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こどものせかいのSDGs

こんばんは、つちいじりです。

今日は「子どもたちの包容力と遊びの力」について書きます。

子どもってすごいと心から思った1日でした。
そしてそこから学ぶことも多かったです。


今日はもうすぐ保育園生活も終わりということで、年長さんの有志で、公園で遊ぶことになっていました。
前日の雨も上がり、朝からいい天気。

15名のクラスメイトのほとんどが来ていました。

保育園からも近く遊びなれた大きなその公園は、ちょうど桜の見ごろを迎えています。
今年も公園内はレジャーシートを使ってのお花見禁止ですが、ルールをまもらないお花見客っぽい人たちで大変にぎわっていました。

あらかじめ会食なしで遊びに集中しようという企画であったため、後ろめたさもなく、こどもたちはとにかく全力で遊ぶだけでした。

ただ問題が一つありました。

うちの子どもは、とっても引っ込み思案。

とはいえ、もう3年間も一緒に遊んでいるお友だちとの1日なので今日は何の心配もしていませんでした。

ところが、園でのいつもの遊びを、親たちに間近に見られるのがよほど恥ずかしかったようです。

はじめの1時間は「遊びたくない、この公園は好きではない」と言い訳を並べ、わたしの足に絡みつき、一歩も動きませんでした。

時間差で徐々に増えてきたお友だちに手を引かれても、わたしが手を引いてお友だちの隣に連れて行ってもすぐに戻ってきてしまう。

しまいにはみんなと遊ぶ条件として、「パパは反対側を向いていて」と面白い注文をつけられました。

みんなはいつも通り遊んでいるようでしたので、さすがにちょっと心配になりましたが、すべて親のわたしの遺伝なのだと申し訳なく感じていました。

わたしは、今もあまり親しくない人と話すのが超苦手。

こういう場も基本的に子どもをクッションにした三角会話しかできません。
その頼みの子どもが動かなければ、わたしのコミュニケーションも発動しません。

今の状況も子どものせいではなく、元をたどればわたしのせいだと我が子を不憫に思いました。

しかし、わたしにはその状況を打破するだけのコミュニケーション力がありませんので、心の中で祈るのみでした。

転機は突然に訪れました。

「みんな~、お菓子タイムにしようよ!」

と、誰かが言ったのをきっかけに、一斉にみんなでお菓子を分けて食べ始めました。
なんとかその場にすべり込ませて、うちの子もようやくみんなの輪に入ってくれました。

あれほど、遊びを拒絶していたのに、そこからの変わりようは目を見張るものがありました。

誰よりも大きい声を出して、たくさん走っていました。

この年頃の子どもたちはただあてもなく走るだけでも十分遊びになります。

鬼ごっこともなれば、ゆうに30分はつづきました。
汗を光らせ、すっころんで膝に土をつけて。

風に揺られて、桜のはなびらが舞い散れば、それを捕まえようとみんな一生懸命に手を伸ばします。

誰かが植え込みの端に伸びていたノビルを引っこ抜いたら、ネギだ!と叫び、気づいたらあたり一面のノビルを抜いていました。
そのあと手洗い場できれいに洗ってお互いの収穫を自慢しあっていました。

ほかにも、火のないたき火遊びや、大きなすべり台を引っ張りあう遊びなど新しい遊びを次から次へと考えます。

ルールはどんどん変わる。

それでもみんなすぐに順応して楽しんでいました。

だれ一人取り残さないでみんなハッピーが当たり前にできる子どもたち。

うちの子もはじめの「遊びたくない」はどこへやら、さいごは「まだかえりたくない」でした。

小学校へ行ってもたくさんお友だちができて、たくさん遊べますように。

めでたしめでたし。


今日の出来事の学び

  • お友だちと一緒に遊ぶときはかならずお菓子を多めに持っていこう

  • 親子とも引っ込み思案でも、子どもはいつか救われる

  • この頃の子どもは遊びの天才

  • そして誰も取り残さない。SDGsの実現は子どもに学ぼう。

  • おとなの引っ込み思案は簡単には治らないので、要注意!

ではまた。

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