RITA BIANCA

雪深い国際都市、北海道ニセコから、地域フリーマガジンの編集長を務めた私が日常の些細な出…

RITA BIANCA

雪深い国際都市、北海道ニセコから、地域フリーマガジンの編集長を務めた私が日常の些細な出来事や想い、時の隙間をのんびり書き綴ります。スキいただけると励みになります。キーワード⇨英語・ファッション・もの書き・イラスト・留学・イナカライフ・アート・お菓子・絵本・エッセイ・コラム・旅。

最近の記事

「普通」と「全然」が気になって仕方ない話

気づかないうちに癖づいて口にしている言葉がある。よくよく文脈を考えると全く筋が合っていなかったりすることがある。一昔前によく耳にした「逆に」も、だらだら使いまわしていると一体何に対する逆の話?と心の中で突っ込むことも多かった。この話が逆なんだとしたら順は何?(逆⇆順)意地悪な私はそんなふうに思う。 なじみは怖い。癖のようなものだから、意識していないとついつい口につく。最近は一度気になるとどうしても敏感になり、キャッチする機会もとても多くなったのが「普通に」だ。こどもたちだけ

    • 自伝的な自己紹介

      文字を覚えた保育園児の頃から毎日絵日記をつけ始めたのがきっかけで、「書く」のと「描く」のが好きになり、以来形式は変わっても、このふたつに関わって生きている。 幼少期京都市生まれ。3人兄弟の真ん中子。男兄弟に挟まれていたため、自分も男子がよかったと思っていた子。毎日泥んこになって遊ぶ。ポケットにナメクジを大量に捕まえて持ち帰ったり、水に泳ぐ蛇をリボンと間違えて掴むなど野生的な子だった。3歳から保育園へ通う。この頃文字を覚え、書くのが楽しくなる。母に日記帳を買ってもらい、毎日絵

      • この想いを、あなたに伝えたい!書く衝動が抑えきれなくって急に手紙に綴っちゃった幼少期の話

        私は手紙が好きな子供だった。今みたいにスマートフォンがあるどころか、家の電話はまだ黒電話の時代。メールなんて便利なものはどこにもない。何か伝えたいことがあると「手紙」をよく書いていた。 小2の頃には「パーマン」に何故か憧れて、パーマンセットが欲しい、とパーマン様に恋文を書いたものだった。憧れているはずなのに、パーマンセットが欲しいなんて、物欲丸出しなその手紙は宛先がわからなくて枕の下にこっそり隠して毎晩寝ていた。今思えばパーマンセットが欲しいならパーマン本人ではなく、みつお

        • 創作の過程はまるでセミの一生のよう

          以前、作家の原田マハさんが、作品を書く時には、まずタイトルを決めると言っていた。タイトルが決まれば後は早い、と。 作家に限らずどんなアーティストやクリエイターでも、「作品を実際に作っている時間」よりも「作るという作業に行き着く時間」が思っているよりも時間がかかるし、生みの苦しみ、のような気持ちになるものだ。いわゆるアイデア出しの段階。内で燃えるエネルギーは、本人にしかわからないから、マハさんの言ったことに妙に納得してしまった。 私も同じ経験がある。ずいぶん昔の話になるが、

        「普通」と「全然」が気になって仕方ない話

          初めての日記帳のカバーには、デニム地に魚の刺繍が泳いでた

          3歳は私にとって、いろんなことができるようになった歳でもある。スキーもこれまでは母や父の足の間に入って滑っていたけど、3歳はから自分で滑るようになった。 絵を描くことも大好きで、お姫様や花の絵をクレヨンでよく描いていた。好きすぎて自宅のこたつの中に潜り込み、机の裏側にびっしりとペンで落書きもした。 ピアノを習い始めたのも3歳だ。中学に上がる13歳まで約10年間、個人宅で教えている優しいピアノの先生のもとへ通った。 通っていた保育園が、音楽や数字、読み書きにも力を入れていた

          初めての日記帳のカバーには、デニム地に魚の刺繍が泳いでた

          いろんなところに顔を出す「自信のなさ」という厄介者の話

          たくさんの方に取材をしてきたにも関わらず、私は取材が苦手だ。意外と誰とでもそつなく会話しているから社交的な人、と思われていることも多いようだけど、本当のところは構えてしまう自分がいる。 取材だけではない。面接や、授賞式、自己紹介など、その場の大小関わらず、人の前で「自分の言葉で話す」のが得意ではない。例えば、PTAの役員になったら、まずはお決まりの「自己紹介」がある。自分のことを手短に話せば良いだけなのに、それがうまく出てこない。定型文に当てはめれば良いのに、って客観視して

          いろんなところに顔を出す「自信のなさ」という厄介者の話

          ちょっと気になるあの人、のコーナー制作こばなし

          2017年から4年間にわたって、4冊の地域フリーマガジン エクスペリエンスニセコを作ってきました。最初の号から、日本語版の統括を担わせていただきましたが、そんな私が、当時右も左も分からないながらにも、船出となる時にはその「行き先」を決め、舵を取りました。 地元で読んでくださる方も、ここに観光で訪れて手にとってくださる方も、書店で売られている一般的な「ガイドブック」という感想を持ってもらいたくない。そんな想いで、物も、事も、結局は「人」から始まっているー。その方々の歩んできた

          ちょっと気になるあの人、のコーナー制作こばなし

          わたしと、スキーの話

          むしろ国内の人たちよりも海外で知られる、世界有数のスノーパラダイス、「ニセコ」に住んでいながら、私は一度もスキーをしないシーズンがある。むしろ、そんなシーズンの方が多い。今シーズン、わざわざ東京からハイクラスな宿を予約してスキーをしに来た従兄弟にすら、「贅沢病」と呆れられる始末だ。 地元は京都市だが、初めて清水寺を訪れたのは大学生の時だ。それもアメリカの大学時代の夏休みの一時帰国の間に、同じく京都市出身の小学校時代の友人と、いそいそと出かけたのだ。 「近くにある存在だからこ

          わたしと、スキーの話

          大海を日々、休みなく

          私が起き出す頃には母はすでに着替えてコーヒーを入れていて、脇には洗われた洗濯物がカゴに収まっている。身だしなみも整えて、何年も続いてきている日々のルーティンをこなしている。 もう40年以上前に立てられた我が家の、いつもの整ったキッチンに立ち、フルーツを切りながら、足にまとわりつく飼い犬に話しかける。「ああ、ごはんの時間やねー、ちょっと待ってなー」 家が立った40年前は私はまだ3歳頃で何もかもが新しく、眩しく見えた。その頃から毎日綺麗に、丁寧に手入れをされているキッチンは古い

          大海を日々、休みなく