この一枚 #16 『Be Yourself Tonight』 ユーリズミックス (1985)
ユーリズミックスのThere Must Be an Angel。80年代の洋楽を象徴する1曲として、日本でも旋風が吹き荒れました。誰もが聴いたことがあるスキャット風のオープニング。超短髪でユニセックスなアニー・レノックスのビジュアル。この鮮烈な曲を収録した1985年の『Be Yourself Tonight』にスポットを当てつつ、アニー・レノックスの女性としての軌跡も辿ります。
本連載、またまた80年代の作品が続き6枚目となります。
前回のスタイル・カウンシルが1984年、今回のユーリズミックスは1985年と80年代も中盤に突入します。
日本ではチェッカーズ旋風が吹き荒れ、CCBの「Romanticが止まらない」が大ヒットした年が1985年。
洋楽ではWe Are The Worldがメガヒットとなり、MTV時代を象徴するようなA-haのTake On Meも話題となりました。
そんなバブル前夜の85年、日本の洋楽ファンの心を鷲掴みにしたのがユーリズミックスのThere Must Be an Angelでした。
Nothing Compares 2 U
2024年の今年に開催されたグラミー賞授賞式において、久々にユーリズミックス(Eurythmics)のアニー・レノックス(Annie Lennox)を観ました。
それはとても印象的で感動的で、この年の授賞式のハイライトとなります。
アニー・レノックスは、追悼コーナーで2023年に亡くなったシネイド・オコナーのNothing Compares 2 Uを歌ったのでした。バックにはプリンスのバンドにいたウェンディ&リサも参加していました。
Nothing Compares 2 Uはプリンスが80年代に書いた曲で、1990年にオコナーによりカバーされ全米・全英で1位に輝いた名曲です。
奇しくも80年代を華々しく飾った3人にスポットが当たったのです。
Nothing Compares 2 U
唄の終わりで拳を振り上げ”Artists for ceasefire. Peace in the world.”(アーティストは戦争終結のために。世界中に平和を)とアピールすると、突然彼女は画面から消え去り、裏の意図を感じました。
何にしても多くのミュージシャンがダンマリを決め込む中、ガザ停戦というアメリカのタブーに踏み込み、彼女は錆びつかない精神を見せつけました。
There Must Be an Angel
『Be Yourself Tonight』はレノックスが所属したUKのデュオ・ユニット、ユーリズミックス(Eurythmics)による4枚目のアルバムで、1985年4月にリリースされました。
本作は唯一、イギリスでシングルの1位になったThere Must Be an Angel (Playing with My Heart)が収録されており、日本でもお馴染みです。
大学を卒業し六本木が職場となった自分は、歩いて数分の所にあったWAVE通いが進み、ほぼ毎日CD売り場を覗く日々でした。
ここでも彼らの人気は高く、強力にプッシュされて館内でも流れまくっていました。時の流れに消え失せた曲も多い中、1985年と言うバブル前夜の独特の空気感が今に伝わるキラーチューンでもあります。
まず誰もが知る曲頭の「ララララルラララ~」の鮮烈なスキャット。
バブル前の高揚感といずれ崩壊する虚無感がない混ぜとなった苦々しさが、込み上げて不思議な気分にさせてくれます。
花王やトヨタのCMにも使用されたりしますが、本人たちの存在をも超え一人歩きする程、世間にも浸透したのです。
歌声と同様に我々の心を鷲掴みしたハーモニカ・ソロは何と、スティービー・ワンダー。
そして時代はMTV最盛期。
ベストヒットUSAやMTVを紹介する深夜番組「ポッパーズMTV」でも、このビデオはよく流れていました。
火曜の深夜は夜更かしてこの番組を観て、さらにはVHSで録画したものを繰り返し観るという視聴習慣は、You Tubeのない時代の素朴な楽しみでした。
まさにMTV時代の申し子的な曲ですね。
カバーも多く、KYLIE MINOGUEなどが、そして日本でもFANTASTIC PLASTIC MACHINEやTINA、井手麻理子などがカバー。井手麻理子のカバーは藤原紀香が出演し、99年にオンエアされたドラマ『危険な関係』の主題歌となりました。
日本でのみの特別な物語が付与された曲でもあります。
イギリス、日本での人気度に比べて、アメリカでは22位と意外にも低調に終わり、日米英の趣向の違いが露わになりました。
Sweet Dreams
ユーリズミックスのアメリカでの最大のヒットは2年前に遡り、1983年リリースのシングルSweet Dreams(Are Made of This)です。
イギリスでは2位でしたが、アメリカでは1位を獲得。ポリスのEvery Breath You Takeを引き摺り下ろしての首位獲得でした。
同名のアルバムは彼らの2作目としてリリースされました。デビュー作品は低調に終わりましたが、「Sweet Dreams」はイギリスで3位、アメリカで15位と無名の彼らが飛躍するきっかけとなりました。
1作目の失敗で資金が底をつき、銀行から借り入れをし、僅かな資金でシンセを駆使し、2人だけで作り上げた本作が起死回生のヒットとなったのです。
