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吹き荒れる暴力の時代に思う:現実と幻想のあわい

端的に言って、現下は暴力の時代である、と断ずることができよう。

安倍晋三という一時代に絶大な影響力をもった人間が非業の死を遂げてから一年となった。その詳細については、態々ここで改めて語るまでもないものだろう。兎に角、一年とはあまりに短く、人命はかくも儚い。

同年に勃発したロシアによるウクライナ軍事侵攻は誰もが衝撃を受けたことだろう。その開戦からもう500日が経過していたことに二度驚く。この間、一気に前時代的な戦争の時代へと逆戻りしたように思えてならなかった。同時に、大国間における暴力の直接的なぶつかり合いは、二度の世界大戦の現実とあまり差異のないように思えてならない。

以上の事柄を総合してもなお、こんにちこの世界そのものが、事実上未だに暴力によって支配され、暴力によって担保されていることに失望を禁じ得ない。

一方では、市井の直接的暴力、以前からあったとはいえ、それにしてもここまで街場が荒びつつある情況にはやはり懸念を抱かざるを得ず、やはりこれからの時代がますます暴力を前提としてつくられていくこととなるのではないかとまた暗い気持にもなる。

それでも、暴力でない方法を模索していかねばならないだろうし、無闇矢鱈に直接的暴力を礼賛するような短絡的な風潮には、絶対に抗っていかなければならないだろう。

もし、暴力に依らない民主的で平和な世界を再建することが、幻想であると切り捨てられるのならば、まっとうな時代にはならないだろうと強く思う。

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