見出し画像

演劇を通して、出会い、繋がる


ライフワークとしての演劇05
中込遊里さん(演出家/鮭スペアレ主宰 東京)



「その人がどう生きていて、その活動をどういうものとして捉えているのか」
社会との接点を模索しながら、各地で地に足をつけて舞台活動をする方たちに「ライフワークとしての演劇」というテーマでお話を伺います。

今回は、劇団「鮭スペアレ」の主宰で演出家の中込遊里さん。結婚と出産を機に、東京都立川市に劇団の拠点を構え、多摩地域の中高生と演劇創作を行う「たちかわシェイクスピアプロジェクト」や「演劇ネットワークぱちぱち」などを立ち上げ、人材育成にも力を注いでいます。
(以下敬称略)



演劇が居場所だった

米谷 演劇を始められたきっかけを教えてください。

中込 両親が劇団四季を好きだったので、幼少期によく連れて行ってもらっていました。小学校の学芸会でお芝居があり、見慣れていたおかげで、わたしの演技が上手だと一目置かれるようになったんですね。それで調子に乗って、そのままずっと続けているという感じです。中学から演劇部で、高校では市民劇団にも入って。今みたいにインターネットですぐに調べられる時代ではなかったので、あらゆるアンテナを広げて、いろいろなところに行きました。本当に「演劇バカ」の人生という感じです(笑)

米谷 続けてこられたのは、やはり演劇が楽しいと感じていたからですか?

中込 楽しいから続けてきたんだろうけど、実は集団生活が苦手で、学校が嫌いだったんですよ。演劇だと自分じゃない人になれるから、相手と接する時の煩わしさが減るというか。演劇が居場所になっていたのかなと、それが一番強かったんだと思います。その頃の経験が、今の自分の仕事に直結しているので、子どもの時にやっていたことは、すごく大きいなと感じています。

米谷 日本大学芸術学部で演出コースを選ばれたんですね。

中込 高校の部活でも演出をやっていたけど、演劇のいろいろな面を知ることができるんじゃないかと考えて、演出コースに決めました。戯曲を読んで演出プランを書いたり、体を動かして、即興のワークをやってみる演技の授業、照明などのスタッフワークを学ぶ時間もありました。3年生からの実習では、チームに分かれて小作品を作ったり。

米谷 鮭スペアレを立ち上げたのも在学中でしたよね?

中込 2年の時に、大学内外の気の合う仲間と3人で。みんな、在学中に劇団を作るんですよ。わたしもやりたいと思って、気軽に立ち上げました。なので、その時からのメンバー、ドラマトゥルクの宮川麻理子とは、人生の半分以上を一緒にいることになりますね。

鮭スペアレ「物狂い音楽劇・リヤ王」撮影:伊藤華織


演劇をやっていれば、世界と繋がる

米谷 これまでに、作風の変化はありましたか?

中込 最初は、わたしが書いて、演出して、出演して、という超オリジナルな作品を作っていました。寺山修司が大好きで、不条理劇を書いていたんです。その後、音楽劇をやっていた時期もありました。オリジナルの作品を書いて、作曲してもらい、生演奏で。大学時代に能楽が大好きになったので、そういうイメージで、ミュージカルではない日本の音楽劇を作りたいと思っていました。
戯曲を書くことに限界を感じた頃、古典の演出をやり始めました。d-倉庫のフェルナンド・アラバール『戦場のピクニック』フェスティバルに参加したり、利賀の演劇人コンクールでチェーホフの『桜の園』を演出して、やはり面白かったんですよね。評価も得ることができました。

米谷 シェイクスピアを上演する際に、坪内逍遥の翻訳に拘っている理由は何でしょうか?

