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MOON-RADIATION vol.7

ムーンラジエーション。これは造語です。
月明かりが、
放射状に全世界に広がり、
しかしラジオのようにひっそりと、
聴く者だけに届くようにと思い、
この名前を付けました。

毎回、いつも見てくださる人がいますが、
本当にありがとうございます。

僕は結構何も考えずに
ダラダラと書いてしまうことが多いのですが、
正直そうしないと書けないのも事実です。

すみません。

今日、僕は、

違い

について書こうと思います。

僕はサイゼリヤでやることがあります。

そうです。

間違い探しです。

あの類の間違い探し(めっちゃ難しいパターン、もしくは早く見つけろパターン)が恐らくめちゃくちゃ得意です。

早く見つけろパターンは、

例えば

壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁璧壁壁壁壁壁壁壁壁

というパターンです。7秒以内に璧を見つけて。

もし、これができる人は、これならどうでしょう。

璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧壁璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧璧

というパターンです。7秒以内に壁を見つけて。

僕は、この手の間違い探しと

いわゆる絵の間違い探しが、得意です。

ただ、どうしてもうまく見つけられない時、

僕は、裏ワザを使います。

寄り目をすることです。

そのまま、見ることはしません。

ちょっと寄り目をすることで、

隣通しの漢字が同じか、

隣通しの絵が同じか、

区別することができます。

このことは、そっととしておいてください。

これは、隣のものと、ほとんど同じ場合に使えます。

隣の絵と、ほとんど同じ場合に使えます。

そんな時って、日常生活にあるのかな、と。

右と左に、全く同じものがあるか。

そんな時は、一つもないです。

僕の横に、僕がいる。

その僕の横に、僕。

僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕

僕は、僕しかいません。

自分のことを僕と呼ぶ人はいますが、
それぞれの僕は全く違う僕です。

濮でも、撲でも、蹼でも、樸でもない、僕。

僕は、僕であって、唯一無二の存在。

もし、お隣の人間と僕が全く同じだったらを考える。

僕は、2つの事象が起きる気がする。

1つは、こんなこと。

僕の目の前に、僕がいる。

僕は、一瞬鏡の前に立ったのかと思うけれど、

そうではなく、

僕だ。

立体的な、

3Dの、

実物の、

触れる、

考えを持つ、

僕。

それって、僕なんだろうか。

でも、僕以外に同じ人はいない。

僕と同じだから。

そして僕は他の人と同じではないから。

その僕が目の前に居るとき、

この僕は一体誰なんだろう。

その僕が、僕を主張したら、

この僕は、僕ではなくなるんだろうか。

でも、僕のくせに僕を主張しないのなら、
早い者勝ちかもしれない。

でも、そういう時に主張をせず、
黙っているのも、僕らしいんだけれど。

僕は、僕を殺す。

僕が、僕を殺すことで、僕が生かされる。

僕は、1人だ。

僕は、2人いたら、2人とも僕がいなくなる。

僕が、1人になれば、僕が生き残る。

だから、僕を生かすために、僕を殺す。

僕のアイデンティティを守るんだ。しかし、

そこに大きな疑問が。

僕は、目の前の僕を殺すのだろうか。

それとも、この僕を殺すのだろうか。

この僕とその僕が同じであれば、

僕は自刃しても、僕が居続ける。

でも、僕は、その僕を刺すと思う。

どうしてなんだろう。

この僕と、その僕は同じなのかな。

それとも、違うのかな。

もう1つの事象がある。

それは、僕は基本的には1人なんだけれど、

2人になった瞬間に、僕は、2人で僕になる。

僕は、2人になった瞬間に、僕としての機能を
持ちながら、

2人で1つの個体としての機能を果たす。

まるで群体のように。

その僕とこの僕の間の空白、
spaceも、僕だ。

この僕——空白——その僕

僕は、その僕を生かす。

この僕が居なくては、その僕は、生かされない。

だから、この僕も生かす。

僕が1人だと考えれば、僕は自分本意で僕を殺す。

僕が2人の群体と考えれば、僕は、僕を生かす。

その時、僕はとは言わず、

僕らは

と呼ぶ。

結局、

僕が1人だと考えれば、
僕は自分本意に、自分勝手に、
その僕を殺してしまう。

僕が、1人ではなく、群体と考えれば、
僕は生かすことが正しいと考える。

ここで、

僕は唯一無二の存在だから、
僕が2人になる瞬間など2度と来ないのではないか

ということだと思う。

クローン技術などはここでは触れない。

僕は、1人かもしれないけれど、
僕は、1人で生きてはいない。

僕は、1人でもないかもしれない。
僕は、1人でできていない。

僕と考えるのではなく、僕らと考える。

僕らは、1人ではない。

僕たちのことを、1人とは呼ばない。

マジョリティかもしれないけれど、
1人ではない。

僕が2人になることはないけれど、
僕が2人どころかたくさんの人と関わっている僕と考える。

僕が、たくさんの人に生かされている僕と考える。

食べもの。

それが、僕をつくる。

僕の思考を作る。

ラーメンで作られた脳は、ラーメン脳になる。

カレーライスで作られた脳は、カレーライス脳になる。

なら、食べものは、僕なのかな。

僕なら、大切にしよう。

友達。

それが、僕をつくる。

なら、友達は、僕みたいに大切にしよう。

そんな感じだ。

1人だと考えると、手にはナイフを握っている。

争いが、絶えない。

僕は、僕の周りがあって僕がいる。

そう考えると、僕は、僕にナイフを向けられない。

自らを、分けて考える。それが自分。

違いは、違いでいい。

どれもまとめて受け止める。

纏めてしまおう。

またいろいろと脱線しましたが、今日もダラダラと書いてしまいました。すみません。

MOON-RADIATIONでした。

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