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韓国語圏フィールドワークの世界

髙木丈也(慶應義塾大学 総合政策学部専任講師)

第3回 私の韓国語圏フィールドワーク②:中華人民共和国

世界のコリアンをめぐるフィールドワーク。今回は中華人民共和国(以下、中国)の朝鮮族の話をしましょう。

朝鮮半島から中国への移住

皆さんよくご存知のように中国は多民族国家で、漢族以外に55の少数民族が暮らしています。そのうちの1つが今回、ご紹介する朝鮮族です。私は2014年以降、彼らの言語や文化に興味を持ち、機会があるごとにその居住地域を訪れてきました。

朝鮮族が多く居住する地域は、中国で東北三省(北から順に黒龍江省、吉林省、遼寧省)と呼ばれる地域です。この地域には20世紀初頭、計200万人以上のコリアンが朝鮮半島から移住し暮らしていました(その理由は、日本による統治や旧満州地域の開拓など様々でした)。

そして、1945年の日本統治の終了を受け、その半数以上は朝鮮半島に戻っていきます。一方で、この地に残ることを選んだ約100万の人々がいました。その後、1949年に成立した新中国政府により公民権を与えられることになる「朝鮮族」とよばれる人々です。

国家統合の過程で中国における朝鮮族の地位は、確固たるものになっていきます、1952年には延辺朝鮮族自治区*が、1958年には長白朝鮮族自治県が成立し、少数民族による自治が公式的に認められます。さらに東北三省各地に朝鮮族学校が開校し、延吉市には延辺大学が開校します。
*1955年に自治州に昇格。

考えてみると、これはなかなかすごいことです。朝鮮半島(本国)以外において、朝鮮語*による教育、文化、政治などを発展させる権利が与えられたのですから、画期的なことであったと言わざるを得ません。
*中国の朝鮮族の民族言語は、一般に「朝鮮語」と呼ばれています。

▲延辺朝鮮族自治州の入口、延吉空港

朝鮮族の話す言語

朝鮮族1世の人々が話す言語は朝鮮半島の出身地域の影響を色濃く残しています。例えば、吉林省であれば咸鏡道(朝鮮半島東北部)の方言、遼寧省であれば平安道(朝鮮半島西北部)の方言、黒龍江省であれば慶尚道(朝鮮半島東南部)の方言というように、おおよそその移住経路を反映した言語が観察される傾向にあります。今のところ、我々は北朝鮮の北部に自由に行くことは難しいですが、中国内で朝鮮半島北部の方言を耳にすると、何とも不思議な気持ちになるものです。

ところで、移住民も2世以降においては中国国内においてさらなる移動を続けています。さらには、現地の主要言語である漢語(中国語)の影響も受けるため、方言分布を把握することはそう簡単ではありません。また少数民族学校である朝鮮族学校において教授される朝鮮語の規範は、本国の言語規範のいずれとも完全に一致するものではありません。このように移住2世以降における言語使用を調べる際には、1世の出身地だけでなく、日常の交友関係や家庭・地域といった生活環境、教育・職業などの状況も大きな影響を受けます。

朝鮮族の村を訪れると…

朝鮮族の人々が多く住む村を訪れると、時々まるでタイムスリップをしたかのような錯覚にとらわれることがあります。庭先に並べられたキムチやコチュジャンをつける甕(かめ)にトウガラシを天日干しする光景。道端でユンノリという伝統遊戯を楽しむお年寄りの姿・・・など、少なくても韓国では、一昔前に見られたような光景が目の前に広がります。本国では消えつつある文化がこのように第三国で保存、継承されている姿を見るのは、不思議でありながら興味深い経験でもあります。

▲中国東北地方に多く見られる朝鮮族村

また、「今いる村では平安道方言を使っているが、すぐ隣の村では慶尚道方言を使っている」といった現象も決して珍しいことではありません。朝鮮半島内でみると、平安道方言は西北部(北朝鮮)、慶尚道方言は東南部(韓国)に位置するので、地理的には対極と言っても過言ではありませんが、広場などでこの異なる2つの方言話者が民族語で意志疎通をする姿が見られるのもこの地ならではの光景といってよいでしょう。

3・4世になると…

ところで、近年は、こうした状況も大きく変わりつつあります。まず1978年ごろから始まった改革開放政策により、多くの人が中国沿海部の経済発展地域に移住を始めました。これに加えて、1992年の中韓国交樹立以降、さらに多くの朝鮮族が韓国に出稼ぎに出ています。コロナ禍以前の2019年1月の時点では、全朝鮮族人口の3分の1以上にあたる約72万人が韓国に居住していました*。

*2020年の人口センサスにおける朝鮮族の人口は約170万人。彼らは韓国政府によって、「在外同胞ビザ」などの優遇を与えられるため、合法的に滞在・労働が可能なステータスを得ることができるのです。

▲北京の朝鮮族集住地域

こうなると、中国東北部の朝鮮族コミュニティ、さらには朝鮮族学校などの瓦解が問題視されます。実際に2010年には約36%であった延辺朝鮮族自治州における朝鮮族人口は、2020年には約30%にまで落ち込んでいます。また、中国政府による教育政策の影響なども今後の朝鮮族社会の変容方向性に大きな影響を与えるとみられています。

少数民族というマイノリティでありながら、いまだ伝統的かつ独自の文化を色濃く残す朝鮮族。彼らの文化が今後、どのように継承され、発展していくのか、私も興味を持って見守っていきたいと思います。

▲自治州名物の串焼き
▲中国朝鮮語の学会は賑やか

今回は中国におけるコリアンの話をしました。最終回の次回は、旧ソ連地域の話をすることにします。お楽しみに!

記事を書いた人:髙木丈也(たかぎ・たけや)
慶應義塾大学 総合政策学部 専任講師。東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程修了(博士(文学))。専門は韓国語学、方言学、談話分析。著書に『そこまで知ってる!?ネイティブも驚く韓国語表現300』(単著、アルク)、『日本語と朝鮮語の談話における文末形式と機能の関係―中途終了発話文の出現を中心に―』(単著、三元社)、『中国朝鮮族の言語使用と意識』(単著、くろしお出版)、『ハングル ハングルⅠ・Ⅱ』(共著、朝日出版社)など。2019年4月より『まいにちハングル講座』(NHK出版)に「目指せ、ハングル検定!~合格への道~」を連載中。


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