中込 翻訳者を誰にしようかと考えた時に、遠い国の古い作品を現代の日本で上演する意味を見出すためには、分かりやすい言葉はあえて必要ないんじゃないかと思ったんです。一番遠い人にした方が、きっとかえってリアルになるだろうと。坪内の言葉は、当時の舞台の言葉と新しい言葉を見つけなければという思いに引き裂かれながら、どうにか翻訳しているという感じがぐっとくるなと思って。

米谷 私も大学の授業で読みましたが、歌舞伎との狭間、訳すことに葛藤があったんだろうなと感じます。

中込 無理なことを無理なまま何とかやるということに、わたしは魂の一致を感じたんです。生きることは矛盾だらけなので、それをそのまま舞台に乗せるというのをやりたいなと思って。

米谷 『ロミオとヂュリエット』を拝見した時、とても緊張感やパワーがあって、言葉が難しいとか、そういうことを通り越している気がしました。出演者は全員女性でしたが、エネルギーに圧倒されて、性別を超えて「人間」という印象を受けたのが面白かったです。

中込 今は「出演者は女性」と決めつけてしまうのは時代にそぐわないと考えていて。男性の出演者もいるし、ノンバイナリーの劇団員もいます。男女逆転にしたり、性別に拘らない配役、遊び心を大事にしたいと思っています。

米谷 5月のミラノ公演が初の海外公演ということでしたが、いかがでしたか? 

中込 ミラノのSpazio Teatro NO’HMA の年間を通じたフェスティバルがあって、その一演目として招聘されました。TPAM(国際舞台芸術ミーティングin横浜)で上演した『マクベス』に、字幕をつけてYouTubeに上げていたのを見て、声をかけてくれた…と予想しています。
驚いたのは、ミラノの観客にとって、知名度のない劇団の公演にもかかわらず、劇場が満席になること。これが演劇文化が根付いているということなんだ、すごいなと思って。観客は暖かく、祭り感がありました。
「海外公演に行くと世界が変わるよ」と言われていたのですが、実際に何が変わったかというと、「あ、同じ人間なんだな、通じるんだ」ということを体験を通して実感したことですね。演劇をやっていれば、世界と繋がるんだなと。
わたしには子どもがいて、普段は立川の半径3キロぐらいを自転車でうろうろする日々だけれど、それだけではないということ、今もミラノに行けば知っている人に会えるんだと思えることが、すごく自信になりました。


それぞれの演劇の続け方を見つけてほしい

米谷 多摩地域の中高生と演劇作品をつくる「たちかわシェイクスピアプロジェクト」など、若手の育成に力を入れられていますね。

中込 「たちかわシェイクスピアプロジェクト」は去年まで5年間ほど取り組んできました。きっかけは、妊娠したことで、実家に子どもを預けて演劇を続けようと考えたことでした。実家が日野市なのですが、そちらに引っ越そうと思って。ちょうどその時期に、隣の立川市にたちかわ創造舎がオープンして、シェアオフィスメンバーを募集していたんです。劇団の拠点も必要だったし、ちょうど良いタイミングでした。
それで、立川市で何かやってほしいと言われた時に、高校演劇をやっていた経験から、若い人たちと一緒にやりたいなと思いました。劇団がシェイクスピアに取り組み始めた時期でもあったし、名前はみんな聞いたことがあるからとっつきやすいかなと。シェイクスピアを演じるというよりは、遊ぼうという企画。公募だけだとなかなか参加者が集まらないので、ディレクターの倉迫康史さんに高校の演劇部の先生を繋いでもらい、一番多い時で出演者が40人以上いました。
鮭スペアレ自体も育てたいと思っていたので、劇団員それぞれにチーム分けした学生たちを演出してもらいました。できあがったシーンは、わたしが構成するという作業をして。垣根を越えて学生たちもアーティストも繋がるという場を目指しました。

米谷 昨年から始められた「演劇ネットワークぱちぱち」について教えてください。

中込 シェイクスピアプロジェクトを始めて2年ぐらい経った時期に、公益財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団と出会って、そこで「八王子学生演劇祭」のディレクターになりました。それが、去年から「演劇ネットワークぱちぱち」と「八王子ユースシアター」の2つに分かれました。
人材育成事業のぱちぱちは、18歳~25歳がメンバーとして登録可能で、演劇を続けたいと思う人たちが集まって、本当に好きなことをやっていいという場。現在のメンバーは40人程。
演劇は、どうしても高尚なイメージがあるけれど、本気で役者になりたい人も、ちょっと表現に興味があるという人も、自分なりの続け方を試して見つけていきたいという思いさえあれば大丈夫。誰も否定されない、居心地の良い場所を目指しています。

米谷 ゆるく繋がる、やりたい時に手を挙げるという感じなんですね。
若手の演出家の募集もされていましたが、演出家を育てようとする時に意識されていることは何でしょうか?

