないほうがいいのか?というと、やっぱりしたほうがいいと思うわけですが、それを適切に進めていくには、より包括的な体制作りを並行していく必要があるなぁと。

これは私が考えていた以上に、大きな話だぞ…と、今ちょっと身震いしているという話です。

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