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学士・修士・博士における学識の深さ ~仏教学を基準にして~ 附 学識と信仰 慧能と神秀の学識・信仰

大学の学位

 大学においてその修了課程によって学士・修士・博士などの学位が授与されることは周知のことと思う。ではそれら各学位の学問的見識の深さはどのように据えることがてきるだろうか。私は文系の仏教学以外は知らないのでここでは仏教学を基準にした私見を述べてみたい。
 私自身は某仏教系の大学(仏教学部)に社会人になってから入学し卒業したのであるが、入学時に各学位における学識レベルについて学内のある先生が、学士から修士、博士というように専門的レベルが上がっていくことを以下のように端的にお示しくださったことを今でも覚えている。

学士は校内で一番自分が研究しているテーマについて熟知していること。
修士は日本で一番自分が研究しているテーマについて熟知していること。
博士は世界で一番自分が研究しているテーマについて熟知していること。

 この教示は勉強するうえでとても良い指針となった。まずは大学で学び学士を取得するには卒業論文を書くことが多いわけであるが、その際に自分が研究するテーマについて所属する学校内で一番知っているということを目標に調べていけばよいのである。いわゆるそのことについてマニアとなることである。
 私の場合は近代に活躍した一人の仏教僧にスポットを当てて研究していたので、その仏教僧について書かれている書籍や著作を入手閲覧可能な限り眼を通してマニアとなることにしたのである。私が研究対象とした仏教僧が、どのような教理教学を持っていたのかを調べ上げ、それらを体系的に整理して論文を仕上げたのである。結果として、そこまで有名な仏教者ではなかったこともあるだろうが、おそらくそのテーマにおいては校内で一番熟知することになったことは言い過ぎではないと思う。

各学位において用いる資料の基準

 実際研究して論文を書く場合は多くの資料を扱うわけであるが、どのような資料を用いるのか判断がつかない場合が多い、博士であれば難解な資料を当然扱うだろうが、学士であれば手に負えないことにもなる、またあまりにも通俗的な資料であれば研究資料とはならないのである。
 私自身を例にすると、専攻が仏教学の文系であったことから、いわゆる文献研究というような分類となる。その際仏教文献として、漢文や梵語などの原典、和訳されたの翻訳文献と様々ある。この時にも学内の先生の一人が仏教学における文献について次のようにおっしゃられていたことを思い出す、

学士までの研究であれば、翻訳文献で問題はない。修士でも一部翻訳文献でも問題ないが、基本的には原典に当たる。博士に関しては一次資料が大前提である。

 上記のお示しは先ほどの各学位の学識のレベルに相応しているから納得できるのである。学士であれば校内で一番熟知することを目的とするのであるから、新しい発見であるとか難解な資料を読み込んでこれまでにない考え方を導き出すということに集中しなくてもよい。修士・博士であれば原典や一次資料を扱って国内や世界にその見識を示すことになる。
 私の場合では先ず学士論文を書くこと、そして学士より上の学位を望んでいなかったので、仏典も基本的に翻訳文献を利用しての研究、また幸いに研究するテーマであったその仏教僧が近代から現代に属する方であるから、著作も多少古い言葉使いではあるが現代語に近いもので読みやすかった。そのおかげで研究は捗り円滑に論文を仕上げることもできたのである。
 これはあくまでも主観的に述べた考え方であるので当てはまらない場合も多々あると思うが、何かの参考になれば幸いである。

附 学識と信仰について~慧能大師と神秀上座~

 さて、上記において学識についての私見を述べたが、私には仏教を学問として学ぶ以前に、仏教は信仰であるという大前提がある。先に私が学士より上の学位を望まないことを書いたが、これは学識と信仰の関係性において、仏教の先徳である唐代の僧・慧能大師の考え方に深く感銘を受けたからである。
 仏教学において修士や博士の学位を持っておられることは尊敬に値することであり、一時期自分も修士や博士といった学位を目指そうとしたが、慧能大師の行状を知りそれを辞めたのである。その行状というのは慧能大師と神秀上座という兄弟弟子におけるそれぞれの学識と信仰のあり方である。
 慧能大師は禅宗の六祖として知られる祖師の一人で無学文盲の仏教者(実際は文字が読めなくとも、仏教僧であるから耳学問などで当然のこととして一般人以上の仏教的学識はあったようである〔※①〕)、神秀上座は慧能大師の兄弟子にあたる学者肌の仏教者である。この二人の祖師を見た時に慧能大師の仏教に対する態度に深く感銘を受けたのである。

