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里山にて

ここ美里という地域の名前は、いくつかの集落を合わせてそう呼ばれている
伊賀街道が東西につらぬいており、関西方面から伊勢に参る人たちの通り道だった
ぼくが住んでいる集落は、風がビュービュー通り抜けるので、勝手に風の谷と呼んでいる

高台から一望すると遠くに経ヶ峰がよく見える
標高は高くないけれど、登りやすく、登山コースが豊富で、土日になるとさまざまな方面から登山客がつめかける人気の山だ
登山口から登れば90分くらいで行って帰ってこられるが、自宅から歩いて登っても4〜5時間で帰ってこられるので、本当にひまなときはだらだらと散歩してしまう
頂上からは360度の景色が楽しめるので、季節を問わずとてもいい山なのだ

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家の2階からの景色は、季節や時間帯によってくるくると表情が変わるので、ぜんぜん飽きない
ちょうど西日が正面の青山高原にしずんでいくので、ぽかぽかと日に当たりながらまぶしそうな顔をすれば、リア充ってこういうことかと窓辺にもたれて独り言つこともできる
ただし、夏は暑い
あと草刈りがたいへんだ
繁忙期は4〜5回くらい刈っている
刈っても刈っても生えてくるけれど、延々と芝刈り機を振っていると、瞑想に近い状態になることがあるので、ハッとすることがある
動き続けていても瞑想状態になることがあるのは発見だった
なら黙々とカニを食べてても瞑想することはできるのだろうか

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大きな街道は車の往来がはげしいので、それをさけるように散歩すれば、とぼとぼとした時間が過ごせる
こちらに移ってから、ご近所とあいさつをする機会が増えた
東京の池袋に居たころは、隣家の人と話すことなどほとんどなかった
道端の人に話しかけることもぜんぜんなかったけれど、こちらでは会話のほとんどが道端で起こる
出会えばあいさつをし、会話し、たまに何かをもらったりあげたりもする
この前、ランニング中に近所のおばあちゃんから大根を3本いただいた
それを抱えながら走ったら、重くてまったく走れなかった
大根は切り干しにして食べた

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雪も降る
真冬の1月か2月にチラチラと降る程度で、そのあたりは東京にいたころとあまり変わらない
なので車のタイヤはいまだにノーマルのままで、スタッドレスに変えたことはない
雪が降ったら車を運転したくないので、外には出かけない
その代わり、ひゃはははと叫んで、雪だ雪だと歩きまわる
白銀に包まれた夜は音が何も聞こえなくてゾッとする
足裏に伝わるギュッギュとした感触は年に一度あるかないかのご褒美だ
さんざん遊んだ雪の日のお風呂は格別に気持ちがいい

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とてもお世話になっているガソリンスタンド
ITにとても詳しいご主人がいるので、パソコンやスマホのことを教えてもらっている
この前もフリーズしたノートパソコンを直してもらった
本当に助かる
スタンド内には猫がたくさんいて、ここに来るといつも撮影会がはじまる
猫を飼いたいなと思うけれど、家を空けることが多いので諦めている
たまに野良猫に会って、あいさつしても無視されるくらいがちょうどいいかもしれない
あの自分勝手なところがたまらないのだ

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近くにある青山高原と呼ばれる丘陵には風車がずらりと、大型のものが50基くらい立っている
眺めがよく、スカイラインが通っているので、客演で集まるゲストを休みの日に連れて行くことが多い
展望台にはレストランがあり、そこのソフトクリームがとても美味しい
夕方、西日にあたる風車は哀愁を帯びて、遠く麓から見るとまるで十字架が立ち並んでいるように見えるので、勝手にゴルゴタの丘と呼んでいる

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三重に引っ越してきてから7年がたった
まだそんなものか、もうそんなにたったのか、わからないけれど、時間の流れ方はその都度変わるっぽいのであまり当てにしてない
そういえばこっちに住むようになってから時計を見ることが少なくなったと思う
時計そのものを見る機会が減ったこともあるけれど、都会にくらべて空が広いので、太陽の傾きや空気の加減でなんとなく居ごこちが決まっているからなのだろう
日が出たら起きる、日が沈んだら帰る
夜はアマゾンプライムで映画を観てから寝る

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家の隣りに劇場があるので、空いていればいつでも稽古ができる
まわりの民家は離れたところにあるので、大音量でなければ、基本ずっと稽古ができる
東京から拠点を移した理由の一つはこの環境にある
退館時間や、空間的制限に気をもむことなく、創作に打ちこむ時間ができることは、作品に対する姿勢を変える
まわりをアパートと線路に囲まれた池袋の小さなアトリエと比べると、やれることの範囲はガラッと変わった
里山に拠点をかまえたことで気に入っていることはこれに尽きる

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田舎の劇場なので、たくさんのお客さんが来られるわけではないけれど、三重県立の文化会館や、金沢、宮崎、岡山、豊岡と、いろいろな場所を巡りながら舞台をやっているので、出会っている人の数では東京で活動していたころよりは多くなった印象がある

環境が変わることで起こる身体の変化は、長い時間をかけないと見えてこないものもあるらしい
それはこの7年でとてもよくわかった気がする
東京にいた頃と、今とでは変わらないものもあるけれど、明らかに変わったところもある
考え方や人との距離感はもちろん、演技のスケールはだいぶ変わったと思う
そういう変化が起こることを望んで来たので、今のところは引っ越して良かったのだろう

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この土地にもだいぶ慣れてきたので、さいきんやっと三重が地元だという愛着が芽生えはじめてきた
方々の山に登ってきたおかげで、このあたりの地形と歴史もかみ合ってきた
三重は京都や奈良が近いので史跡巡りが充実しているのがいい

ただ、自分にとっての生まれ故郷は東京であり、30年以上育った地域なので、帰ったときに心震えるのはやはり東京の方だ
郷土愛みたいなものはねつ造してもしょうがないので、こればっかりは正直に向き合ったほうがいい
故郷は東京、活動の拠点は三重
三重の役者というよりは、日本代表の役者ですというほうが目標としてはしっくりくるので、へたにまとまる必要はないと思っている
とくに一貫性はなくていいと思うし、スタンスに根拠もいらない
アイデンティティが適度にぐちゃぐちゃと葛藤するぐらいの人間でいられるほうが、役者としてはありがたい

東京もひとつの地域、という考えのもと活動を続けてきたけれど、東京一極集中という状況はこれからも当分変わりそうにない
その根の深さは政治の世界を見ていても気が遠くなるくらいだ
現状が変わるのはたぶん2.3世代先のことかもしれない
少なくとも自分が生きているうちには目に見える大きな変化は起こらないと思う
生きているうちにやれることは限られているけれど、次の人たちに伝わるものがあればなんてことはない
バトンが渡りさえすればOK
自分でも知らないうちに背中を見られていると思うので、その人たちのためにもこつこつとやるしかない
ぼくが追いかけている人たちもそうやって背中を見せてくれた
受け取ったものは次の誰かに渡す
それが家族でなくても、知り合いでなくても、劇場で出会ったことで繋がるなら、それはあり
そういうスケールのメディアとして演劇を選んでいるので、顔の見える、手の届くスケールがぼくの世界だ

その世界の実現のために、里山の小さな劇場はぼくの性に合っている

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小菅紘史の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/m1775a83400f9


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