中込 教育機関ではないし、「わたしは先生です」という風にはしたくないので、自然に育っていく環境を作る。演出の根本にある一番大切なことは、人を惹きつけて、一緒に作るということだと思います。
もし、能力はあるけれど仲間に恵まれないという若い演出家がいたら、メンバーをマッチングするという方法がある。仲間はいるけれど技術がない、言葉が下手な演出家の場合は、そういうことを学べる先生を呼ぶ、もしくは稽古場に連れて行くとか。
演出家が育っていくには、たくさんの出会いが必要なんですけど、そうした場を作るのが、わたしの仕事なのだろうと思っていて。自分のことを自分でPRするのは難しいけれど「こういう能力のある人がいます」と紹介してくれる人がいれば良いのではと。

米谷 ぱちぱちがプラットフォームになっていって、参加者に、こういう風に育ってほしいという理想はありますか?

中込 やっぱり演劇を続けていってほしい、ただそれだけですね。それがどんな形でも。
わたしたちが守るから、いろいろな人に会って、自由に活動して、失敗してもいいから、それぞれに合った演劇の続け方を社会に出る前に試してほしいです。

米谷 わたしも演劇をやっていくうえで、「続けていく能力」を身につけることがとても大事なことだなと思っていて。こういう続け方もあるんだという、いろいろなモデルを、若い人たちが知れたらいいなと思います。

演劇ネットワークぱちぱちメンバー募集フライヤー。
ぱちぱちメンバーが作りました。


明るく、なるべく笑っていられるように

米谷 娘さんを育てながら演劇活動をされていますが、どのように両立されていますか?

中込 祖父母やたくさんの人の手を借りて育てていくのが一番いいかなと。そういう環境でないと演劇活動は続けられないですよね。
うちが特殊かなと思うのは、わたしも夫も両方がアーティストなんですね。だから日曜日の度に子どもを預けたりと、実家にはかなり負担がかかっているなとは思います。

米谷 演劇は、夜間や土日の活動も多いですよね。特に、夜に活動するとなると、子どもとすれ違いになるのも難しいところです。

中込 わたしは自分でスケジュールをコントロールできる立場なので、俳優よりも活動はしやすいかもしれないですね。

米谷 実家に子どもを預けて活動しているという知人は結構いますが、親と衝突してしまったり、葛藤を抱えて、難しいという話もよく聞きます。
ご実家との関係は良好ですか?

中込 皆さんと同じで、やはり難しいですね。子どもを預けないといけないとなると、距離がとれなくて。そこは難しいけれど、それも修行だと思うようにしています。
子どもがいなかったら両親ともコミュニケーションをとらない人生だったかもしれない。親の苦しみも自分の将来の姿かもしれないし。
親や祖母の姿を見ることが勉強になるから、謙虚にとは思うのですが…
やはり母と娘の関係となると、喧嘩をしてしまって、何で分かってくれないのかと苦しんだり、いい年して何やってんだかという感じになったりします。

米谷 稽古場と家庭と両方でうまくやらなくてはいけないって、本当に修行ですよね。子どもとの関係もあるし。全てにエネルギーが必要で、プレッシャーも感じます。しかも、いつもどこかしらに問題が起こったりするんですよね。

中込  常に何かを抱えている状態ですよね。

米谷 子育てで大事にされていることはありますか?

中込 子どもを絶対に否定しないこと。一緒にいる時間が限られているから、明るく、なるべく笑っていられるようにしたいなと。と言いながら、「早く支度して!」と怒っちゃうんですけど。
娘は小学校1年なんですけど、周囲の人たちと一緒に楽しく過ごせる人になってほしいですね。

鮭スペアレ版『マクベス』2022
Spazio Teatro NO’HMA 招聘記念公演 撮影:伊藤華織


生き方の語彙が広がることが「生きる力」になる

米谷 中込さんにとって演劇とはどんな存在ですか?

中込 「人と人を繋ぐもの」というのが一番根本にあります。特に人材育成に関しては、それを常に思ってやっています。鮭スペアレの活動では、それに加えて、演劇を通して「生きる力」を受け取ってもらえるような、作品や場を作りたいなと思っています。

米谷 演劇を通した「生きる力」とは、具体的にはどのようなものでしょうか?