ビデオもThere Must Be an Angelのロングヘアと対照的に、レノックスはメンズスーツに超短髪。このマニッシュでユニセックスな外見は「男装の麗人」とも呼ばれました。そしてアンドロジナス(両性具有)の象徴となり、彼女のパブリックイメージとなるのです。
このバズカットと言われる超短髪は彼女の他、シネイド・オコナーやグレイス・ジョーンズなど、神秘的な女性のアイコンともなります。
日本では夕焼けニャンニャンの司会の松本小雪やハウスマヌカンなどもこのバズカットを取り入れ、自分が働いていた広告の現場にもこのヘアスタイルの女性をチラホラ見かけたものです。
宝塚的な外見の彼女が、歌い始めると強烈なソウルやファンクをかます、このミスマッチと違和感が彼らの魅力でもあったのです。
ユーリズミックスの成り立ち
ユーリズミックスはアニー・レノックスとギタリストのデイヴ・スチュワートによって結成され、1981年にデビュー。
2人は恋人同士の関係でもあったが、音楽活動を続けるにあたって敢えて別離し音楽におけるパートナーとなるのです。
飲食店でウエイトレスをしていたレノックスを、スチュワートが見染めてスカウトし2人の関係が始まったと言います。
前章で取り上げたスタイル・カウンシルは男性2人組のユニットでしたが、彼らは男女2人組。Yazoo、EBTGやSwing Out Sisterなど、男女2人組ユニットはその後イギリスの王道となるのです。
彼らは第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれた波に乗って、時代の寵児となるのですが、その原動力はMTV。
81年にアメリカで放送が始まったMTVは、70年代には希少だったビデオクリップを24時間放送して大人気となりました。
そして第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンはMTVの力でイギリスのグループが多数登場し、アメリカ市場を席巻するのです。
その中心となっていたのはシンセポップやニュー・ウェイヴで、MTV誕生年にデビューしたユーリズミックスは、レノックスの奇抜なビジュアルを生かした質の高いMVが功を奏して、頭抜けた存在にのし上がるのです。
彼らの前には1982年、ヒューマン・リーグが愛の残り火(Don't You Want Me) で全米首位を3週間制覇し、そしてデュラン・デュランなどもこのインヴェイジョンを彩るのですが、その中でもユーリズミックスは総売り上げ7500万枚となり、別格的な存在となるのです。
Here Comes the Rain Again
そして1984年次作「Touch」からのシングルHere Comes the Rain Againはに全米4位となり、一発屋を脱して人気は決定的となるのです。
これはダリル・ホールもカバーしていて、デイヴ・スチュワートをゲストに迎えたLive From Daryl's Houseや昨年の来日公演でも演奏されました。
英米のブルーアイドソウルの代表格の歴史的な共演ですね。
Would I Lie to You?
そして本作『Be Yourself Tonight』が1985年4月にリリースされます。本作からThere Must Be an Angelを上回る、アメリカでのヒットとなったのが全米5位に到達したWould I Lie to You?(A-1)です。
前作まではシンセポップの名の通り、ドラムもマシンでシンセを駆使し2人をメインにした音作りでしたが、本作からは外部から有名ミュージシャンを積極的に起用しています。
Would I Lie to You?には、ネイザン・イーストがbassで、ハートブレイカーズのベンモント・テンチがorganで参加。
ネイザン・イーストというと同時期にクラプトンの「Behind the Sun」にも参加しています。因みにこのForever Manのビデオは元10ccで当時売れっ子のビデオクリエーターのGodley&Cremeがディレクターをしてますね。このビデオも繰り返し再生した記憶があります。横道にそれますが、この時代クラプトンでさえMTVに依存していたのです。
デビュー以来、彼らはシンセホップと言われるテクノサウンドを展開してきましたが、本作ではより生音を重要視したブルーアイドソウル的なサウンドに変貌して行きます。
アレサ・フランクリンとの共演
さらにSisters Are Doin' It for Themselves(A-4)では、アレサ・フランクリンとの共演が実現。本作ではスティービーとアレサという2大ソウルスターとの共演が実現し、モータウン好きだったレノックスの夢が叶います。
本曲はアレサのアルバム『Who's Zoomin' Who?』にも収録されました。元々はデュエット・パートナーとして、ティナ・ターナーを考えていたようですが、紆余曲折を経てアレサになりました。
演奏陣はネイサン・イーストに加えて、ハートブレイカーからドラムのスタン・リンチ、オルガンのベンモント・テンチ、リードギターのマイク・キャンベルが参加し、サウンドはアメリカンロックに変貌しています。
当時は低迷期のアレサだが本曲が18位となりグラミーにもノミネート。これを呼水に、87年にI Knew You Were Waiting (For Me)ではジョージ・マイケルとデュエットして1位を獲得しています。