〔※①〕

恵能が文字を知らなかった、つまり文盲だったということは、広く
世間に伝えられ、逆に彼が傑出した人物だったことの引き合いにもされている。
(中略)
しかし彼は文字の示す意味の理解にははなはだ敏感であった。人が『金剛経』を読んでいるのを聞くと、たちまち開悟したというのや、また五祖弘忍にはじめて相見したときの答えに示された仏性に対する明確な理解は、彼の『涅槃経』の味読の深さを示すものと見られる。また彼が説法中にしばしば『金剛経』の持誦をすすめているのは、四祖道信から始まり、五祖弘忍も尊重したといわれる伝統を継ぐものであり、彼もその伝統を受けたものと思われる。またその説法に『菩薩戒経」(梵網経)や『維摩経』や『観無量寿経』の句を引用していることも、彼がそれらの経典に親しんでいたことを示す。要するに、彼は北宗の祖の神秀のように教学に詳しくはなかったであろうし、またその弟子の慧忠や神会ほどの学問もしてはいなかったであろうが、文盲というようなものではけっしてなく、必要な経典はかなりよく読み、精髄を把握していたことが推察されるのである。彼が「文字を知らず」と努めて標榜しようとした理由は、おそらく次の二点にある。第一には、彼がその生涯の任務とした「見性」の挙揚のために、見性は文字からは得られない心の実践であることを強調せんがためであったこと、第二には、彼が読んだ経典の中の所々に説かれている、文字に執われないという思想への共感があったこと。

『六祖壇経』中川孝〔訳註〕タチバナ教養文庫242~243頁

 仏教学の大家である鈴木大拙博士が慧能大師と神秀上座の仏教に対するアプローチ方法を解りやすく教えてくださっている、

 北方の神秀一派に依って楞伽経が研究せられて居った。神秀一派は学問を盛んにする、難かしい楞伽経を研究するのであるから、どうしても学問をしなければならぬことになるが、慧能はそれに反対した。学者を代表したものが神秀であれば、非学者を代表したものが慧能であったと見ていいのである。然し、学問を排斥した慧能は無学文盲であったとは考へられない。神秀程の学者でなかったかも知れないけれども、無学者ではない。一方が博士でなかったからと云ふても、大学卒業位はして居るだらふと思ふ。普通の中学を出た人よりも分って居ると思ふ。さうすると神秀程の博士ではなかっただらふが、普通の常識はもって居る、普通の佛教的智識はもって居ったに相違ない。それで一方は学間を盛んにして分り難いものも分らすやうにする。又一方は学問を排斥して、学問よりも何よりも、分りやすい のが一番だと云ふことになる。

『禅とは何ぞや』鈴木大拙 大雄閣262~263頁

 慧能大師は博士クラスの仏教学者からすれば無学に思われるかもしれないが、一般的に知られる仏教知識以上の学識は持っていた、つまり神秀上座が博士クラスであれば慧能大師は学士クラスということであろう。
 神秀上座はどこまでも学問学識を尊重して仏教を求めていく、方や慧能大師は専門の仏教者として一般人以上の学識を持っているが、自己の安心立命や他者への布教にはそれ以上の学識は必要ないとして信仰を尊重して仏教を求めていくという対比が興味深い。

慧能型と神秀型

 私は仏教学以外の学問については門外漢であるので詳細は分からないが、実際仏教学を大学で学んだことにおいて、自分がどのようにありたいのかが大切であると痛感し、現在もその気持ちを継続していることは誠に有難いことと思える。学びを進めていくうえで先人の態度を参考にすることは多いに役立つ、仏教を例に取っても印度・中国・日本には歴代の仏教者たちが無数におられるから、自分にとって見本となる祖師を探すのである。
 以前の記事で「因人重法」のことを書いたが、祖師を見習うということがあらゆる場面で活きてくるのである。私の学びには慧能型と神秀型という思いがけないヒントがあり、私は慧能型であることを選び取り、大学を卒業した現在でもそのあり方で勉強し続けているのである。

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