中込 実際の人生は練習ができないけれど、演劇の中だと練習ができます。1人の経験値だけだと狭い世界で生きていたりするけれど、いろいろな人生があることを知れば「こういう風に生きてもいいんだ」と思えるようになり、生き方の語彙が広がっていく。そこからエネルギーを得て「自分は自分でいいんだ」と自信を持って、生活を大事にできるようになる。そんな良い循環が生まれるといいなと思ってます。

米谷 「演劇のプロ」について。海外では、資格があったり、公共劇場専属の劇団員として公務員だったりしますが、日本では定義が曖昧です。
中込さんはどのように捉えていらっしゃいますか?

中込 わたしが一緒にやりたいプロとは、どんな人かと考えてみました。
一つは他者からの客観的な評価を得ていること。それは、表現面とか、金銭面に表れることもそうだし、仲間が大勢いるなど、様々な視点があってよいと思います。
だけど、それだけではだめで、もう一つは、自分で自分のことを支えられる力があること。自分のやりたいことがあって、他人からの意見や評価に左右されないで、仕事ができること。
その二つを兼ね備えている人と一緒に作りたいですね。

米谷 これから取り組んでいきたいことについて教えてください。

中込 人材育成で、ぱちぱちのメンバーたちと演劇を続けること、そして、鮭スペアレで創作し続けることの両輪で考えています。
ぱちぱちの方では引き続き、若い人たちと、いかに健やかに演劇をし続けられるかということを模索していきたいですね。
劇団の方では、俳優たちが誇りを持って舞台に立てるような演技術をしっかりと構築していくことに、長期にわたり取り組んでいきたいと思っています。舞踏や能楽を稽古に取り入れていますが、訓練法としてはまだ確立はされていなくて。スズキ・メソッドのように、どういう演技を目指すのかということに訴求力があるようにしたいです。
それにおいても資金が必要なので、それをどうやって獲得するか、また、表現が多様化する中で、他のメディアとどうコラボするかなどを考えることも、全てが演技術の取得に繋がるんだと思っています。

米谷 中込さんにとって、演劇を続けていく原動力って何でしょう?

中込 天職だとかはぜんぜん思っていなくて。今でも自信のない中で、なぜ演劇を続けられているのかなと。人に恵まれていたりして、やめないで済んでいる。楽しいじゃないですか、演劇って。続けられるのなら続けたいと誰しもが思う。運よく続けさせてもらっているという感じです。

米谷 楽しいというのが、根源的にあるんでしょうね。それを自然と中込さんが発しているからこそ、人を引き寄せていて、続けていく道筋に繋がっているんだと思います。

中込 人と繋がれるから楽しいんですよね。

米谷 演劇は、わたしたちをいろいろなところに連れて行ってくれますよね。それは内面的なことかもしれないし、実際にミラノのような海外に行くことかもしれないけれど。演劇を通じて、様々な人や場所と出会うことが、楽しいし、それがきっと必要なことなんでしょうね。



米谷よう子



【中込遊里 プロフィール】
1985年生まれ。東京都出身。演出家。一般社団法人AsoVo代表理事。
日本大学芸術学部演劇学科在籍中に「鮭スペアレ」旗揚げ。2013年・2014年利賀演劇人コンクール「奨励賞」受賞。
2016年~2021年、結婚と出産を機に立川市の文化創造施設である「たちかわ創造舎」に劇団の拠点を構え、多摩地域の中高生と演劇創作を行う「たちかわシェイクスピアプロジェクト」を主宰。
2019年~2020年、公益財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団主催「八王子学生演劇祭」総合ディレクターを経て、2021年より同主催「演劇ネットワーク ぱちぱち」ディレクター。
その場に集う人々の力をどこまでも信じることから作品を編み出すことをモットーとする。


鮭スペアレ
https://syake-speare.com/

演劇ネットワーク ぱちぱち  
https://hachiojibunka.or.jp/play/net88


カバー写真:
演劇ネットワークぱちぱち「むかしむかし、あるお家に」立川公演集合写真



米谷よう子の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/me1e12a71d670


読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。