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【感想・考察】もののけ姫の考察 映画観てきたよっていう話

#20200719

「もののけ姫」が映画館で上映だって…!?行かなきゃ!!と思いつつ早数週間。ようやく観れたので熱い思いが冷めないうちに感想を書きます。

軟禁されてジブリ作品ばかり観ていた幼少期

「もののけ姫」は私にとって特に思い入れのある作品。どうしてかというと、それは幼少期にまで遡ります。
後妻の娘として生まれた私は、母親と共に離れで生活をしていました。もちろん食事や風呂は姉や祖母のいる母屋でとっていましたが、母親が病弱で寝込みがちという事情もあり(母屋に居ると視線が気になるということもあったので)、ほとんどの時間を離れの一室で過ごしていました。幼稚園生から小学校低学年あたりだったと思います。

遊び相手も居なかったので、退屈をしのぐために毎日のようにビデオを観ていました。母親が誕生日にくれたジブリ作品やディズニー、当時放送していたテレビ番組(なぜかモノマネ紅白歌合戦が大好きでした)を擦り切れるまで夢中になって観ていたのを覚えています。

その中でも特に好きだったのが「もののけ姫」。
山犬の背に乗って山岳を走り続ける妄想を幾度となくしては、ビーフジャーキーを勢いよく噛みちぎってみたり、サンがタタラバに攻め入った時に屋根から地面に落ちるときの真似をしたり…。とにかく、大好きで個性豊かなキャラクターに惚れいっていました。
小学生になってもその想いは変わらず、太り気味で容姿にコンプレックスがあった私はいつも「授業中に山犬が私を迎えにやってきて、背中のチャックを開けると美しいサンが現れ、周囲のどよめきの中山犬に乗って颯爽と走ってゆく」という痛々しい妄想を繰り広げていました。アニメ版十二国記の杉本みたいですね。

そんなこんなで思入れの深い「もののけ姫」、劇場で観たらもう凄かった…!
前置きが長くなってしまいましたが、以下めちゃめちゃ個人的な感想です。

アシタカは神でもなく人でもない「中立」の存在

みんな大好きアシタカ様、大画面で観ると更にいい男でした…。
今でいう東北の地に住む一族の若者のアシタカは、西から来た巨大な猪のタタリガミから村を守るために戦い、右腕に呪いを受けてしまいます。やがて死をもたらす、厄介な呪いです。大猪がタタリガミになった理由、そして自らに降りかかった呪いを解く鍵を見つけるために、アシタカは西へ向かうことを決意したのでした。

アシタカが怒りや憎しみを感じるたびに右手の呪いは進み、時に暴走してしまいます。野武士の剣を射ようとしたのに、腕が暴走したせいで殺してしまったシーンもありましたよね。タタラバでは、銃で腹を撃たれたのにサンを担いだまま歩いたり、10人で開ける扉を1人で開けたり、刀を指先で曲げたりなど「え?ほんま人間なんか?!」みたいなスーパーマンっぷりを披露していました。

でもここなんですよね!!アシタカって、呪いを受けた時点ですでに人と神の間に立っている状態なんですよ。
同じように、人に捨てられ山犬モロに育てられたサンも人間でもない山犬でもない、アシタカと対になる存在として描かれています。

きっとアシタカの暮らしていた村は、自然と上手く共存しようとしてきた「伝統的」な暮らしをしていたのでしょう。しかし、タタラバに暮らす人々は従来の暮らし方ではなく「革新的」な生活を営んでいます。地位が低くなりがちな女性や病気を持つ者も働き、鉄を作り、これまた画期的な銃を持って、さらなる領土拡大のために、神々が住むと信仰されてきた「シシガミの森」を狙っているのです。

簡単にいうと、人間サイドからすれば「より豊かな暮らしのために森の資源・土地が欲しい」、自然サイドからすれば「後から来た人間ごときが神聖な森を汚すなど言語両断!」と、双方牙を向けた状態。そんな中、アシタカは対立の真ん中に居て、ババ様に言われた通りの「曇りなきまなこ」で双方を見届ける審判のような役割を果てしているのです。
実際、はじめは森を侵略しようとするエボシに憤る姿もありましたが、タタラバで暮らす女たちの話を聞いたりするうちに、森と人共に暮らしていく道があるはずと強く思っていくようになります。

この「曇りなきまなこ」なんですが、アシタカがエボシに曇りなきまなこで判断すると言って、エボシ様が爆笑するシーンがあるんですよね。あたらめて見てみると、責任ある大人の身勝手な辛さというのが現れていて少し苦しくなりました…。エボシはきっと、自分たちのやろうとしていることが必ずしも善ではないと自覚しているんですよね。自然を破壊すること・神の地を侵略することの愚かさも知った上で、それでも人間が生きるためには必要なことだと考えている。だからこそ、純粋な目で見ようとするアシタカの青さを笑い、その真っ直ぐさに惹かれたんでしょうね…。
「もののけ姫」の面白さは、描かれている対立やストーリーが、善悪で判断できないことにあると思います。人間と自然の対立、その間で奔走すどちらにも属せない青年と少女。進化につれてヒエラルキーも変化しますし、たまたま人間の文明が栄えて、たまたま今、人間が大量に生き暮らしているだけで、いつそれが無くなるかはわかりません。長い長い歴史の中で、幾度となく繰り返されてきたことのひとつで、途絶えるものもあれば発展するものもある。
ただそんな中でも「共存」という道を選べるんだと、そう教えてくれてるような気がしまています。

生と死を司るシシガミ様が最後に全てを滅したあと、また豊かな自然の芽がたくさん実っていました。人間の愚かさを全て許したシシガミ様が、元来の信仰を受けていた獅子の「姿」をなくし、形なき「概念」として根付いていく…そして今日の暮らしにまで、脈々と続いているんですね…ハァ、シシガミ様…。

シシガミ様もモロもみんな懐が広いですね。神様ってすごいですね。
人間が捨てた赤子を育てて私のかわいい娘って言えちゃうのすごいし、乙事主様の目になります!って命投げ出そうとする娘にあの人間(アシタカ)と生きる道もあるんやでって言えちゃう懐の広さ。格好いい。大好き…

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スクリーンの画面+良質な音声で聞く、三輪様の「黙れ小僧!」は本当に痺れました。美輪明宏さんだからこそ表現できた、気高さだったと思います。

映画を観終わってから圧倒的良さに半ばトリップしてたんですが、喫煙所で隣り合ったギャルが彼氏らしき男性に「つーかシシガミ様ってキャバ嬢っぽくね??ノーズシャドーめちゃ濃いんだけどwwwww」と言っていたのを聞いて現実世界に帰ってきました。

オタク特有の早口でツラツラと書いてしまいましたが、とにかく、映画館で観るジブリ最高だったので皆さんもぜひ行ってみてください。私は今度のレディースデーにナウシカ観てきます。


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