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創作の過程はまるでセミの一生のよう

以前、作家の原田マハさんが、作品を書く時には、まずタイトルを決めると言っていた。タイトルが決まれば後は早い、と。

作家に限らずどんなアーティストやクリエイターでも、「作品を実際に作っている時間」よりも「作るという作業に行き着く時間」が思っているよりも時間がかかるし、生みの苦しみ、のような気持ちになるものだ。いわゆるアイデア出しの段階。内で燃えるエネルギーは、本人にしかわからないから、マハさんの言ったことに妙に納得してしまった。

私も同じ経験がある。ずいぶん昔の話になるが、アメリカの美大を卒業し、遊学を終えて晴れて帰国。東京にいた頃、仲間と一緒にギャラリーを借りてグループ展を不定期に行っていた。毎回仲間で「テーマ」を決める。そのテーマに沿って各々が作品を作って期日までに準備。

テーマはそれほど難しいものでもないし、学校の課題でもないし、表現は自由だから好きなように創造をめぐらせられた。
さぁ、何を描こうかな。画材は何にするか。どういう表現をするか。テーマに沿って自分の中でブレインストーミングをする。これといってピンと来ない日々が延々と続く。

一度離れてみよう、と、全く違うことをする。例えば乗ったことのない電車に乗って降りたことのない駅で降りてみる。美術館に行ってみる。これはどういう意図が込められているのだろう?と現代アートや抽象画を鑑賞してみる。ぼんやりと街の雑踏の中に紛れてみる。河川のベンチに座ってずーっと対岸や水面を見てみる。平たい石を探して水切りもしてみる。友達と会って思い切りくだらない話をしながらごはんを食べてみる。家の掃除をしてみる。音楽をかけて大きな声で歌ってみる。

数週間前の展示会に向けた最後の打ち合わせで仲間と会った時、まだ私の心は決まっていなかった。

「え?まだ手をつけてないの?」

と聞かれると、焦りが生まれる。仲間はもう、作品の最終段階に入っていたりして、私の心にさざなみが立ち始める。
一見、ぼんやりしてたり、何もしていないように見えるけど、私の中ではそこに向かって最大限にインスピレーションをかき集めているころで、自分が納得できる場所に行き着くまでの大事な時間だ。

創作=手を動かしている

とよく勘違いされるけど、そうじゃない。

セミの一生のようでもある。彼らの一生は何年もの間、土の中だ。およそ7年から長いと10年以上も幼虫のまま土の中で過ごす。
成虫になって地上で過ごす期間は、わずか7日間。その間に大きく鳴き、オスはメスを探し、子孫を残す。

地上に上がってきた成虫の姿だけを見ればセミの一生は短い、と言えるかもしれない。でも土の中の7年があるからこその、地上での7日間。

創作の花が咲く、作業に向き合う最終段階は言ってみれば地上でのセミの7日間だ。土の中にいる幼虫の7年間は何もしていないわけでもなく、木の根から栄養を吸って、少しずつ成長している。私が美術館に行ったり、友達とご飯を食べたり、街の雑踏の中に佇んでいる、そんな時間だ。

ある時、ふ、と思いつく瞬間がある。
不思議なものでこれまで堂々巡りだったブレインストーミングの先に、何かがコネクトする瞬間がある。それは思いつきだったり、ひらめきだったり、見ていた景色がヒントになったり、誰かに言われた一言だったり、ちょっとしたことがきっかけだったりする。

この瞬間が、私の中ではマハさんのいう「タイトルが決まった」ときと似ているだろう。そこから先は、セットされたゴールに向かって手を動かす作業だ。その作業にももちろん、試行錯誤もあるし、思い通りにいかないこともある。でも、ゴールは明確に見えているから進みやすい。

これまでの創作活動は、絵画をはじめ、文筆も、イラストも、全部時間に差はあれどその工程を経てきた。何度、太陽に向かってミンミンと鳴くセミになったことだろう。
時間がかかって焦る気持ちと、それでもいろんなことをキャッチしながら過ごした土の中の時間を経て納得のいく成果物を目にすると、なんとも言えない幸福感に満たされるのだ。



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