大クイーンのアレサ様に挑戦するような様のレノックスは、まさにブルーアイドソウルシンガーの最高峰に上り詰めたと言えるでしょう。
彼らがシンセポップグルーブから脱皮して、イギリスを誇るソウルグループになった瞬間でした。
Adrian
さらにエルヴィス・コステロともコラボ。Adrianというメロディラインの美しい曲で、これもまた新機軸となるポップナンバー。77年デビューのコステロは少し先輩格だが、同世代のイギリス・ミュージシャンとして、80年代を並走するのです。
ユーリズミックス解散
『Be Yourself Tonight』は、アメリカで9位、イギリスで3位、オーストラリアでは1位となるなど、各国で好成績を収めてプラチナアルバムとなります。
やはり、その原動力はMTV。
B-3のIt's Alright (Baby's Coming Back)のMVは、ライブショットとコンピューターアニメーションを組み合わSF映画のような、80年代にしては革新的なビジュアルとなっています。シングルカットされ英国で12位。
さらに1986年の次作『Revenge』は1500万枚以上のセールスを挙げ、全米制覇し世界的な存在して80年代に君臨するのです。
以下は全盛期とも言える1987年There Must Be an Angelのライブ映像。
しかし、その後はセールスは失速し、無期限活動停止という形で1990年に解散することになるのでした。
前回紹介したスタイル・カウンシル同様、80年代を通じてこのDecadeを全力疾走したユーリズミックスは敢えなく幕を閉じたのです。
その後、アニー・レノックスはソロとしての活動を開始。1992年ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されたフレディ・マーキュリー追悼コンサートに登場。
クイーンをバックに、デヴィッド・ボウイとUnder Pressureを披露。
ボウイがノーマルに見える程の奇抜な外見と熱唱で、大観衆の度肝を抜いたのでした。
Diva(歌姫)
アニーはソロとして1992年にアルバム「Diva」をリリース。
今は歌姫を表す言葉として使われ過ぎ陳腐化したDivaですが、初出としてレノックスがこのデビュー作でタイトルとしたことは新鮮でした。
ここからのシングルWhyは彼女の自作曲で、全英7位と幸先の良いヒットなります。
日本は既にJ-Waveが開局しTOKIOHOT100の時代でしたが、ここでもヘビーローテーションされていましたね。
ジョニ・ミッチェルと
1995年のソロ2作目Medusaはカバー・アルバム。
本作は前作を上回る大成功となり全英1位、全米11位となり英米でダブルプラチナ、グラミーで最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞も獲得しました。
シンセ的な音は排除されて、全面的に人力によるサウンドは今聴いても古さを感じないタイムレスなもので、彼女の最高傑作と呼べるものです。
イギリスの精鋭ミュージシャンを招聘した演奏も素晴らしいです。
特にプロコルハルムの名曲A Whiter Shade of Pale(青い影)は秀逸。
意外なところではニール・ヤングの「After the Gold Rush」からDon't Let It Bring You Downも選曲。
ヤングと同様、カナダ人のジョニ・ミッチェルにも大きな影響を受けており、2007年のトリビュート「A TRIBUTE TO JONI MITCHELL」にも参加しLadies of the Canyonをカバーしました。
そして2023年ジョニの復帰後にはライブで憧れの人と共演し、Ladies of the Canyonを共に披露したのです。
同じく2023年honoring Joni Mitchellでは本人の前でBoth Sides Nowを。
さらにCyndi Lauper, Angélique Kidjo, Brandi Carlileなど、すごいメンバーでBig Yellow Taxiを。
老いても錆びない心
アニー・レノックスは音楽家だけでなく、慈善家、社会運動家など、多くの側面を持つ女性です。
生誕地のスコットランドのGlasgow Caledonian Universityの学長に就いたり、AIDS撲滅運動など今も幅広く行動しています。
2024年3月に開催されたアカデミー賞の際に、俳優、ミュージシャン、活動家の連合が、映画『オッペンハイマー』の意義と現実の核戦争の脅威について公開書簡を発表しました。
レノックスもジャクソン・ブラウン等と共にこの連合に加わり、全面広告として公開書簡を掲載しました。
メッセージの内容は、
「現代、1万3000発の核兵器を9か国が保有している。1945年に広島と長崎を破壊した核兵器の80倍の威力を持つものもある」
「アーティストとして、擁護者として、私たちは声を上げ、“オッペンハイマーは歴史だが、核兵器はそうではない”ということを人々に思い出させたい」
と言うものでした。
アニー・レノックスの戦いは70歳を目前にした今も終わらないのです。
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