家に帰りたくないキミへ

レベル15になりたてのころに、私はラスボスと直接対決に及んだ。


やくそうもどくけしそうも用意していなかったし、ぬののふくくらいの装備しかない。仲間はいないし、何度も何度も死んだけど逃げることはなかったし、逃げられなかった。末っ子らしく「誰かが代わりに倒してくれないかなぁ」と思いながらも、結局自分が倒しに行くしかなかった。

レベル45の現在の結論から言うと、悲しいかな人は結局変わることはない。人は自分に都合よく記憶を勝手に書き換えていく。でも、自分はそうはならないと今でも激しく抵抗しながら生きている。

エンディングは迎えてもいないし、自分のレベルは上がる一方だ。自分の体力を考えて不毛な戦闘をしなくなって、父という存在をただ抹殺しているだけだ。

十数年も前にニュースを賑わせた芸能人のモラハラ騒動を見て、父もモラハラの権化であることを認識するのではないかという淡い期待は打ち砕かれた。他人事としか見ていない。いつだってテレビの出来事はなぜか当事者には響かない。虐待のニュースは減るどころか増える一方で、よけいな期待は自分が不幸になるだけだ。

姉は母としか外で会わないし、年末のみ姉と兄とその配偶者が家にやってくる。毎年律儀だとは思うけれど、きっとそれが彼らの唯一のやさしさなのだろう。何年か前から母はおせち料理作りを卒業したので、ついでにそろそろみんなこの茶番の家族演技をやめて、いっそ劇団ごと解散してしまえばいいとさえ思うこともある。

十代半ばから私はストレスで過食症になってしまったし、抜毛症にもなった。最初はブタ毛を抜いていたけれど、どんどんエスカレートして普通の髪の毛を抜いた。その結果、私はポニーテールしかできる髪型がなくなった。日に日に増えるハゲ部分をさわることでなぜか安心できたのが不思議だった。ある程度まで生え揃ったのは高2の途中なので、約三年は精神が安定していなかった。母にも八つ当たりはしたけど、同じくらい自分にもダメージを与え続けた。

他人にされて嫌なことはほぼ父から受けていたので、同じ思いを他人にはさせたくなかった。痛いのが嫌でリストカットはしなかったし、死にたくはなかった。

当時私は父の会社の社宅に住んでいて、父が会社で恥をかくことがないようにと、常に母が他人の目を気にしていた。茶髪やピアスどころかバイトも化粧も男女交際も派手な服装も禁止されたことも膨大なストレスをためる一因だった。「課長の品行方正なお嬢さん」を演じることに辟易していた。

これが東京だったら、放課後はまず渋谷に行って同じ境遇の子と友達になって遊び回ることで、だいぶストレスを軽減できたと思う。あの頃の渋谷は純粋におしゃれを楽しむ子もいれば、心の傷を癒しにきている寂しい子達も多くいて、危険と隣り合わせではあったけど、なんでも丸ごと受け入れてくれる街だった。

私が住んでいた札幌には街がひとつしかなかったけど、お気に入りの場所をいくつも作り、徘徊して家にいる時間を極力少なくした。街中の塾に通い、家に帰る時にはわざと遠回りして帰ったりもした。

私は自分を制限される集団行動を極端に嫌っていたし、持ち前の運動神経の悪さに加えて根性なしで帰宅部しか経験したことがない。高校の時に生徒会で夜遅くなった姉を母が迎えに行ったこともしばしばで、部活で帰宅が遅くなると父が部活を辞めさせることも察知していたから、あえて大切な居場所を作らないようにしていた。
それを壊されることが普通だったし、何かをあきらめることに関してだけは圧倒的に長けていた。街中の塾の自習室で勉強していたと言えばそれなりに事はうまく運んだ。

自分の経験上、学校以外に安心できる自分の居場所を作ることを推奨したい。もし大学進学を考えているなら、いろいろな大学を先に見ておくのはどうだろう。将来の夢を実現させるために、好きなことを学ぶことは自分の体幹を鍛えることと同じで、大きな柱を作っていく。そしてそこはあなたにとって新しい居場所となる。
偏差値が高い大学であればあるほど親の虚栄心は満たされるから、その分今より少しは自由になれるのではないだろうか。

旧帝大は出入りが自由だろうし、大きな私大もそんなにうるさくない。カフェや食堂、図書館もある。東大の駒場キャンパスは近所の国際高校の生徒達がダンスの練習をしていたくらいフリーダムで、大学生協の書籍売場は「脱オタクファッション」など興味深い本が並び、東大ならではの品揃えで一見の価値があった。近所の人たちはみんな散歩がてらやってくるからなじみやすかった。

十代のライフハックはなかなか難しいものはあるけれど、どうか自分を極力傷つけずに自分のことを最優先に守り続けてほしい。友達は味方にはなってくれるけど、対峙するのは自分しかいなくて、すぐに解決できることはないし、十代の一年はとにかく長く感じる。正直、自分を守ることに精一杯で勉強どころの騒ぎじゃなかった。でも、成績が多少落ちたって死にはしない。私のようにFラン以下の大学出だって社会に出てしまえば、一部の上級国民を除いてみんな平等だ。

あなたというひとりのかけがえのない存在が今ひとりで戦っていること、泣いていることを親以外の大人にもっと知らしめていい。
私は方法が思い当たらなくて結局戦闘を開始してしまったけど、大人になるにつれて傷が痛みだし、一生癒えることがないのかもしれないという恐怖に似た感情も抱えている。殴り合って瀕死になりながらも変わってくれない父に対しては怒り以外の感情は持たなくなったし、早く消してしまいたい記憶であることも確かだ。

来る日に備えて戦闘の準備をしてもいいし、もちろん逃げ回って体力を温存してもいい。ただ、親に負けない知識や教養を最優先で身につけてほしい。
それが未来の自分を救うことができる一番の近道だ。
あなたがこれ以上傷つかないように、致命傷を負わないように願うことしかできないけれど、最後はあなた自身があなたを救っていくしかない。
あなたは親よりもずっと他人の痛みがわかる、強くてやさしい人間になっていくはずだから、どうかあきらめないでほしい。

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